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【マラソン】彼女は決意の一歩を踏み出した~先天性内反足で足首の自由を失った女性がフルマラソンに挑戦した話(その2)

( 第1話「彼女はもう一度走りたかった」 のつづきです) ひとりの女性が店の扉を開けた。 店内に歩き進む、そのわずか数歩。 川見店主は見逃さなかった。 歩き方。 体が右側に傾いた。 一歩一歩に腰が回り左右に揺れる。 足首が不安定に内側へとねじれこむ。 ◆ 川見店主が迫られた選択 2018年10月某日。 彼女ははじめてオリンピアサンワーズにやって来た。 フルマラソンを走りたいです、と彼女は言った。 そして、生い立ちを語った。 生まれた時のこと、幼い頃の手術、動かぬ右の足首、それでも走ることが好きだったこと、陸上競技での挫折、今もずっと悩まされる腰や股関節の痛み……。 川見店主は、彼女の体と向き合った。 筋肉のつき方がちがう、別人のような右脚と左脚。 かたちも大きさも、まったく異なる右足と左足。 そして、彼女の歩き方――。 川見店主は、彼女が乗り越えてきたであろう、多くの苦労を思った。 だからこそ「走りたい」という彼女の気持ちも、よくわかる気がした。 しかし、彼女の体には歩くだけでも相当の負担がかかっているはずだ。 まして、走る時に被(こうむ)るダメージの大きさは想像もつかない。 この体のままで、42.195kmもの距離を走り抜くのは、到底不可能だ。 川見店主は、自身に責任を問うた。 第一に守るべきは、彼女の「体」だ。 大切にすべきは、日常であり生活だ。 無理をし、体を傷めてまでフルマラソンに挑戦することを、美談にしてはならない。 しかし、こうも思った。 彼女の「心」もまた、大切にしてあげたい。 彼女の「不可能」を「可能」にしたい。 それが、彼女の人生を切り拓くことになるのならば――。 川見店主は決断を迫られた。 選択肢は2つしかなかった。 ひとつ、彼女にフルマラソンをあきらめさせる。 ふたつ、なんとしても無傷で彼女を完走させる。 大会まで、わずか4か月。 遠慮してはいられなかった。 言い放った。 「フルマラソンを走るのは無理です。危険です。やめるべきです」 ◆ 彼女に求めた「2つ」の挑戦 川見店主の言葉に、彼女は、深くうなづいた。 川見店主はつづけた。 「それでも走りたいのですよね?」 彼女は、もう一度、うなづいた。 「ならば、歩き方

【マラソン】彼女はもう一度走りたかった~先天性内反足で足首の自由を失った女性がフルマラソンに挑戦した話(その1)

川見店主は、その人を抱きしめた。 そして、両腕をつかんで体を離すと、その人の顔を見つめて言った。 「よくがんばりましたね」 その人はこたえた。 「ありがとうございます。無事に帰ってきました」 川見店主は、その人を、もう一度、強く抱きしめた。 ◆ 彼女が背負ったもの お腹の子は、中から強く、何度も何度も、蹴ってきた。 お母さんは、元気な子が生まれてくるだろうと思った。 町の助産院で、彼女は生まれた。 彼女をとりあげた助産師さんは、彼女の足を見て、声をあげそうになった。 その足が誰にも見えないように、小さな体を、そっとタオルで包みこんだ。 そして、お母さんに優しく声をかけた。 「元気な女の子ですよ」 お母さんは、生まれたばかりの小さな命を愛おしく見つめた。 2日後、彼女は大学病院へと運ばれた。 彼女の右足は、足首から先が大きく内側に曲がっていた。 足の親指が、脛(すね)にくっついていた。 精密検査が必要だった。 冷たく大きな検査装置の中に、ひとり寝かされた。 お父さんは、胸を締めつけられながら、ガラス越しに小さな命を見守った。 「先天性内反足」 それが、彼女がこれからの長い人生に背負っていくことになる病名だった。 医師は言った。 「でも、この子は大丈夫です。こんな言い方は間違っているかもしれませんが、この子の足には、必要な″部品″が全部そろっています。だから、大丈夫です」 ◆ 走ることが好きだった 生後2か月の時と、4歳の時と、彼女は大きな手術を2回受けた。 ある日、おじいちゃんが病院へ見舞いに行った。 可愛い孫の姿は病室にはなかった。 おじいちゃんが彼女の居場所を尋ねると、看護師さんが笑ってこたえた。 「廊下にキズが見えますよね?Eちゃんが足に装具を付けたまま元気に歩きまわるので、キズがつくのです。あのキズをたどっていけば、Eちゃんに会えますよ」 彼女の右足は、足先から太ももまでを装具で固定された。 でも、彼女は不自由を感じることはなかった。 自分にとっては、生まれながらの自分の足だった。 幼稚園にあがるまでは、装具を付けたままで周りの友達と同じように、いや、それ以上に元気に遊びまわった。 お母さんも、決して彼女を特別扱いしなかった

【ラジオ出演】川見店主が出演したFM放送「MUKOJO(武庫川女子大学)ラジオ」がポッドキャストで公開中です!

