スキップしてメイン コンテンツに移動

【マラソン】大阪マラソン2018をオリンピアサンワーズ前で応援しまーす!

大阪マラソン大会HPより

明日は大阪マラソンです!

明日、2018年11月25日(日)第8回大阪マラソンが開催されます。
オリンピアサンワーズでは、毎年、店の前を走り過ぎる3万人(+チャレンジラン2千人)のランナーを応援しています。

過去の応援の模様↓
2011年の第1回大会
2012年の第2回大会
2013年の第3回大会
2014年の第4回大会
2015年の第5回大会
2016年の第6回大会の写真

昨年(2017)は、川見店主がテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」の収録に東京へ行っちゃってたので、川見店主の化身「きゃわみたんデラックス」が、みなさんを応援したのでした。

これが応援看板怪獣「きゃわみたんデラックス」だ!↓
ぴぎゃーーっす!(鳴き声)

2017大阪マラソンの話↓


そして、東京ではこんなドラマも生まれていた↓


昨年の応援風景。ランナーたちを応援する「きゃわみたんデラックス」とサンワーズ応援団@大阪マラソン2017↓
(撮影:よねまーる氏)


今年も応援、写真も撮ります!

もちろん今年も我々はみなさんを応援します。
オリンピアサンワーズは、大阪城公園前のスタートから、「玉造(たまつくり)筋」を通って約3km程の地点に位置しています。
大会HPからコースマップを拝借。スタートから約3kmほどの地点に位置する当店。

当店前を通過するみなさんは、レースははじまったばかりなので、まだまだ元気(笑)。
その爽やかな笑顔と走り去る勇姿は、できるかぎり写真に撮って、レース後にプレゼントさせていただいてます。こんな風に↓
走るみなさんの勇姿@大阪マラソン2016

でもね、こうやって写真に撮るの、スゴクムズカシイ
なぜなら、まずみなさんを見つけるのがムズカシイんですよ。
その理由は3つ。

【理由1】イキフンが違い過ぎる
走ってる時のみなさんは、断然にカッコイイ。お店でお会いする時とは雰囲気が違いすぎて別人みたいです(いつもの皆さんがカッコ悪いということではない)。

【理由2】ランナー多すぎ
スタートから3kmほどの地点で、まだまだ「ばらけて」ない3万2千人のランナーが、道路の幅いっぱいに広がって「どどどーーっ!」と押し寄せる。その中から、しかもいつもとは別人のようなみなさんを見つけるのはカンタンじゃーありません。

【理由3】コースが不利
当店通過から約160メートル先の交差点(下味原)で、コースは「西」へと直角に「右折」します。わざわざ当店寄りの位置を走ってくださるランナーは、この右折が大回りの「アウトコース」になってしまい、タイムロスのリスクあり。だから、1分1秒を争う真剣勝負では「インコース」を走るのが当然なのですが、応援する我々との距離が遠くなってしまい、見つけにくいんです。
例えば、サブスリーランナー・フジイサトシさんの姿はいつも遠い↓
サトシさんを見つけんの必死です@大阪マラソン2017

……とまぁ、こんな感じで、結局は、
オリンピアさーん!
とか
かわみさーーん!」とか、
ランナーのみなさんからお声をかけていただいて、こちらが気づくってことになりがちな例年のサンワーズ応援団です。
何卒よろしくお願いいたします。


きゃわみたんデラックス、ふたたび…!?

さて、今年は、あのキャラクターは登場するのでしょうか?

つーか、あの看板、まだ店にあんのかな?
ほかしてしもうたんちゃうかな?
たしか、店の奥の方にしまったような……。

ゴソゴソ……(←探す)

……あ、あれは!
あれは、きゃわ……

つーわけで、2018年の大阪マラソンは、明日11月25日午前9時スタート!
ランナーのみなさまのご健闘をお祈りいたします!
店の前でお待ちしてまーす!

この記事をシェアする
  • B!

コメント

このブログの人気の投稿

【マラソン】月間150kmの練習でフルマラソンを3時間25分で走れるようになった女性ランナーの秘密とは?

