スキップしてメイン コンテンツに移動

【マラソン】初めてフルマラソン42.195kmを完走したある女性ランナーの話をしよう。


ひまわり畑がその人を待っていた。
5時間走りつづけた。
42.195kmは遠かった。
でも、その人の足取りは、決して重くはなかった。

*****

はじめて10km走って桃を6個もらう


その人が走りはじめたきっかけの話。
3年前、健康のために歩くことにした。
でも、歩いているだけでは飽きてきた。
しばらくして走ってみることにした。
はじめは30分も走れなかった。
つづけたらだんだん走れるようになった。
それはちょっとした驚きだった。

「というのも、私にはこれまでスポーツの経験がほとんどありませんでしたから。高校は美術部、しかも、入部した次の日から行かなくなったくらいに(笑)、何かをつづけることも苦手だったのです。」

30分間のランニングを週4日つづけて1年。
せっかくだから、何か「マラソン大会」と名のつくものに出てみようかと思う。

走ってよかった、楽しかったって、イイ思いをしないと自分はもう走らなくなると思ったので、評判のいい大会を探しました。

2015年8月。
初めてのマラソン大会は10km。
東北の街を1時間と43秒で完走。

「その大会は参加者賞に桃がもらえました。遠く県外から来た参加者は、さらに多くの桃がもらえました。私は6個もらいました。うれしかったです。帰りの荷物が大変だったろうって?いいえ、宅急便で自宅に送りました(笑)。」


*****

3種類のランニングシューズで完走を目指す


10kmの完走は大きな自信となった。
あるランニングのクリニックに参加した。
周囲の参加者の声に驚いた。
「今年は○○のフルマラソンに出場する」
「次のフルマラソンは○時間○分で走る」
みんなフルマラソンを走る話ばかりしていた。

「そんなところに来る人たちなのですから、今から思えば当然なのですが。でも、その頃の私はフルマラソンを走るなんて、これっぽっちも思ってませんでした。」

しかし、心のどこかに「フルマラソン」の言葉が残った。

2015年12月。
初めてのハーフマラソンに挑戦。
2時間08分で完走。
しかし、左脚の腸脛靭帯(ちょうけいじんたい)を痛めた。
それから4か月間は走れなくなった。

年が明けて2016年。
3月、ふたたびランニング開始。フルマラソンもいくつか申し込んでみた。
6月、10kmレースを59分で走る。しかし、このレースで再び脚を痛めた。
フルマラソンが1つ当選していた。
開催は3か月後の9月。
このままでは到底走れそうにない。

「とても不安になりました。どうしようかと色々調べて、このお店を見つけました。お店のブログも読みました。」



「ブログに出てくるランナーは速い人ばかりですね。私みたいな初心者がこんな専門的な店に行ってもいいのかなって思いました。けど、自分の足に合ったランニングシューズが欲しかったですし。それに、ちゃんとした走り方も誰かに教えてもらいたかったのです。私も『チカン撲滅式うでふり』を練習したいなって(笑)。」

チカン撲滅式うでふりの話はこちら

2016年7月、初めてのご来店。
その人がムリなく走れるように――川見店主は、まずは「歩く・ゆっくり走る」からのトレーニングを薦め、そのためのシューズをフィッティングした。
それからの3週間、その人は毎日「歩く・ゆっくり走る」トレーニングを地道に重ねた。

3週間後。ふたたびのご来店。
新たに走りこみ用とレース用のランニングシューズをフィッティングした。
装着したオーダーメイドインソールは、いずれも最上級インソールのゼロ・アムフィットだった。
2016年6-7月。3週間に渡って行ったランニングシューズのフィッティング。ブルーがレース用、レッドが走りこみ用、ブラックが「歩く・ゆっくり走る」用のランニングシューズ。

これでランニングシューズは万全だった。
次に見直すべきはランニングフォームだった。
カギは「姿勢」にあった。
川見店主は惜しみなくアドバイスした。
その人は「正しい姿勢」での歩き方、仕事中の座り方までも練習した。
あの「チカン撲滅式うでふり」も鏡の前に立って一生懸命に練習した。

その人は走れるようになっていった。
8月、9月には距離を伸ばしていけた。
しかし、大会まであまり時間がなかった。
酷暑に行える練習量にも限界があった。
計画していた30km走もできずに終わった。

