スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(50代男)が付いた投稿を表示しています

本日のインソール~リハビリで走るランニンシューズをフィッティング!

  ランニングシューズのオーダーメイド・インソールを作成する川見店主 今から30年ほど前、陸上100mを10秒5で走り大阪でナンバーワンのトップスプリンターだったマサトさん。その空気を切り裂くようなキレキレのスタートダッシュを川見店主は「世界一。陸上競技の教科書があったら載せたい」と当時から絶賛していた。 マサトさんの陸上競技への情熱は年齢を重ねても冷めず、現在はマスターズに挑戦。今もカラダの感覚はトップスプリンターのまま。しかし、キレのありすぎる一瞬の動きから半月板を大損傷して大手術。 この度退院されてのご来店。リハビリを兼ねたランニングのためのシューズをオーダーメイドインソールでフィッティング。これでマサトさんのシューズのフィッティングは通算15足目。 今年、関西で予定されていたワールドマスターズは来年に延期。ピンチをチャンスに変えて、マサトさんの挑戦がはじまります。 写真のすべては当店インスタグラムで↓ この投稿をInstagramで見る オリンピアサンワーズ | olympiasunwards(@olympiasunwards)がシェアした投稿 当店ホームページ↓ ランニングシューズのフィッティングをくわしく↓

【マラソン】63歳でサブ3.5を連発する男性ランナーは、何歳まで走りつづけるのか?

フルマラソンに挑戦する 50代 以上の 男性ランナー を応援するブログ「 50s Runners Club(フィフティーズ・ランナーズ・クラブ)」 。 第5回目は、60代にして サブ3.5 ランナー のK谷さんがご登場です! ***** 52歳からのマラソン人生 走りはじめたのは、40代最後の年だった。 健康のために、というか、お腹まわりが気になりだしたのだ。 年をとるのは仕方がない。 でも、いつまでもカッコよくスーツを着こなす自分でありたい。 30分程度、ゆっくり走って汗を流す。 それだけでいいはずだった。 ところが、 K谷さん: 「走ってると周囲の人に言われるわけよ。『あ、やっぱり、マラソン走るんですか?』って。それで、近所をちょこちょこ走るだけでは、なんかカッコがつかんなぁと思いはじめた」 毎朝のランニングを2年。 そろそろ、「マラソン大会」と名のつくものに出場してみようかと思う。 10kmのレースに申し込んだ。 やるからには、いい記録で走りたい。 そのためには、自分の足に合うランニングシューズも必要だろう。 本気で何かをはじめる時には、徹底的に調べるタイプ。 おもしろそうな店を見つけた。 2006年秋。 オリンピアサンワーズに初めての来店。 当時、52歳。 K谷さん: 「店主が口うるさいからどうしようかと思った(笑)。やれ姿勢が悪いだの、ランニングフォームが悪いだの(笑)。でも、言うてることに筋は通ってたわな」 その「口うるさい」店主は言った。 「『走る』以前に、まず『 正しく立つ・歩く 』ことが大事です」 「『 歩く・ゆっくり走る 』練習で、ランニングフォームを鍛えてください」 その話をくわしく↓ 言われるままにフィッティングしたのは、このランニングシューズ。 「 ゲルリーク 」↓ 「歩く走る力を呼び覚ます」ゲルリークの詳しくは、 こちらのサイトで 。 K谷さん: 「選んでくれたシューズ。すすめられたソックス。作ってもらったオーダーメイドのインソール。どれも、これまで自分が履いてきたモノと全然違った。ほー、なかなか大したもんだなぁと、感心した」 「ホンモノ」か「ニセモノ」か、冷静に見極めるタイプ。 そして、見極めると決断が早い。