眠っていたのは○○な才能だった スポーツは得意ではなかった。 体育祭はいつも憂鬱(ゆううつ)だった。 中学時代は、いわゆる「帰宅部」。 でも高校では空手部に入ることになった。 友人にこんな風に誘われたのだ。 大丈夫、空手は運動神経とか関係ないから。 「入部してわかりました。関係ないわけないじゃん!って(笑)」 せっかく入ったのでつづけてみた。 自分の中に眠る「何か」の才能が花開くかもしれないし。 3年つづけた結果。 「空手の才能は眠ったままか、元々ないのかのどちらかだったみたいです(笑)」 その後もスポーツとは無縁の生活。 しかし、体力がだんだん落ちていくのが気になりだした。 「これからもっと年齢を重ねたら……って将来のことを考えると、元気なおばあちゃんでいたいなって思ったんです」 ならば、今から足腰を鍛えておかなければ。 6年前から少しずつ走りだした。 マラソン大会なるものがあることを知る。 思い切って地方の大会に申し込んだ。 4.5kmのレース。 「それが、あっという間に走り終わって。せっかく遠くまできたのに、走る時間が短いと来た甲斐がないなーと思ったんです」 今度は10kmのレースに出場。 50分程度で走れた。 5年前(2012)、大阪マラソンに申し込んでみたら当選した。 初めて42.195kmを走ることになった。 それがどんな距離なのかは想像できなかった。 ペースも目標タイムも何も設定できなかった。 完走できるかどうかも、もちろんわからない。 だから、自分の思うままに、カラダの動くままに走りつづけてみた。 「大阪マラソンはレース後半で食べ物がたくさん並んでいるエイドがあるでしょう?そこで、めいっぱい食べて(笑)。それが美味しかったし、楽しかったですね」 初フルマラソンは4時間30分で無事に完走。 以降、毎年フルマラソンに挑戦する。 ・2013/10 大阪 3時間59分 ・2014/10 大阪 3時間57分 ・2015/11 淀川 3時間45分 ・2016/02 口熊野 3時間31分 ・2016/10 大阪 3時間28分 ・2017/02 京都 3時間25分(PB) 走る度に記録を更新。 いつの間にかサブ4からサブ3.5ランナーへ。 眠っていたの

【短距離走】たった半年で100mの記録を0.6秒も更新し、全中で4位に入賞した中学2年生スプリンターにフィッティングした7足のシューズとインソールとは?

全中で4位入賞 だいきくんは、中学2年生のスプリンター。 陸上競技の強豪校でがんばってます。 100mの自己ベスト記録は 11秒39 。 今年の夏には 全中(全日本中学校陸上競技選手権) に出場し、 男子4×100mリレー で見事に 4位入賞 を果たしました。 いよっっつ! ――だいきくん、全中出場&男子4×100mリレー4位入賞おめでとうございます! だいきくん: 「ありがとうございます」 ――だいきくんは、何走だったのですか? だいきくん: 「2走っす」 ――全国大会の舞台は緊張しましたか? だいき くん: 「予選は大丈夫だったすけど、 準決勝と決勝はヤバかった っす。めっちゃ緊張しました!」 ――レース後の表彰式で撮影された写真が、「 月刊陸上競技 」10月号に載ってますね。ダイキくんの姿を見つけたときは、とてもうれしかったし、誇らしかったですよ。かっくいー! 2017年8月に熊本県で開催された全中の結果が載ってる「月刊陸上競技」10月号。 だいき くん: 「実は、その写真の時、 めっちゃ落ち込んでた んす」 ――どうして?表彰台に上がって、賞状をもらって、最高にうれしい瞬間じゃないの? だいきくん: 「優勝したチームのタイムが 中学生新記録 だったっす。めちゃくちゃ速くて、勝負にならなかったっす。悔しかったっす」 ――いい経験ができましたね。 だいき くん: 「来年がんばるっす」 ◆ 37年ぶりに日本記録を樹立 ――全中が終わってから、調子はどうですか? だいき くん: 「この前の日曜日(10/9)、 日本新記録 をだしたっす」 ――えっ?日本新記録!? だいき くん: 「 大阪市民陸上カーニバル で、 低学年リレー (※)ってのがあったんすけど、僕はアンカーで走って日本記録を出したっす」 ※【低学年リレー】中学2年生と1年生でチームを編成するリレー。中2が第1走と第4走、中1が第2走と第3走をつとめる。 ――すごいすごい!調べてみたら、なんと1980年以来破られなかった記録を 37年ぶり に更新したって話じゃないですか!ダイキくん、 日本記録保持者 なんだ!」 だいき くん: 「 そうっす(得意気) 」 さらに、いよっっつ!