川見店主がFMラジオ初出演です! みなさん、こんにちは。 聴きました? 昨夜のラジオ、聴きました? 何のラジオ?って、川見店主が出演したFMOH!(大阪851)の番組 「MUKOJO(武庫川女子大学)ラジオ」 ですよ! このラジオ番組は、「 輝く女性を応援! 」をテーマに、各界で活躍する武庫川女子大学の卒業生や在学生をゲストに、仕事や活動や大学時代の学びについて楽しいトークを繰り広げるというもの。 番組公式サイトには、川見店主出演回<第101回>の放送内容も紹介されてます↓ さあ、川見店主の記念すべきラジオ初出演。 その第一声「 こんばんは! 」には、緊張がビンビンに伝わってきましたね(笑)。 その後も川見店主は、しばらく緊張が解けず、いささか ドスのきいた感じ でコワかった(笑)ですが、中盤には徐々に普段の口調になって、終盤には「 話がとまらん 」って感じになってましたね! いつも話しだすと話題が広範囲にとっちらかる川見店主を相手に、実質20分ほどのトークにまとめあげたDJ塩田えみさんの進行がプロフェッショナルでした。 あー、おもしろかった! さて、川見店主本人は、どう聴いたのでしょう? 川見店主 川見店主: まぁ…… 私の声が変 ですよね。 ――確かに、自分の声って、自分で聞くと変に感じることあります。何か反響はありましたか? 川見店主: 放送が終わってから、私のスマホはラインとメールの嵐です。「おもしろかった」「聞きやすかった」「やる気がでた」等々、たくさんのお声をちょうだいしてます。 ――主な話の内容は、オリンピアサンワーズの二代目を継いだ経緯についてでした。 川見店主: 創業者の上田のおばちゃんのことを話せてよかったです。「 上田さんとの絆に胸を打たれました 」「 川見店主の原点を知りました 」といったお言葉もちょだいしております。ありがとうごいます。 つーわけで、おおむね好評だった今回のラジオ出演。 「聴き忘れた!」 「大阪のFMラジオは地方で聴けない!」 とお嘆きのあなた! 大丈夫です! 番組公式サイトのポッドキャストで、放送内容がまるまる聴けるようになってます! こちらでお聴きくださいねー↓

【ラジオ出演】川見店主がFM放送「MUKOJO(武庫川女子大学)ラジオ」に登場は3月6日午後8時からです!

川見店主がラジオ出演です! みなさん、こんにちは! ここ数年、「陸王」やら「いだてん」やらの関連で取材を受け、各メディアに「 イヤイヤ 」露出する機会が増えてる川見店主。 で、今度は ラジオ で公共の電波に乗っかります(笑)! 川見店主が出演するのは、 FMOH!851 (FM大阪)で放送(毎水曜日20時~)の 「 MUKOJOラジオ(武庫川女子大学ラジオ) 」。 このラジオ番組は、「 輝く女性を応援! 」をテーマに、各界で活躍する武庫川女子大学の卒業生や在学生をゲストに、仕事や活動や大学時代の学びについて楽しいトークを繰り広げる、というものだそうです。 収録を終えた川見店主に話を聞きます。 川見店主 ――川見店主、おつかれさまでした。 川見店主: あー、緊張した。あー、つかれた。 ――収録は順調に終わりましたか? 川見店主: わかんない。なにをしゃべったか覚えてない。あー、緊張した。 ――今回の出演に至った経緯を教えてください。 川見店主: 武庫川女子大学は私の 母校 です。私の同期の友人が、私の記事が掲載された雑誌 『りぶる(2019年1月号)』 を大学に送ってくれたことがきっかけで、番組に招いていただきました。 「りぶる」はこんな記事↓ ――番組収録にあたっては、大学の広報さんと事前にも電話で打ち合わせを行ってましたね。その模様は横で聞いてましたが、川見店主がしゃべりまくって、広報さんがかわいそうになるくらいの 長電話 になってましたね。 川見店主: 学生時代から現在の仕事をするまでのことを聞かれて、ひとつひとつこたえただけなんですけども。 ―― 波乱万丈が過ぎますもんね、人生が。 川見店主: 広報さんに「番組でもぜんぶお話していただきたいですが、 シリーズで3回分くらいになってしまいます 」と言われてしまいました(笑)。 ――30分の番組ですが、まとまりましたか? 川見店主: DJの塩田えみさんがお話をリードしてくださったので、それに必死に乗っかって行った、という感じです。 進行をつとめるDJの塩田えみさん(右)と川見店主(左)。 ――収録では、主にどんな話をしたのでしょう? 川見店主: なぜオリンピアサンワーズの二代目を継いだのか?という