【マラソン】ハワイ在住ランナーが、13回目のホノルルマラソンでサブ4を狙わない理由。

そのコーヒーはココナッツの香りがした。 フルーティーな味わい。 ハワイからの贈り物。 コーヒータイム、ホッと一息をつくたびに、ホノルルにいる、あの人を思い出す――。 フルマラソンに挑戦する 50代 以上の 男性ランナー を応援するブログ「 50s Runners Club(フィフティーズ・ランナーズ・クラブ)」 。 第4回目は、 ハワイ在住ランナー のセイジさんがご登場です! ***** 9回目のホノルルマラソン、4時間21分 ホノルルに暮らす。 ワイキキビーチ近く、カラカウア・アベニューで鍼灸院を開業する東洋医学のドクター。 休日は、テニスとゴルフを楽しむ。 セイジさん : 「ハワイはいいところです。気候は過ごしやすく、人々はおおらかです」 ランニングをはじめたのは12年前(2005)。 きっけかはホノルルマラソン。 制限時間がない大会。 90歳のおばあちゃんが16時間かけて完走したりする。 何の練習もせずに走ってみた。 初めての42.195km。 妻とふたり、5時間33分かけて、ゴールにたどり着いた。 想像以上だった。 フルマラソンのツラさも、オモシロさも。 その後、毎年ホノルルマラソンを走るようになる。 ・2005(1回目):5時間33分 ・2006(2回目):6時間39分 ・2007(3回目):6時間30分 ・2008(4回目):6時間35分 ・2009(5回目):5時間45分 ・2010(6回目):5時間02分 ・2011(7回目):4時間22分 ・2012(8回目):6時間11分 ・2013(9回目):4時間21分 走りつづけて9年、サブ4の背中が見えた。 走り方のことも、ランニングシューズのことも、自分なりに色々と調べてやってきた。 しかし、どちらのことも、ずっと、わかったような、わからないような気がしていた。 真実はどこにあるのか? ある日、ネットで興味深い店のWebサイトを見つけた。 その店は、日本にあった。 ホームページも、ブログも、隅から隅まで全部読みこんだ。 求めているものが、ここにあるかもしれない。 ハワイ、2014年5月18日午後7時。 日本にメールを送った。 私はアメリカ、ハワイのホノルルに在住しております〇〇

【マラソン】父は1週間で2本のフルマラソンをサブ3.5で走り抜いた。

フルマラソンに挑戦する 50代 以上の 男性ランナー を応援するブログ 「50s Runners Club(フィフティーズ・ランナーズ・クラブ)」 。 第3回目は、 サブ3.5ランナー のタダオさんがご登場です! ***** 父、走りはじめる 中学・高校時代はバスケットボール部だった。 妻は、筋金入りの「帰宅部」だったらしい。 そんなふたりの間に生まれた女の子は、中学生になると陸上部に入った。 専門種目は中・長距離で、800mや1500mを走る。 娘は、走るのが楽しいという。 毎日とても熱心に、練習に取り組んでいる。 一度決めたことは、貫く強さがあるようだ。 やがて、大会で優秀な記録を残しはじめた。 中学3年の時には、大阪府中学校総体の女子800mで優勝までした。 それは、誇らしいと同時に、不思議なことだった。 一家親族の中に、走るのが得意だった、という者を知らない。 娘は一体、誰の血を引いたのだろう? ◆ サブ4達成。しかし、 娘が中学生になった頃、健康のために走りはじめた。 走っていると、娘から「ダメ出し」をされた。 「お父さんは、走る姿勢が悪いね」 「お父さんには、まずは基本練習が必要ね」 少しずつ走る距離を伸ばしていった。 世間はすでに、マラソンブーム。 自分もフルマラソンに挑戦してみようかと思う。 ランニングの本を1冊買った。 書かれてあるとおりに計画を立てて、書かれてあるとおりの練習をこなした。 走りはじめて1年程経った2014年11月。 初めてフルマラソンに挑戦。 4時間54分 で無事に完走した。 その4か月後、2015年3月。 2回目のフルマラソン挑戦。 3時間51分 で完走し サブ4 を達成。 しかし、このレースの途中で脚を痛めた。 妻と娘から「ダメ出し」をされた。 「もうっ、お父さんは走る度に故障してるんだからっ!」 「お父さんも、早くオリンピアに行って、シューズを合わせてもらえばいいのに」 娘は中学2年の時から陸上競技のシューズを、妻と義母はウォーキングシューズを、ある店でフィッティングしていた。 ・ 旧ブログの娘さん記事 ・ 旧ブログの奥様、お義母様記事 その店で作るオーダーメイド・インソールが、すごくいいのだとみんなが言う

【マラソン】校長先生は、なぜ30年ぶりに42.195kmを走ったのか?