「たった2か月ほどの練習で42.195kmを完走できるか不安でした。大会1週間前にこのお店に寄った時に『絶対に完走できます!』って励ましてもらえて、とても心強かったです。」


*****

はじめてのフルマラソンを走る


2016年9月25日。快晴。
北海道オホーツク網走マラソン。

スタート前は緊張した。
とにかく完走することが目標だった。
1kmを7分で走りつづければ、5時間程でゴールにたどりつくはず。
周囲の雰囲気に惑わされず、自分のペースを守ろうと言い聞かせた。

走りはじめると気持ちに余裕ができた。
途中で食べたカニ汁はカラダにしみた。
30kmまで走った。
その距離すらも初めての経験だった。
でもまだいけそうな気がした。
自然と足が前に出た。
勝手にペースはあがっていった。
前を行くランナーを追い抜いたりした。
これまでに味わったことのない気分だった。

空は青かった。
海も青かった。
ゴールのひまわり畑は陽光を浴びて金色に輝いて見えた。

「おかげざまで無事に完走できました。足には何のトラブルもありませんでした。30kmからゴールまでのペースが一番速かったです。それくらい気持ちよく走れました。」

人生で初めての42.195km。
記録は5時間08分。

「走り終えた時は、フルマラソンってさすがに遠いな、シンドイなって思いました。もう2回目はないかなって。でも、時間が経ったら、ツラかったことって忘れちゃうんですね。次の年の篠山マラソンにも申し込んでみました 。」

*****

そして、走りつづける。


2017年3月、篠山マラソン。
スタートラインに、その人の姿はあった。
しかし――

「トイレがとても混んでスタートが遅れてしまいました。あと、ペースを勘違いしました。途中の関門で時間切れ。あれー?って感じで。悔しかったです。」

2回目のフルマラソンは不本意な結果に終わってしまった。

2017年4月。
その人は元気な顔を見せてくれた。
川見店主は、その人が走りつづけているのがうれしかった。

今度、トレイルランにも誘われてます。それと、5月に10kmほどのレースを2回、6月にはハーフマラソンを走ります。やりすぎですかね?(笑)

新たに4足のシューズをフィッティング。
装着したオーダーメイド・インソールは、いずれも最上級インソールのゼロ・アムフィット。

1足目は走りこみトレーニング用(左)、2足目はレース用(右)のランニングシューズをフィッティング。


3足目はトレイルランニング用シューズ(左)、4足目はお仕事用ウォーキングシューズ(右)をフィッティング。

川見店主は、その人がさらに走れるように、新たなトレーニング方法を提案した。
その人は、すぐに実践した。
速く走れるようになるなら、なんでも試してみたかった。

さて、その人のその後。

・5/12 奥びわ湖15km 1時間26分
・5/28 山中湖13.6km 1時間25分
・6/4 たたらぎダム湖ハーフ 2時間5分

たたらぎダム湖は、昨年10kmのレースに出場し脚を痛めた因縁のコース。
そこでハーフマラソンの自己ベスト記録を更新できた。
その人はどんな思いで走ったのか?

以下、その人から届いたメール。

昨年に出場した10kmでは、最初の1.5kmの上りに心が折れ、最後の1.5kmの下りで思いっきり右脚のハムストリングスを痛めたので、キツかった思い出しか残りませんでした。でも、今年のハーフマラソンでは、昨年あれほど苦しめられた10kmのコースをアッサリと通過、自分でも意外なほど楽しく走れました。
レースの途中からは、前を走っていたおじさんをペースメーカーにして、ずっとついていきました。下りは慎重になってスピードダウンするため、おじさんにも引き離され、何人ものランナーにも抜かれました。しかし、上りでまた抜き返し、最後にはそのおじさんも抜いてしまいました。
一番きつかったのは、下りが終わってからの平坦な500m。
先にゴールした人たちが「がんばれー!」「あともう少し!」と声をかけてくれたのが、とても嬉しかったです。
アップダウンのきついコースで2時間5分のタイムは、私としては上出来だったと思います。また、後半にペースアップできたこともよかったです。
意外と負けず嫌いな、粘り強い自分にびっくりです。来年は1分でもいいから、タイムを縮めたいです。

*****

ふたたびの42.195kmへ


今年9月、ふたたび42.195kmに挑戦する。
場所は昨年初めてフルマラソンを走ったあの北海の地だ。
ひまわり畑がその人を待っている。

「目標は5時間切りです。内心では4時間45分を狙っています(笑)。

走りつづける人の気持ちは日々清々(すがすが)しい。
挑戦しつづける人の言葉は常に瑞々(みずみず)しい。

「両親からは、いい年してなんでマラソンみたいなシンドイことをしてるのかと小言を言われてます(笑)。あ、なんかとりとめもなく話してますけれど、私みたいなランナーの話でもブログに書いてもらえるのですか(笑)?」

記録であれ、生き方であれ、自己べストを目指す人がこのブログの主人公です。

ではYOKOさん、目指せサブ5!
ますますのご健闘をお祈りいたしまーす!

