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雑誌『Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック・ナンバー)』に川見店主の記事が掲載されてます。

このたまらなく魅力的な表紙の雑誌は、7月1日発売の『Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック・ナンバー)1030号』。 大特集「走る」。日本最高のランナーは誰だ?ってことで、陸上競技の魅力がギッシリと詰まった読み応えのある一冊になってます。 ページをめくり読みつづけると、あれあれ、オリンピアサンワーズ川見店主が登場してるじゃないですか! 「変わりゆくマラソンシューズ。最先端は足袋から厚底へ」という記事に、川見店主の話が載ってます。 気になる内容は本を手に取って確かめてね! つーわけで、本屋さんへGO!もしくは通販でポチッ! 税込640円で絶賛発売中です! 当店ホームページ↓ 陸上競技シューズのインソールをくわしく↓

【ハリマヤ】金栗四三ミュージアムに展示された「カナグリシューズ」の謎に迫る!

「カナグリベガ」の「謎」 みなさん、こんにちは。 先日のブログ(9/7)でご紹介したとおり 、ただ今、 熊本県和水町 (なごみまち)の「 日本マラソンの父・金栗四三ミュージアム 」では、オリンピアサンワーズから出張してる秘蔵の「ハリマヤシューズ」とハリマヤの資料が特別展示されています(2020年1月13日まで公開)。 ハリマヤって何?の人はこれを読んでね↓ 伝説のシューズメーカーHARIMAYAの物語 そこで、ミュージアムの館長であるKさんが、その模様を撮影し、画像を送ってくださいました。 金栗四三さんの生まれ故郷に帰った、このハリマヤシューズたちの佇(たたず)まいをご覧あれ!    6足のハリマヤシューズとシューズバッグとカタログが展示されている (撮影・K館長) シブいーねっ! 展示された6足のシューズをご紹介しますと、 ・ カナグリベガ (マラソンシューズ) ・ ホノルルアトランテ (ランニングシューズ) ・ ハリマンスーパーストーム (短距離スパイクシューズ) ・ ハリマンプリズム (短距離スパイクシューズ) ・ ハリマンサンダー (短距離スパイクシューズ) ・オリンピアサンワーズ特製の 白スニーカー ハリマヤは、マラソンシューズだけには、必ず商品名に金栗四三さんのお名前を冠しました。 「 カナグリ〇〇〇 」っていう風に。 で、今回ミュージアムに展示されてるマラソンシューズ「 カナグリベガ 」がこちら↓ ハリマヤのマラソンシューズ「カナグリベガ」 (オリンピアサンワーズ店内で撮影) この カナグリベガ は、1985年頃に発売されました。 真っ白のアッパーに真っ赤な補強、それに、ゴールドの3本線のハリマヤラインが映えてます。 シューズにゴールドのラインって、今では珍しくもなんともないですが、当時は画期的だったそうですよ。 このシューズをはじめて見た時、オリンピアサンワーズの創業者・故上田喜代子は、 「なんやこれ、 のし袋かいな! 」 とぼやいたそうです(笑)。 たしかに、そんな色合いですけども! 創業者・上田のおばちゃん(1924-1986) で、その カナグリベガ 、この部分にご注目いただきたいのですが↓ カナグリベガのベロ部

【ハリマヤ】川見店主と幻のハリマヤシューズがついに熊本に降臨!金栗四三ミュージアムに行こう!

熊本県和水町のパンフレットから ハリマヤシューズが金栗四三ミュージアムに! みなさん、こんにちは。 明日の 9月8日 はオリンピアサンワーズの 創業記念日 です。 おかげさまで、 56年周年 (たぶん)を迎えます。 ありがとーございまーす! ( オリンピアサンワーズ創業日が「1963年9月8日」の理由 ) で、この創業記念日を祝うかのような、うれしい出来事をご報告します。 なんと、オリンピアサンワーズが所蔵する「幻のハリマヤシューズ」たちが、熊本県和水町(なごみまち)の「 日本マラソンの父・金栗四三ミュージアム 」にて特別展示されることになりました! 和水町のインスタでも紹介されてるよ↓ この投稿をInstagramで見る 【特別展示】伝説のハリマヤシューズ、明日から!! . 金栗四三ミュージアムでは、シューズフィッティング専門店「オリンピアサンワーズ(大阪市天王寺区)」様の御協力により、金栗四三と黒坂辛作が生み出し、多くのアスリートを魅了した伝説のシューズメーカー「ハリマヤ」のマラソンシューズ等を特別展示します。 . #ハリマヤシューズ #黒坂辛作 #明日から #特別展示 #キャプションはまだ #オリンピアサンワーズ #金栗四三ミュージアム #和水町 #金栗四三 #金栗四三生誕の地 #日本マラソンの父 #いだてん #大河ドラマ #いだてん東京オリムピック噺 #マラソン 大河ドラマ「いだてん」和水町推進協議会 さん(@kanakuri_shiso_753)がシェアした投稿 - 2019年 9月月5日午前3時05分PDT 本日(9/7)付の 熊本日日新聞 にも記事が載ってまーす↓ ★ 川見店主、熊本に降臨す! それに、会場に展示されてるのはハリマヤシューズだけじゃないんだよ! 川見店主の写真とコメントが載ってる大きなパネルも一緒に展示されてるんだよ! こんなの。本文は熊本に足を運んでご覧あれ!↓ イメージ。本文はミュージアムで見てね! 和水町インスタにもちょっと写ってるよ!↓ この投稿をInstagramで見る