【マラソン】63歳でサブ3.5を連発する男性ランナーは、何歳まで走りつづけるのか?

フルマラソンに挑戦する 50代 以上の 男性ランナー を応援するブログ「 50s Runners Club(フィフティーズ・ランナーズ・クラブ)」 。 第5回目は、60代にして サブ3.5 ランナー のK谷さんがご登場です! ***** 52歳からのマラソン人生 走りはじめたのは、40代最後の年だった。 健康のために、というか、お腹まわりが気になりだしたのだ。 年をとるのは仕方がない。 でも、いつまでもカッコよくスーツを着こなす自分でありたい。 30分程度、ゆっくり走って汗を流す。 それだけでいいはずだった。 ところが、 K谷さん: 「走ってると周囲の人に言われるわけよ。『あ、やっぱり、マラソン走るんですか?』って。それで、近所をちょこちょこ走るだけでは、なんかカッコがつかんなぁと思いはじめた」 毎朝のランニングを2年。 そろそろ、「マラソン大会」と名のつくものに出場してみようかと思う。 10kmのレースに申し込んだ。 やるからには、いい記録で走りたい。 そのためには、自分の足に合うランニングシューズも必要だろう。 本気で何かをはじめる時には、徹底的に調べるタイプ。 おもしろそうな店を見つけた。 2006年秋。 オリンピアサンワーズに初めての来店。 当時、52歳。 K谷さん: 「店主が口うるさいからどうしようかと思った(笑)。やれ姿勢が悪いだの、ランニングフォームが悪いだの(笑)。でも、言うてることに筋は通ってたわな」 その「口うるさい」店主は言った。 「『走る』以前に、まず『 正しく立つ・歩く 』ことが大事です」 「『 歩く・ゆっくり走る 』練習で、ランニングフォームを鍛えてください」 その話をくわしく↓ 言われるままにフィッティングしたのは、このランニングシューズ。 「 ゲルリーク 」↓ 「歩く走る力を呼び覚ます」ゲルリークの詳しくは、 こちらのサイトで 。 K谷さん: 「選んでくれたシューズ。すすめられたソックス。作ってもらったオーダーメイドのインソール。どれも、これまで自分が履いてきたモノと全然違った。ほー、なかなか大したもんだなぁと、感心した」 「ホンモノ」か「ニセモノ」か、冷静に見極めるタイプ。 そして、見極めると決断が早い。

