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【短距離走】たった半年で100mの記録を0.6秒も更新し、全中で4位に入賞した中学2年生スプリンターにフィッティングした7足のシューズとインソールとは?


全中で4位入賞

だいきくんは、中学2年生のスプリンター。
陸上競技の強豪校でがんばってます。
100mの自己ベスト記録は11秒39
今年の夏には全中(全日本中学校陸上競技選手権)に出場し、男子4×100mリレーで見事に4位入賞を果たしました。

いよっっつ!


――だいきくん、全中出場&男子4×100mリレー4位入賞おめでとうございます!

だいきくん:「ありがとうございます」

――だいきくんは、何走だったのですか?

だいきくん:「2走っす」

――全国大会の舞台は緊張しましたか?

だいきくん:「予選は大丈夫だったすけど、準決勝と決勝はヤバかったっす。めっちゃ緊張しました!」

――レース後の表彰式で撮影された写真が、「月刊陸上競技」10月号に載ってますね。ダイキくんの姿を見つけたときは、とてもうれしかったし、誇らしかったですよ。かっくいー!
2017年8月に熊本県で開催された全中の結果が載ってる「月刊陸上競技」10月号。

だいき
くん:「実は、その写真の時、めっちゃ落ち込んでたんす」

――どうして?表彰台に上がって、賞状をもらって、最高にうれしい瞬間じゃないの?

だいきくん:「優勝したチームのタイムが中学生新記録だったっす。めちゃくちゃ速くて、勝負にならなかったっす。悔しかったっす」

――いい経験ができましたね。

だいきくん:「来年がんばるっす」


37年ぶりに日本記録を樹立

――全中が終わってから、調子はどうですか?

だいきくん:「この前の日曜日(10/9)、日本新記録をだしたっす」

――えっ?日本新記録!?

だいきくん:大阪市民陸上カーニバルで、低学年リレー(※)ってのがあったんすけど、僕はアンカーで走って日本記録を出したっす」
※【低学年リレー】中学2年生と1年生でチームを編成するリレー。中2が第1走と第4走、中1が第2走と第3走をつとめる。

――すごいすごい!調べてみたら、なんと1980年以来破られなかった記録を37年ぶりに更新したって話じゃないですか!ダイキくん、日本記録保持者なんだ!」

だいきくん:そうっす(得意気)

さらに、いよっっつ!


つーわけで、伸び盛りのダイキくんが、ここ1年間にフィッティングしたシューズたちを、ずばばばーんっとご紹介する今日のアムフィット!自己ベスト記録の更新ぶりもちぇけら!

【2016年秋】
はじめてのご来店。
当時、中1だった彼の100m自己ベスト記録は11秒92
川見店主は、学校生活のシューズからスパイクシューズに至るまで、彼が使用するすべてのシューズの見直しを図り、4足のシューズ選んでオーダーメイド・インソールでフィッティングした。
(右上)練習用アップシューズ、(右中)ランニングシューズ、(右下)学校生活用シューズ。装着したオーダーメイドインソールは、いずれも最上級インソールのゼロアムフィット。

練習用の短距離スパイクシューズをフィッティング。装着したのは最上級インソールのゼロアムフィット。


【2017年春】
2度目の来店。
アシックスのイージーオーダーシステムで作成したオリジナルカラーのスパイクシューズをフィッティング。
オーダーメイドインソールを搭載したこのスペシャルなスパイクシューズで、彼は4月に100mの自己ベスト記録を11秒72に更新、7月にはなんと11秒39まで更新した。いいぞいいぞ!
バーニングレッドのアッパー、ブラックのアシックスラインをゴールドが縁取る、情熱的なカラーリングの1足。装着したのは最上級インソールのゼロアムフィット。


【2017年秋】
そして今回、さらなる記録向上を目指して、練習用スパイクシューズと、トレーニング用アップシューズをフィッティング。
装着したオーダーメイドインソールは、いずれも最上級インソールのゼロアムフィット。

さぁさぁさぁ、ダイキくん、履き心地はいかがでしょーかー!

だいきくん:「めっちゃいいっす。(2足のシューズを履いてはさっさと脱ぐ)」

川見店主:「そんなに早くOKしないで、もっと履き心地を確かめてよ。いやな感じがするところはインソールを微調整するからさ」

だいきくん:「そう言われても、いやなところはないっす。これで大丈夫っす」



「未完の大器」

だいきくんは、この秋から、110mH(ハードル)にも挑戦してるそうです。

だいきくん:「この前、はじめて110mハードルの試合に出たんですけど、その時の動画見てもらえますか?」

スマホで動画を再生、彼のハードリングを確認する川見店主。

川見店主:「はじめてにしては上手くハードルをこなしてるね」

だいきくん:「そうっすか」

川見店主:「もちろん改善の余地はたくさんあるけれど。ちょっと、ここでやってみよっか」

店内に簡易マットを敷いて、その上でハードリングのフォームをつくるだいきくん。

川見店主:「股関節をもっと柔らかくしないとね」

だいきくん:「はい」

川見店主:「だいきくんは身長があるから有利だよね。それに、中学時代はカラダづくりの大事な時期だから、いろんな種目に挑戦したらいいと思うよ」

だいきくん:「マジっすか」

川見店主:「どんな可能性が花開くかわからないからね。例えば、400mもやってみるとか」

だいきくん:「400mは長いっす。この前走って死にそうになりました。あれはヤバいっす」

川見店主:「じゃあ、砲丸投げとかさ」

だいきくん:「砲丸は重いっす。あれもヤバいっす」

川見店主:「砲丸が軽かったら競技にならないよ(笑)」

だいきくん:「そりゃそうっす(笑)」

川見店主:「混成の4種競技やってみたら?」

だいきくん:「4種って、110mハードル400m砲丸投げ走り高跳び、っすよね?」

川見店主:「そうそう。長い400mも、重い砲丸投げも、どっちもしないといけないけどね(笑)」

だいきくん:「それ、相当にヤバいっす(笑)」

この物怖じしない会話に漂う大物感。
でも、彼はまだ中学2年生です。
瑞々(みずみず)しい若葉のように、そして、いずれ立派な大樹のように。
可能性を無限に秘めた彼には、「未完の大器」って言葉がぴったりですね。

だいきくんの益々のご活躍を祈ります!
がんばってねー!

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