【ラジオ出演】川見店主がFM放送「MUKOJO(武庫川女子大学)ラジオ」に登場は3月6日午後8時からです!

川見店主がラジオ出演です! みなさん、こんにちは! ここ数年、「陸王」やら「いだてん」やらの関連で取材を受け、各メディアに「 イヤイヤ 」露出する機会が増えてる川見店主。 で、今度は ラジオ で公共の電波に乗っかります(笑)! 川見店主が出演するのは、 FMOH!851 (FM大阪)で放送(毎水曜日20時~)の 「 MUKOJOラジオ(武庫川女子大学ラジオ) 」。 このラジオ番組は、「 輝く女性を応援! 」をテーマに、各界で活躍する武庫川女子大学の卒業生や在学生をゲストに、仕事や活動や大学時代の学びについて楽しいトークを繰り広げる、というものだそうです。 収録を終えた川見店主に話を聞きます。 川見店主 ――川見店主、おつかれさまでした。 川見店主: あー、緊張した。あー、つかれた。 ――収録は順調に終わりましたか? 川見店主: わかんない。なにをしゃべったか覚えてない。あー、緊張した。 ――今回の出演に至った経緯を教えてください。 川見店主: 武庫川女子大学は私の 母校 です。私の同期の友人が、私の記事が掲載された雑誌 『りぶる(2019年1月号)』 を大学に送ってくれたことがきっかけで、番組に招いていただきました。 「りぶる」はこんな記事↓ ――番組収録にあたっては、大学の広報さんと事前にも電話で打ち合わせを行ってましたね。その模様は横で聞いてましたが、川見店主がしゃべりまくって、広報さんがかわいそうになるくらいの 長電話 になってましたね。 川見店主: 学生時代から現在の仕事をするまでのことを聞かれて、ひとつひとつこたえただけなんですけども。 ―― 波乱万丈が過ぎますもんね、人生が。 川見店主: 広報さんに「番組でもぜんぶお話していただきたいですが、 シリーズで3回分くらいになってしまいます 」と言われてしまいました(笑)。 ――30分の番組ですが、まとまりましたか? 川見店主: DJの塩田えみさんがお話をリードしてくださったので、それに必死に乗っかって行った、という感じです。 進行をつとめるDJの塩田えみさん(右)と川見店主(左)。 ――収録では、主にどんな話をしたのでしょう? 川見店主: なぜオリンピアサンワーズの二代目を継いだのか?という

【ハリマヤ】いだてん金栗四三とハリマヤ黒坂辛作、その情熱の襷(たすき)を。~ハリマヤサイトに新ネタを追加

『月刊陸上競技』1983年7月号に掲載されたハリマヤの広告 金栗四三の「情熱」 みなさん、こんにちは。 毎週日曜日の夜8時からは、なにがなんでもテレビの前に座って、NHK大河ドラマ「 いだてん~東京オリムピック噺 」を見ています。 先週の< 第7話「おかしな二人」 >で、中村勘九郎さん演じる主人公の 金栗四三 さんが、オリンピック開催地のスウェーデンに向かう準備として、 礼服一式 を新調したり テーブルマナー を学んだりする、といった話がありました。 ドラマ上の脚色はありますが、本当にあった話だそうです。 また、今では到底に考えられませんが、国から渡航費などの援助はまったく無く、「 自腹 」でオリンピックに参加した、というのも本当の話だそうです。マジか! だって、この本に書いてたもん↓ 『 走れ25万キロ~マラソンの父金栗四三伝<復刻版> 』 「走れ25万キロ~マラソンの父 金栗四三伝」復刻版 長谷川孝道著 (熊本日日新聞) 「 自腹 」つながりで、話をもうひとつ。 この本 『走れ25万キロ~マラソンの父・金栗四三伝』 は、1961年に出版された名著ですが、長い間ずーっと絶版になってました。 しかし、著者の 長谷川孝道 さんは、金栗さんの偉業を後世に伝え残すために、なんとこの <復刻版> を2013年に 自費出版 されたんですって!マジですか! 長谷川さんが 執念 で自費出版するに至った経緯の詳しくは、娘さんでピアニストの樹原涼子さんがブログに書かれてます。感動しました↓ 金栗さんの「 情熱 」が、日本のマラソンをつくった。 長谷川さんの「 情熱 」が、金栗さんの偉業を残した。 「 情熱 」の襷(たすき)は、受け継がれる。 どうか、この本を手にしてほしい。 あなたの胸にも、きっと、「 情熱 」の火種が灯ることだろう。 黒坂辛作の「情熱」 さて、ドラマ「いだてん」でピエール瀧さん演じる「 播磨屋足袋店 」の 黒坂辛作 さんは、金栗四三さんとともに「 マラソン足袋 」を開発した人物です。 黒坂さんもまた、金栗さんの「 情熱 」に「 情熱 」でこたえた人でした。 黒坂辛作 ハリマヤ創業者 黒坂さんの「 情熱 」が生み出しだ「 カナグリ足袋 」や「 カナグリシューズ 」は