【ハリマヤ】無名の母たちがつくったハリマヤのシューズ~新潟県十日町市からのおたより

彼女たちこそが 一枚の古い写真。 木造の建物を背景に、きちんと整列した人たちが写る。 そのほとんどが、質素な作業服を身にまとった女性たちだ。 彼女たちは、きっと、市井に生きる無名の庶民の一人ひとりであったにちがいない。 しかし、ある時代において、多くの陸上競技選手やランナーたちを支えていたのは、まさしく彼女たちだったのだ。 ◆ 「いだてん」の足を支えた「ハリマヤ」 今年(2019)1月から毎週日曜日に放送されている NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」 。主人公は、日本のマラソンを創った 金栗四三 さんです。 金栗四三 (1891-1983) 金栗さんは、 1912年 の ストックホルム五輪 に、日本人初のオリンピック選手としてマラソンに出場、「 播磨屋(ハリマヤ) 」という足袋屋の足袋を履いて走りました。 しかし、北欧の堅い石畳のコースに足袋は弱く、金栗さんは膝を痛め、また日射病に倒れてレースを途中棄権するという悔しい結果に終わりました。 この失敗を糧に、金栗さんは、播磨屋の店主・ 黒坂辛作 さんと、マラソンを走る足袋を共同開発し、遂には、改良に改良を重ねて進化したマラソン足袋、いわゆる「 金栗足袋 」が誕生しました。そして、「金栗足袋」を履いた日本の歴代ランナーたちが、五輪や世界大会のマラソンで優勝する時代が1950年頃までつづきました。 ハリマヤ創業者・黒坂辛作 (1880-?) 播磨屋は戦後にはシューズメーカー「 ハリマヤ 」へと発展。 足袋を原点に持つハリマヤのシューズは日本人の足によく合いました。 また靴職人たちの高度な技術は他メーカーの追随を許さず、国産にこだわるハリマヤの良質なシューズは、長年にわたり陸上競技選手やランナーたちを魅了しつづけました。 残念ながら、ハリマヤは 1990年頃 に倒産しました。 しかし、私たちはハリマヤを忘れてはいません。 オリンピアサンワーズには、今なおハリマヤを愛する人たちから、たくさんの「声」が届きます。そして、みなさんの記憶から、ハリマヤの歴史が掘り起こされています。 みなさんの声↓ ハリマヤ第二の故郷 新潟県十日町市から さて。 先日も、当店のFB(Facebook)に1枚の画像とともにこんなメッセー

【ハリマヤ】金栗四三ミュージアムに展示された「カナグリシューズ」の謎に迫る!

「カナグリベガ」の「謎」 みなさん、こんにちは。 先日のブログ(9/7)でご紹介したとおり 、ただ今、 熊本県和水町 (なごみまち)の「 日本マラソンの父・金栗四三ミュージアム 」では、オリンピアサンワーズから出張してる秘蔵の「ハリマヤシューズ」とハリマヤの資料が特別展示されています(2020年1月13日まで公開)。 ハリマヤって何?の人はこれを読んでね↓ 伝説のシューズメーカーHARIMAYAの物語 そこで、ミュージアムの館長であるKさんが、その模様を撮影し、画像を送ってくださいました。 金栗四三さんの生まれ故郷に帰った、このハリマヤシューズたちの佇(たたず)まいをご覧あれ!    6足のハリマヤシューズとシューズバッグとカタログが展示されている (撮影・K館長) シブいーねっ! 展示された6足のシューズをご紹介しますと、 ・ カナグリベガ (マラソンシューズ) ・ ホノルルアトランテ (ランニングシューズ) ・ ハリマンスーパーストーム (短距離スパイクシューズ) ・ ハリマンプリズム (短距離スパイクシューズ) ・ ハリマンサンダー (短距離スパイクシューズ) ・オリンピアサンワーズ特製の 白スニーカー ハリマヤは、マラソンシューズだけには、必ず商品名に金栗四三さんのお名前を冠しました。 「 カナグリ〇〇〇 」っていう風に。 で、今回ミュージアムに展示されてるマラソンシューズ「 カナグリベガ 」がこちら↓ ハリマヤのマラソンシューズ「カナグリベガ」 (オリンピアサンワーズ店内で撮影) この カナグリベガ は、1985年頃に発売されました。 真っ白のアッパーに真っ赤な補強、それに、ゴールドの3本線のハリマヤラインが映えてます。 シューズにゴールドのラインって、今では珍しくもなんともないですが、当時は画期的だったそうですよ。 このシューズをはじめて見た時、オリンピアサンワーズの創業者・故上田喜代子は、 「なんやこれ、 のし袋かいな! 」 とぼやいたそうです(笑)。 たしかに、そんな色合いですけども! 創業者・上田のおばちゃん(1924-1986) で、その カナグリベガ 、この部分にご注目いただきたいのですが↓ カナグリベガのベロ部