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【テレビ出演】関西テレビ「コヤぶるッ!SPORTS」に川見店主が出演、大阪国際女子マラソンの魅力を語ります!

「コヤぶるッ!SPORTS」公式サイトより

テレビ番組「コヤぶるッ!」に川見店主が出演します!

みなさん、こんにちは!

今度の日曜日の1月27日は、大阪国際女子マラソン大阪ハーフマラソンが開催されます。
レースは12時10分の同時スタート。

それに先駆けて、レース当日朝の午前8時25分~8時55分には、関西テレビ放送「コヤぶるッ!SPORTS」に川見店主が出演し、大阪国際女子マラソンの魅力を語ります!


なぜテレビ出演の依頼がきたのか?

なんで川見店主に出演依頼が来たのか?
その理由は、14年前の話までさかのぼります。

2005年11月。
オリンピアサンワーズは、現在の鶴橋店舗に移転しました。
川見店主が、この場所を選んだ理由のひとつが、
店の前の道路が大阪国際女子マラソンのコース
であることでした。
そして、川見店主とサンワーズ応援団は、翌2006年1月の第25回大会から毎年ずっと、店の前でのレース観戦&応援にキャッキャッと参戦しております。
2018年大会の1枚。
先頭を走る松田選手と、それを追う前田選手。

大会は今年で38回目の開催。
我々が店の前で応援するのは14回目となります。

今回の番組では、これまで大阪国際女子マラソンを陰で支え応援してきた人たちを紹介するコーナーがあり、その一人に川見店主が選ばれた、って話です。

先日、ロケが行われました。
店に面した女子マラソンのコース「玉造筋」を前に、取材を受ける川見店主↓
「コヤぶるッスポーツ」ロケ中の川見店主


大阪国際女子マラソンを語る

――つーわけで、川見店主、またテレビに出ますね!

川見店主:ふー……ロケつかれた。さむかった。テレビとか苦手です。
川見店主

――とはいえ、ロケは2時間にわたって行われ、川見店主はいつものようにしゃべりまくってましたけども。

川見店主:話すのは大丈夫なんです。カメラを向けられるのがキライなんです。緊張で何をしゃべってるのか、自分ではわけわからんようになってました。

――話題が飛びまくってましたね。

川見店主:きっと編集が大変だと思います。

――大阪国際女子マラソンは1982年からはじまり、以来38年間つづいています。川見店主にとって、特に印象に残っている大会はありますか?

川見店主:それぞれの大会にドラマがありますからね。歴代優勝者の名前を見るだけで、そのレースが思い浮かびます。その中でも「特に印象に残っている」となれば、1988年第8回大会ですね。
第8回大阪国際女子マラソンが表紙となった月刊陸上競技1988年3月号
(オリンピアサンワーズ蔵)

――第8回大会の優勝者は、リサ・マーチン(豪)選手でした。

川見店主:この時、2位だった宮原美佐子(当時旭化成)選手の記録が2時間29分37秒で、女子マラソン日本新記録を更新。日本人女子で初めて2時間30分を切った快挙に、胸が震えました。
日本女子マラソンの新しい時代が開いた!
そんな瞬間に立ち会った感動がありました。

――月刊陸上競技1988年3月号の記事には、レースの模様がこんな風に書かれてます。
 愛弟子の激走にジッとしていられず、競技場から小雪舞う長居公園にGパンのまま飛び出していった1年前の宗茂コーチ。歩道で併走するシーンは、テレビを見ている人にはほほえましいぬくもりを与えたが、「あれは、今度は絶対にやったらいかんよ」と、弟の猛コーチから念を押されていた。それでなくとも「ルール違反ではないか」と味気ないことを言う人もいた。「今度やったら、宮原が失格にされるかもしれんし、競技場でずっとテレビにかじりついてますよ」
 茂コーチは、弁当にハシをつける余裕さえ見せて、確かに正面スタンド下にセットされたテレビの前にドカッと座っていた。
 しかし、宮原が40kmを過ぎ、ゴール付近で出迎えようとトラックに向かったときである。
 「やっぱり行ってくる」
 彼は第1コーナーから第2コーナーへと、トラックの外側を突っ走り、マラソンゲートをくぐって外へ出た。一緒に走ろうというのではない。宮原に最後のゲキをとばしたかったのである。
「宮原、2時間30分切れるから安心しろ!」
 それまで「シゲルさん」「タケシさん」と順番につぶやきながら走っていた宮原は、思いもしなかった茂コーチの声をはっきりと耳にした。
川見店主:旭化成のコーチ(当時)だった宗茂さんと宗猛さん兄弟、おふたりの興奮が伝わってきますね。

――前年の第7回大会でも、宮原さんは2時間32分10秒の2位で、このタイムは当時の日本歴代でも2位という好記録だったんですね。

川見店主:その時の模様も覚えてます。先ほどの月刊陸上競技の記事にも書かれてますが、宗茂コーチが競技場の外に飛び出して、ゴールを目指す宮原さんを大きな声で励ましながら併走したシーンも忘れられません。

――今年も、どんなドラマが生まれるか、楽しみですね。

川見店主:毎年、力走する女子ランナーのみなさんの姿に力をもらいます
挑戦する姿勢に気持ちを鼓舞されます。
レースを見た後は、
よしっ、私もがんばろう!
って思える。
それが、大阪国際女子マラソンの一番の魅力だと思います。

――というような話がおそらく紹介されるであろう、川見店主が出演するテレビ番組「コヤぶるッ!SPORTS」は、1月27日(日)午前8時間25分より関西テレビで放送予定でーす!



【ブログの大阪国際女子マラソン・ハーフマラソン記事】
2006年 ぬでればっ!
2007年 間近で見る迫力
2008年 福士選手が独走するも
2009年 スタッフ、長居へ走る
2010年 雨のレースを応援
2012年 うわ、外、めちゃ寒! 
2013年 ふくしーーーーっつ!
2014年 ハイタッチしすぎる我々
2015年 川見店主の手がジャマ
2016年 ハイタッチを注意される
2017年 店の前ぐるぐるの折返し
2018年 6000人のカボス

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