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【ハリマヤ】いだてん金栗四三とハリマヤ黒坂辛作、その情熱の襷(たすき)を。~ハリマヤサイトに新ネタを追加

『月刊陸上競技』1983年7月号に掲載されたハリマヤの広告

金栗四三の「情熱」

みなさん、こんにちは。

毎週日曜日の夜8時からは、なにがなんでもテレビの前に座って、NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」を見ています。

先週の<第7話「おかしな二人」>で、中村勘九郎さん演じる主人公の金栗四三さんが、オリンピック開催地のスウェーデンに向かう準備として、礼服一式を新調したりテーブルマナーを学んだりする、といった話がありました。
ドラマ上の脚色はありますが、本当にあった話だそうです。
また、今では到底に考えられませんが、国から渡航費などの援助はまったく無く、「自腹」でオリンピックに参加した、というのも本当の話だそうです。マジか!

だって、この本に書いてたもん↓
走れ25万キロ~マラソンの父金栗四三伝<復刻版>
「走れ25万キロ~マラソンの父 金栗四三伝」復刻版
長谷川孝道著
(熊本日日新聞)

自腹」つながりで、話をもうひとつ。
この本『走れ25万キロ~マラソンの父・金栗四三伝』は、1961年に出版された名著ですが、長い間ずーっと絶版になってました。

しかし、著者の長谷川孝道さんは、金栗さんの偉業を後世に伝え残すために、なんとこの<復刻版>を2013年に自費出版されたんですって!マジですか!

長谷川さんが執念で自費出版するに至った経緯の詳しくは、娘さんでピアニストの樹原涼子さんがブログに書かれてます。感動しました↓

金栗さんの「情熱」が、日本のマラソンをつくった。
長谷川さんの「情熱」が、金栗さんの偉業を残した。
情熱」の襷(たすき)は、受け継がれる。
どうか、この本を手にしてほしい。
あなたの胸にも、きっと、「情熱」の火種が灯ることだろう。


黒坂辛作の「情熱」

さて、ドラマ「いだてん」でピエール瀧さん演じる「播磨屋足袋店」の黒坂辛作さんは、金栗四三さんとともに「マラソン足袋」を開発した人物です。
黒坂さんもまた、金栗さんの「情熱」に「情熱」でこたえた人でした。
黒坂辛作
ハリマヤ創業者

黒坂さんの「情熱」が生み出しだ「カナグリ足袋」や「カナグリシューズ」は、日本の歴代ランナーたちをオリンピックや世界のマラソン大会で活躍させました。
1936年 カナグリ足袋でベルリン五輪マラソン優勝
1953年 カナグリシューズでボストンマラソン優勝

播磨屋は、戦後にはシューズメーカー「ハリマヤ」に発展。
足袋づくりを原点に持つハリマヤのシューズは日本人の足によく合いました。
職人たちの高度な技術は他メーカーの追随を許さず、国産にこだわるハリマヤの良質なシューズは、長年にわたり陸上競技選手やランナーたちを魅了しつづけました。


ハリマヤの「情熱」

そんな、ハリマヤの「情熱」を知ってほしいがために、オリンピアサンワーズが「自腹」で作ってるサイトが、こちらです↓

ほんでこの度、この「ハリマヤサイト」に、新たな3つの【章】が追加されたんですよ!

・ひとつめ!
第3章「1953年 山田敬蔵のカナグリシューズ」
読みたいひとはこちら

オリンピアサンワーズには、雑誌『月刊陸上競技』のバックナンバー(1982年~現在に至るまで)が保管されています。
で、<1987年6月号>の中に、この記事を発見したんです!
1953年ボストンマラソンを優勝した山田敬蔵さんが、「カナグリシューズ」秘話とハリマヤの思い出を語る貴重な資料ですよ!


・ふたつめ!
第5章「1972年 あの日の少年は今も走りつづけている」
読みたい人はこちら

この章は、当ブログのこの記事を転載したもの↓

オリンピアサンワーズの創業者・上田のおばちゃんとA先生とのエピソードが大好きです。
それに、古いハリマヤのカタログが一体誰のもので、なぜ大切に保管されてきたのか、その「小さな歴史」をとどめておきたかったので、この度「ハリマヤサイト」に追加しました。


・みっつめ!
第6章「1982-1989 さよならハリマヤ。最後に煌めいた8年間の記録」
読みたい人はこちら

オリンピアサンワーズに保管されてる雑誌『月刊陸上競技』のバックナンバーからハリマヤの広告を大発掘!1982~1989年までの8年間分、およそ100冊の中から見つけた広告全26点を大公開しました!
また、各広告の画像をタップ(クリック)すると、当店インスタグラムに連動して、その広告の全文(宣伝文句、商品名、素材、価格などなど)が読めるっていう、超ハイブリッドなスペシャルページになってるんです!
インスタのコメントにせっせと打ち込んだ文字数は、ぜーんぶでざっと2万文字
こんなん誰が読むねん
と自分自身にツッコみながらの大編集となりました。
アー、肩コッタ。
つーわけで、本邦初公開!
ハリマヤがこの世から姿を消すまでの8年間、最後の煌(きら)めきをご覧あれ!



「情熱」の襷(たすき)を

「ハリマヤサイト」を当店ホームページではじめて公開したのは、2012年12月20日
昨年(2018)12月には、新しい【章】を2つ追加した<新装改訂版>を公開。
その時の話↓
で、その後もこんな【章】がひとつと、今回の3つの【章】が追加され、現在の「ハリマヤサイト」は【12章】の構成となりました。
内容も時代順に再構成↓

序章「日本のマラソンをつくった金栗四三ともうひとりの男」
第1章「1903年 歴史は足袋からはじまった」
第2章1936年 黒坂辛作 我、世界に勝つ」
第3章「1953年 山田敬蔵のカナグリシューズ」
第4章「1954年 足袋からシューズへ 開発の軌跡」
第5章「1972年 少年とハリマヤの物語」
第6章「1982-1989 さよならハリマヤ」
第7章「2006年- みんなと語るハリマヤシューズの思い出」
第8章「2012年 鑑定 金栗四三のマラソンシューズ」
第9章「2013年 金栗四三ら開発 元祖マラソン靴」
第10章「2017年 消えたハリマヤシューズを探して」
第11章「2018年 陸王がつないだ100年のドラマ」
第12章「2019年 世界を制したカナグリシューズの秘密」

それに、第7章「みんなと語るハリマヤの思い出」のページには、驚きの投稿がつづいてるんですよね!
こんな話とか↓

こんな話とか↓
「ハリマヤサイト」は、たくさんの方々のご協力で、できあがっています。
みなさま、ありがとうございます!

黒坂辛作さんがハリマヤを創業したのは1903年。
金栗四三さんが初めてオリンピックに出場したのは1912年。
それから100年以上を経た今もなお、金栗さんと黒坂さんが燃やした「情熱」は、私たちを突き動かします。
胸の中に灯った火種。
2020年の東京オリンピックへ。
さらにその向こうの新しい時代へ。
「情熱」の襷(たすき)を受け継ぐのは、いよいよ私たちの番です!

(おわりです)

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