フルマラソンに挑戦する 50代 以上の 男性ランナー を応援するブログ 「50s Runners Club(フィフティーズ・ランナーズ・クラブ)」 。 第2回目は、 サブ4ランナー のO校長先生がご登場です! ***** 「フルマラソンなんて二度と走るもんか」 高校時代は陸上部で長距離選手だった。 O先生: 「1500m、5000mが専門でした。記録?言えるほどの記録は残してませんよ(笑)」 初めてフルマラソンを走ったのは、1984年の 篠山マラソン 。 すでに教員になっていた。 さほど練習を積んでいたわけではない。 でも、そこそこ走れるだろうと思っていた。 その自信はどこから来たのか?。 30年以上も前の話。 つまり、若かった。 そして、甘かった。 42.195kmの半分を過ぎる頃には、エネルギーが切れてしまった。 当時のマラソン大会は、今ほどサービスは行き届いていない。 エイドなんてものも、あったかどうか。 空腹感で全身に力が入らなくなった。 ああ、何か食べるものを! 残りの20km、腹ペコのまま、彷徨(さまよ)うように足を運んだ。 O先生: 「いやー、死ぬほどツラかったです。フルマラソンなんて走るんじゃなかったと思いましたね(笑)」 フラフラになってフィニッシュ。 タイムもよくわからぬまま、家路についた。 数日後、1枚のハガキが送られてきた。 記録証、「 4時間17分54秒 」の文字。 当日のツラさがよみがえる。 繰り返し、思う。 もう二度とフルマラソンなんて走るもんか。 ハガキはそのまま箪笥(たんす)のどこかに放り込んだ、ということも忘れて、年月は流れた。 箪笥の中に眠っていた当時の記録証。大会後にハガキで送ってきた。 ◆ 30年ぶりに走った42.195km 30年後。 あれほど走らないと思っていたフルマラソンに出場することになった。 その理由。 勤めていた学校が、大阪マラソンで救護の会場に使用されることになった。 ちょうど、メタボ対策で走りはじめていた。 それを知っていた生徒たちが口々に言った。 「 先生も大阪マラソンを走ればいいのに 」 「 僕たちが先生を応援するから 」 O先生: 「かわいい生徒たちの言葉に背中を押され

【マラソン】フルマラソンに挑戦する50代男性ランナーを応援するブログをはじめます!【第1回】

「50s Runners Club」はじめます。 フルマラソンに挑戦する、 50代以上 の 男性ランナー を応援したい! というブログをシリーズではじめます。 名付けて「 50s Runners Club(フィフティーズ・ランナーズ・クラブ) 」。 第1回目は、3人のイカしたオジサマたちがご登場です! ***** 「やっと5時間を切れました」 【熊本県・ヨシユキさんの場合】 中学・高校時代は野球部で汗を流した。 でも、それからはスポーツらしいことは何もしてこなかった。 10年ほど前、突然腰痛に襲われる。 医者に行くと言われた。 運動不足です。カラダを動かしてください。 ジムで汗を流すようになった。 そこで知り合った人に、無理やりマラソン大会に申し込まされた。 2007年、熊本県氷川町梨マラソンに参加。 梨畑を5km走った。 ヨシユキさん: 「しんどかったですね。 死ぬかと思いましたね (笑)」 30分ほどかけてゴールにたどりついた。 参加賞でもらった梨は甘く美味しかった。 走り終わって食べた弁当は格別にウマかった。 帰りに皆で温泉につかり、ビールを飲んだ。 なんだこれは、最高の気分じゃないか。 ヨシユキさん: 「これが やみつきになりましてね 。走りつづけることになりました」 フルマラソンにも挑戦。 ・2014/12 青島(初フル)5時間20分 ・2016/03 鹿児島 5時間15分 しかし、走ると膝が痛むようになってきた。 2016年秋、オリンピアサンワーズに初ご来店。 2足のランニングシューズをフィッテング。 2016年秋。レース用(上)、走りこみ用(下)のランニングシューズをフィッティング。装着したオーダーメイドインソールは、いずれも最上級インソールのゼロ・アムフィット。 その後。 ・2016/11 福岡 5時間30分 ・2016/12 青島 4時間58分(PB) ヨシユキさん: 「 やっと5時間を切れました。もう膝も痛くなりません 」 2017年夏、ふたたびのご来店。 2足のランニングシューズをフィッティング。 2017年夏。走りこみ用(左)とレース用(右)のランニングシューズをフィッティング。装着したオーダーメイドインソールは