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【短距離走】100mを10秒66で走る彼が、ゆっくり走って見えた理由。~大学生スプリンターりょうくんの話(その1)



【問題】

2013年春、高校3年生で陸上部の短距離選手だったりょうくんは、近畿インターハイの男子100m決勝を10秒66の好タイムで走り3位入賞、全国インターハイ進出を決めました。
しかし、その決勝のレースを見ていた人たちには、りょうくんがとてもゆっくり走っているように見えました。それはなぜでしょうか?

<ヒントはこの記事の中にあります>

*****

彼は中学生の時から「正しく立つ・歩く」姿勢をカラダにたたきこんだ。(2008-2011)

2008年春。
中学生になった彼は陸上部に入部した。
短距離走と走り幅跳びに興味をもった。
お母さんは、彼にはがんばらせてあげたかったし、ケガや故障をしてほしくなかったので、ちゃんと足に合うシューズを履かせてあげようと思った。

お母さんに連れられて、彼は初めてオリンピアサンワーズにやってきた。
素直で、まじめで、快活で、話好きで、人懐っこく笑う男の子だった。
シューズをフィッティングすると、気が済むまで店内を走ってみせた。

彼はスクスクと育った。
足のサイズが大きくなるたびにシューズのフィッティングにやってきた。
川見店主は彼の未来のために、カラダの「土台づくり」にこだわった。
日常生活で常に「正しく立つ・歩く」姿勢を意識するよう彼に求めた。
だから、彼が中学時代にフィッティングしたシューズ15足のうち、実にその半分は普段履き用の「歩くための」シューズだった。
「歩く・走る」力を呼び覚ますシューズ<ゲルリーク>。彼は中学~高校の6年間ずっとこのシューズを履いて「正しく立つ・歩く」姿勢をカラダに叩き込んだ。ゲルリーク在りし日の特別サイトはこちら

こうして彼は、大事な成長期に「正しく立つ・歩く」姿勢をカラダに叩き込んだ。
お母さんの望みどおり、彼は三年間たいしたケガも故障もしなかった。
放課後になると誰よりも早くグラウンドに飛び出し、一生懸命に走りつづけた。


100mを10秒93で走る。(2011-2012)

2011年春。
彼が進学した公立高校は優秀な進学校だった。
勉学に時間を割かねばならなかった。
それでも彼は陸上競技をつづけた。
やはり、放課後になるとグラウンドを一生懸命に走りつづけた。
高1のシーズンが終わる頃には、100mを11秒台前半で走れるようになっていた。

2012年秋。
高2の彼は100mを10秒93で走り、はじめて11秒の壁を破った。
周囲の人たちは少なからず驚いた。
でもそれは、彼が普通の「公立高校」に通う選手だったからだ。
「強豪高校」では、100mを10秒台で走る選手は珍しくもなんともない。
だから当時、他校の陸上競技関係者で彼の存在を脅威に感じた人はいなかった。
ああ、公立でがんばってる子がいるらしいな、というほどのものだった。


30足のシューズが全国インターハイへ導く(2013)

意識しつづけた「正しく立つ・歩く」姿勢が、いつしか走りの土台をつくっていた。
地道な積年の努力が芽を吹きはじめた。
そして、もうすぐ、彼の運命は花開く。

2013年春。
高3になり最後のシーズンを迎えた。
彼には密かな決意があった。

「この夏、全国インターハイの舞台に立つ」

川見店主は、それは可能であると思っていた。
夢の舞台へ立つ準備は、誰にも知られず、大阪にある小さな店のインソール工房で進められた。
川見店主はタイプの違う2種類のスパイクシューズを用意し、それぞれに合わせたオーダーメイドのインソールを作成した。
これまで彼にフィッティングしたシューズは、中学時代から通算で30足を越えていた。
川見店主の手はすでに彼の「足のかたち」を覚えていた。
走りをイメージしながら、自由自在にインソールの調整を繰り返した。
できあがった2足のスパイクシューズは、彼とともに走ってきた6年間の集大成ともいえる「作品」となった。
2013年春。彼とオリンピアサンワーズがともに走ってきた6年間の集大成となった2足のスパイクシューズ。