(おわり)

*****

【関連サイト】
この記事をシェアする
  • B!

コメント

このブログの人気の投稿

【短距離走】たった半年で100mの記録を0.6秒も更新し、全中で4位に入賞した中学2年生スプリンターにフィッティングした7足のシューズとインソールとは?

全中で4位入賞 だいきくんは、中学2年生のスプリンター。 陸上競技の強豪校でがんばってます。 100mの自己ベスト記録は 11秒39 。 今年の夏には 全中(全日本中学校陸上競技選手権) に出場し、 男子4×100mリレー で見事に 4位入賞 を果たしました。 いよっっつ! ――だいきくん、全中出場&男子4×100mリレー4位入賞おめでとうございます! だいきくん: 「ありがとうございます」 ――だいきくんは、何走だったのですか? だいきくん: 「2走っす」 ――全国大会の舞台は緊張しましたか? だいき くん: 「予選は大丈夫だったすけど、 準決勝と決勝はヤバかった っす。めっちゃ緊張しました!」 ――レース後の表彰式で撮影された写真が、「 月刊陸上競技 」10月号に載ってますね。ダイキくんの姿を見つけたときは、とてもうれしかったし、誇らしかったですよ。かっくいー! 2017年8月に熊本県で開催された全中の結果が載ってる「月刊陸上競技」10月号。 だいき くん: 「実は、その写真の時、 めっちゃ落ち込んでた んす」 ――どうして?表彰台に上がって、賞状をもらって、最高にうれしい瞬間じゃないの? だいきくん: 「優勝したチームのタイムが 中学生新記録 だったっす。めちゃくちゃ速くて、勝負にならなかったっす。悔しかったっす」 ――いい経験ができましたね。 だいき くん: 「来年がんばるっす」 ◆ 37年ぶりに日本記録を樹立 ――全中が終わってから、調子はどうですか? だいき くん: 「この前の日曜日(10/9)、 日本新記録 をだしたっす」 ――えっ?日本新記録!? だいき くん: 「 大阪市民陸上カーニバル で、 低学年リレー (※)ってのがあったんすけど、僕はアンカーで走って日本記録を出したっす」 ※【低学年リレー】中学2年生と1年生でチームを編成するリレー。中2が第1走と第4走、中1が第2走と第3走をつとめる。 ――すごいすごい!調べてみたら、なんと1980年以来破られなかった記録を 37年ぶり に更新したって話じゃないですか!ダイキくん、 日本記録保持者 なんだ!」 だいき くん: 「 そうっす(得意気) 」 さらに、いよっっつ!