【ハリマヤ】いだてん金栗四三とハリマヤ黒坂辛作、その情熱の襷(たすき)を。~ハリマヤサイトに新ネタを追加

『月刊陸上競技』1983年7月号に掲載されたハリマヤの広告 金栗四三の「情熱」 みなさん、こんにちは。 毎週日曜日の夜8時からは、なにがなんでもテレビの前に座って、NHK大河ドラマ「 いだてん~東京オリムピック噺 」を見ています。 先週の< 第7話「おかしな二人」 >で、中村勘九郎さん演じる主人公の 金栗四三 さんが、オリンピック開催地のスウェーデンに向かう準備として、 礼服一式 を新調したり テーブルマナー を学んだりする、といった話がありました。 ドラマ上の脚色はありますが、本当にあった話だそうです。 また、今では到底に考えられませんが、国から渡航費などの援助はまったく無く、「 自腹 」でオリンピックに参加した、というのも本当の話だそうです。マジか! だって、この本に書いてたもん↓ 『 走れ25万キロ~マラソンの父金栗四三伝<復刻版> 』 「走れ25万キロ~マラソンの父 金栗四三伝」復刻版 長谷川孝道著 (熊本日日新聞) 「 自腹 」つながりで、話をもうひとつ。 この本 『走れ25万キロ~マラソンの父・金栗四三伝』 は、1961年に出版された名著ですが、長い間ずーっと絶版になってました。 しかし、著者の 長谷川孝道 さんは、金栗さんの偉業を後世に伝え残すために、なんとこの <復刻版> を2013年に 自費出版 されたんですって!マジですか! 長谷川さんが 執念 で自費出版するに至った経緯の詳しくは、娘さんでピアニストの樹原涼子さんがブログに書かれてます。感動しました↓ 金栗さんの「 情熱 」が、日本のマラソンをつくった。 長谷川さんの「 情熱 」が、金栗さんの偉業を残した。 「 情熱 」の襷(たすき)は、受け継がれる。 どうか、この本を手にしてほしい。 あなたの胸にも、きっと、「 情熱 」の火種が灯ることだろう。 黒坂辛作の「情熱」 さて、ドラマ「いだてん」でピエール瀧さん演じる「 播磨屋足袋店 」の 黒坂辛作 さんは、金栗四三さんとともに「 マラソン足袋 」を開発した人物です。 黒坂さんもまた、金栗さんの「 情熱 」に「 情熱 」でこたえた人でした。 黒坂辛作 ハリマヤ創業者 黒坂さんの「 情熱 」が生み出しだ「 カナグリ足袋 」や「 カナグリシューズ 」は

【ハリマヤ】あの日の少年は今も走りつづけている。~A先生のハリマヤのカタログの話。

1970年代のハリマヤのカタログ 「あの日が、僕のランナーとしてのはじまりです」 そう言って、A先生は、古びた二つ折りの紙をカバンから取り出した。 見開きB4サイズのカタログ。 表紙には「 ハリマヤのカナグリマラソンシューズ 」の文字。 中を開くと、見たこともないシューズの写真が並んでいる。 印刷はところどころが剥げている。 端々はちぎれて破損している。 継ぎはぎをしたセロテープも劣化して変色し、このカタログが越してきた年月を物語っていた。 ◆ 少年は日が暮れるまで走りつづけた。 少年は、走ることが好きだった。 体は大きくはなかったが、足には自信があった。 中学生になると陸上部に入部した。 毎日、日が暮れるまで走りつづけた。 ある日、少年の姿を見ていた先輩が、こんなことを教えてくれた。 「それだけがんばってるんだから、そろそろ本格的なランニングシューズで走った方がいい。大阪の天王寺区に陸上競技の専門店がある。その店に行けば、キミに合ったランニングシューズを選んでくれるよ」 ただし、とその先輩は付け加えた。 「その店のおばちゃんはめちゃめちゃコワいぞ。店に入るときに挨拶をしないと中に入れてくれないぞ。挨拶するのを忘れて、玄関で帰らされたヤツもいるんだ。礼儀正しく、失礼のないようにするんだぞ」 先輩は、その店までの地図と紹介状を書いてくれた。 ◆ 「アンタにはそのクツやな」 少年は、電車を乗り継いで店に向かった。 国鉄大阪環状線の桃谷駅で下車した。 先輩からもらった地図と紹介状を握りしめていた。 見慣れぬ町を、緊張しながら歩いた。 しばらくすると、地図に書いてあるとおりの場所にたどりついた。 建物の1階にあるその店には、看板がなかった。 どこから入っていいのかもわからなかった。 およそ、スポーツ店には見えなかった。 とにかく、目の前の引き戸を思い切って開けてみた。 1960年頃から1991年まで営業した桃谷駅近くの店舗 「こんにちは!失礼します!」 大きな声で挨拶をした。 店にたどり着くまでの道中で、頭の中で何回も練習したとおり、深々とお辞儀をするのも忘れなかった。 狭い店の真ん中には古い木の机が置いてあり、その向こうに、メガネをかけたおばちゃんがひと