彼はカラダのコンディションとレースの勝負感で、この2つのスパイクシューズを使い分けることになった。彼と川見店主は、顔を合わせる度に全国インターハイに進むための作戦を練った。

【5月、全国インターハイ大阪予選大会】
彼は男子100mにおいて、予選10秒90(組1位)、準決勝10秒86(組1位)と10秒台の自己ベスト記録を連発。
そして決勝でも10秒90の快走を見せ4位入賞、近畿インターハイへ駒を進めた。
この時になって、ようやく大阪の陸上競技関係者は彼の名前をはっきりと認識した。

【6月、全国インターハイ近畿予選大会】
彼はここでも自己ベスト記録を連発した。
予選を10秒67(組1位)で通過すると、つづく準決勝をなんと10秒57(組1位)で突破、そして決勝は10秒66で堂々3位に入賞し、夢の全国インターハイ進出を決めた。
昨年までまったく「無名」だった公立高校生の快進撃に、誰もが驚き、称賛の拍手を送った。

【8月、全国インターハイ】
彼は予選を10秒68(組2位)で突破。
準決勝へ進出し10秒71(組5位)の結果を残して高校3年間の競技生活を終えた。


彼の選んだ道(2013~)

全国インターハイが終わると、彼は普通の高校生にもどった。
そして、受験勉強をはじめた。
もちろん、全国インターハイに行くほどの結果を残した彼なのだから、陸上競技の強豪大学から進学の声がかかったはずである。
しかし、彼には他に目指すものがあった。
一般試験を受けて、希望の大学へと道を進めた。

今、彼は関東でひとり暮らしをする。
この春大学3回生になった。あと3年学ぶ。
もちろん研究に時間を割かねばならない。
いずれは国家試験を受けることになる。
それでも陸上競技をつづけている。
授業が終わると、大きなカバンを背に練習場にかけつける彼の姿がある。


彼の隣を走っていたのは、あの選手だった

さて。

話は今一度2013年に戻る。
6月の全国インターハイ近畿予選大会。
男子100m決勝。

高校生の地方大会であるにもかかわらず、このレースは世間の注目を浴びていた。
トラックの周辺には報道陣があふれ、テレビカメラも数台並んでいるほどだった。
結果、彼の走る姿は、新聞やテレビやインターネットなどのメディアを通して多くの人が目にすることになった。
しかし、「目にした」とはいえ、それが「彼」であることを認識した人は多くはない。

世間が注目し、マスコミが追っていたのは、彼の「隣のレーン」を走る選手だった。
その選手は、数か月前に行われた織田記念大会で100mを10秒01で走っていた。
その後、その選手が走る度に、日本人初の「9秒台」が期待されるようになっていた。

その選手は別次元の走りを見せた。
スタートの瞬間から他の選手を置き去りにし、ぐんぐんと引き離し、そのまま風を切ってフィニッシュラインを越えていった。
記録10秒17は大会新記録。
このレースを見た人たちは言う。
その選手は、あまりに速すぎた。
だから、2位以下の選手の走る姿がスローモーションのように見えたと。

あの日、あの時のレースを、彼はこんな風に話してくれる。

「近畿予選の決勝も、全国インターハイの準決勝のレースも、僕の隣のレーンを走ったのは、あの桐生選手だったんですよ。僕がスタートして真っ先に見える景色が、いつも桐生くんの背中でした。走るたびに彼が速すぎて、笑ってしまいそうでした(笑)」

*****

【問題の答え】

隣のレーンで桐生選手が走ってたから。


(つづきます↓)
・その2 100mを日本人初の9秒台で走った選手は隣のレーンを走っていた。



旧ブログでのりょうくん記事もちぇけら↓

・2012/04 100m11秒4で走った話
・2012/05 100m10秒台を目指すシューズ
・2012/12 100m10秒台に導いたシューズ
・2013/03 一番勝負のスパイクシューズ
・2013/04 勝ち進むスパイクシューズ
・2013/06 全国インターハイ進出を祝う
・2015/03 旅立つりょうくん(その1)
・2015/03 旅立つりょうくん(その2)


【関連サイト】

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