【ランニング】フルマラソンを走るたびに、あなたはなぜ足を痛めるのか?~「ジミー」と呼ばれたランニングシューズの話。~

あなたはこのシューズの虜(とりこ)になる そのランニングシューズは、「 Jimmy (ジミー) 」と呼ばれた。 ジミーというからには「男」なのだろう。 いや、もし彼が、巷のマラソンブームを彩(いろど)るような、 シャレオツ で カラフル なデザインであったならば、「 ハーディー (派手) 」とでも呼ばれ、可愛い女の子として扱われていたかもしれない。 しかし、彼のいでたちは、おそろしく「 ジミー (地味) 」であったのだ。 彼の本当の名前は「 GEL SOUNDER(セルサウンダー) 」という。 「ジミー」ことゲルサウンダーさん このシューズをはじめて見たランナーの多くは、履くことに難色を示した。 「えー、これランニングシューズなんですかー?」 「ウォーキングシューズか登山靴みたいー!」 「このデザイン、なんとかなりませんかねー」 しかし、一度足を入れると、誰もがこのシューズの虜(とりこ)になった。 「足が楽!歩きやすい!走りやすい!」 「こんないいシューズがあったんですね!」 この5年間、オリンピアサンワーズで最も多くフィッティングされたのは、この「ジミー」ことゲルサウンダーさんである。 ジミーはいい仕事をした。 たくさんの奇跡を起こした。 外反母趾 で歩けない人も、マラソンで 膝を痛めた ランナーたちも、ジミーをオーダーメイド・インソールでフィッティングすれば、百発百中で問題が解消した。 なぜ、ジミーは奇跡を起こせたのか? その説明の前に、ランニングにおける大事な話をしなければなるまい。 ◆ 足を痛める理由。タイムが伸びない理由。 ランナーの誰もが、ケガや故障なく、1分でも1秒でも速く走りたいと願っている。 そんな、カラダに ムリがなく 、動きに ムダのない 、「 効率的なランニングフォーム 」を身につけるには、どうすればいいのか? 川見店主は訴える。 『正しく立つ・歩く』練習をするしかないと。 その話↓  「正しく歩く」のポイントは次の5つだ。 1)姿勢をよくし、腰を入れる 2)足を前に出す時に外股・内股にならない 3)膝をビシっと伸ばす 4)足指でしっかり地面を踏みしめる 5) 拇指球(ぼしきゅう)で地面を押す 「正しく歩く」と、足元の重心が

【三段跳】高校2年生の彼女は三段跳びをはじめた。~熊本の少女が全国インターハイに出場するまでの8年間の話。(その1)

2009年夏。小学4年生の彼女は熊本空港から飛び立った。 その日、九州の空は晴れ渡っていたはずだ。 彼女を乗せた飛行機が熊本空港から飛び立った。 8年前の夏休み。 大阪への日帰りの旅。 彼女は小学4年生だった。 隣には大好きなお父さんとお姉ちゃんが座っている。 だから楽しいはずだった。 でも、旅の目的が彼女にはちょっと不思議だった。 「どうしてシューズを買うためだけに、飛行機に乗ってわざわざ大阪まで行くんだろう?」 空から降りた大阪は暑かった。 空港から電車を乗り継ぎ、ようやくたどり着いた駅。 その「鶴橋(つるはし)」という駅名が、彼女にはなぜか強く印象に残った。 しばらく歩くと店についた。 そこは店でないような店だった。 お父さんにうながされて中に入った。 彼女は少し緊張したけど、お姉ちゃんといるから大丈夫だった。 *** 8年前に熊本県からやって来た、その姉妹の足型測定用紙が今も店に残っている。そこにはこんな風に記されている。 <2009年8月○日> ・姉エリサ 中1 陸上100m14秒2  サイズ 左24.0cm、右24.2cm ・妹エリナ 小4 サッカー  サイズ 左21.7cm、右21.6cm 当時の記憶をたどる。 たしかその日、お父さんはお仕事の関係で、姉妹を店に残してしばらく外出された。ふたりはお行儀よく店で時間を過ごしていた。 陸上競技をはじめた姉エリサちゃんにはランニングシューズと短距離用スパイクシューズをフィッティングした。 妹エリナちゃんのサッカースパイクシューズは取り寄せなければならなかった。だから、彼女だけは1週間後にもふたたび熊本県からお父さんと一緒に来店してフィッティングを行った。 *** この2回の大阪への旅で、彼女には「鶴橋」という駅名の他にも印象に残ったことが2つあった。 1つ。その店で足型を測定してもらった時に、足の裏がとてもくすぐったかったこと。 2つ。その店のおばちゃんに色々教えてもらったこと。特に、お姉ちゃんは、正しい姿勢での立ち方・歩き方、短距離の走り方や練習方法を熱心に教えてもらっていた。それを見ていた彼女はこう思った。 「自分も大きくなったら陸上競技をやろう。そして、またお父さんに、このお店に連れてきてもらおう。」

【ハリマヤ】いだてん金栗四三とハリマヤ黒坂辛作、その情熱の襷(たすき)を。~ハリマヤサイトに新ネタを追加

『月刊陸上競技』1983年7月号に掲載されたハリマヤの広告 金栗四三の「情熱」 みなさん、こんにちは。 毎週日曜日の夜8時からは、なにがなんでもテレビの前に座って、NHK大河ドラマ「 いだてん~東京オリムピック噺 」を見ています。 先週の< 第7話「おかしな二人」 >で、中村勘九郎さん演じる主人公の 金栗四三 さんが、オリンピック開催地のスウェーデンに向かう準備として、 礼服一式 を新調したり テーブルマナー を学んだりする、といった話がありました。 ドラマ上の脚色はありますが、本当にあった話だそうです。 また、今では到底に考えられませんが、国から渡航費などの援助はまったく無く、「 自腹 」でオリンピックに参加した、というのも本当の話だそうです。マジか! だって、この本に書いてたもん↓ 『 走れ25万キロ~マラソンの父金栗四三伝<復刻版> 』 「走れ25万キロ~マラソンの父 金栗四三伝」復刻版 長谷川孝道著 (熊本日日新聞) 「 自腹 」つながりで、話をもうひとつ。 この本 『走れ25万キロ~マラソンの父・金栗四三伝』 は、1961年に出版された名著ですが、長い間ずーっと絶版になってました。 しかし、著者の 長谷川孝道 さんは、金栗さんの偉業を後世に伝え残すために、なんとこの <復刻版> を2013年に 自費出版 されたんですって!マジですか! 長谷川さんが 執念 で自費出版するに至った経緯の詳しくは、娘さんでピアニストの樹原涼子さんがブログに書かれてます。感動しました↓ 金栗さんの「 情熱 」が、日本のマラソンをつくった。 長谷川さんの「 情熱 」が、金栗さんの偉業を残した。 「 情熱 」の襷(たすき)は、受け継がれる。 どうか、この本を手にしてほしい。 あなたの胸にも、きっと、「 情熱 」の火種が灯ることだろう。 黒坂辛作の「情熱」 さて、ドラマ「いだてん」でピエール瀧さん演じる「 播磨屋足袋店 」の 黒坂辛作 さんは、金栗四三さんとともに「 マラソン足袋 」を開発した人物です。 黒坂さんもまた、金栗さんの「 情熱 」に「 情熱 」でこたえた人でした。 黒坂辛作 ハリマヤ創業者 黒坂さんの「 情熱 」が生み出しだ「 カナグリ足袋 」や「 カナグリシューズ 」は

【ラジオ出演】川見店主がFM放送「MUKOJO(武庫川女子大学)ラジオ」に登場は3月6日午後8時からです!

川見店主がラジオ出演です! みなさん、こんにちは! ここ数年、「陸王」やら「いだてん」やらの関連で取材を受け、各メディアに「 イヤイヤ 」露出する機会が増えてる川見店主。 で、今度は ラジオ で公共の電波に乗っかります(笑)! 川見店主が出演するのは、 FMOH!851 (FM大阪)で放送(毎水曜日20時~)の 「 MUKOJOラジオ(武庫川女子大学ラジオ) 」。 このラジオ番組は、「 輝く女性を応援! 」をテーマに、各界で活躍する武庫川女子大学の卒業生や在学生をゲストに、仕事や活動や大学時代の学びについて楽しいトークを繰り広げる、というものだそうです。 収録を終えた川見店主に話を聞きます。 川見店主 ――川見店主、おつかれさまでした。 川見店主: あー、緊張した。あー、つかれた。 ――収録は順調に終わりましたか? 川見店主: わかんない。なにをしゃべったか覚えてない。あー、緊張した。 ――今回の出演に至った経緯を教えてください。 川見店主: 武庫川女子大学は私の 母校 です。私の同期の友人が、私の記事が掲載された雑誌 『りぶる(2019年1月号)』 を大学に送ってくれたことがきっかけで、番組に招いていただきました。 「りぶる」はこんな記事↓ ――番組収録にあたっては、大学の広報さんと事前にも電話で打ち合わせを行ってましたね。その模様は横で聞いてましたが、川見店主がしゃべりまくって、広報さんがかわいそうになるくらいの 長電話 になってましたね。 川見店主: 学生時代から現在の仕事をするまでのことを聞かれて、ひとつひとつこたえただけなんですけども。 ―― 波乱万丈が過ぎますもんね、人生が。 川見店主: 広報さんに「番組でもぜんぶお話していただきたいですが、 シリーズで3回分くらいになってしまいます 」と言われてしまいました(笑)。 ――30分の番組ですが、まとまりましたか? 川見店主: DJの塩田えみさんがお話をリードしてくださったので、それに必死に乗っかって行った、という感じです。 進行をつとめるDJの塩田えみさん(右)と川見店主(左)。 ――収録では、主にどんな話をしたのでしょう? 川見店主: なぜオリンピアサンワーズの二代目を継いだのか?という