【ハリマヤ】あの日の少年は今も走りつづけている。~A先生のハリマヤのカタログの話。

1970年代のハリマヤのカタログ 「あの日が、僕のランナーとしてのはじまりです」 そう言って、A先生は、古びた二つ折りの紙をカバンから取り出した。 見開きB4サイズのカタログ。 表紙には「 ハリマヤのカナグリマラソンシューズ 」の文字。 中を開くと、見たこともないシューズの写真が並んでいる。 印刷はところどころが剥げている。 端々はちぎれて破損している。 継ぎはぎをしたセロテープも劣化して変色し、このカタログが越してきた年月を物語っていた。 ◆ 少年は日が暮れるまで走りつづけた。 少年は、走ることが好きだった。 体は大きくはなかったが、足には自信があった。 中学生になると陸上部に入部した。 毎日、日が暮れるまで走りつづけた。 ある日、少年の姿を見ていた先輩が、こんなことを教えてくれた。 「それだけがんばってるんだから、そろそろ本格的なランニングシューズで走った方がいい。大阪の天王寺区に陸上競技の専門店がある。その店に行けば、キミに合ったランニングシューズを選んでくれるよ」 ただし、とその先輩は付け加えた。 「その店のおばちゃんはめちゃめちゃコワいぞ。店に入るときに挨拶をしないと中に入れてくれないぞ。挨拶するのを忘れて、玄関で帰らされたヤツもいるんだ。礼儀正しく、失礼のないようにするんだぞ」 先輩は、その店までの地図と紹介状を書いてくれた。 ◆ 「アンタにはそのクツやな」 少年は、電車を乗り継いで店に向かった。 国鉄大阪環状線の桃谷駅で下車した。 先輩からもらった地図と紹介状を握りしめていた。 見慣れぬ町を、緊張しながら歩いた。 しばらくすると、地図に書いてあるとおりの場所にたどりついた。 建物の1階にあるその店には、看板がなかった。 どこから入っていいのかもわからなかった。 およそ、スポーツ店には見えなかった。 とにかく、目の前の引き戸を思い切って開けてみた。 1960年頃から1991年まで営業した桃谷駅近くの店舗 「こんにちは!失礼します!」 大きな声で挨拶をした。 店にたどり着くまでの道中で、頭の中で何回も練習したとおり、深々とお辞儀をするのも忘れなかった。 狭い店の真ん中には古い木の机が置いてあり、その向こうに、メガネをかけたおばちゃんがひと

【ハリマヤ】いだてん金栗四三と播磨屋黒坂辛作が生み出した金栗足袋。発祥の地の石碑は何を物語っているのか?

石碑「金栗足袋発祥之地 黒坂辛作」 「金栗足袋発祥の地」その石碑はどこに? 2019年NHK大河ドラマ「 いだてん~東京オリムピック噺 」。  主人公は「日本マラソンの父」 金栗四三 さんです。 「日本マラソンの父」金栗四三 金栗さんは、日本人初のオリンピック選手として、1912年ストックホルム五輪のマラソンに出場、足袋を履いて走りました。 その足袋を作ったのが、「 播磨屋足袋店 」の店主・ 黒坂辛作 さんでした。 ハリマヤ創業者・黒坂辛作 その後、黒坂さんと金栗さんはマラソンを走る足袋を共同開発、1919年頃には進化したマラソン足袋「 金栗足袋 」が誕生しました。 以来、1950年頃までは、日本の歴代ランナーたちが「金栗足袋」を履いて五輪や世界大会のマラソンを走り活躍する時代がつづきました。 (左上)1936年ベルリン五輪マラソン優勝の孫選手が履いた金栗足袋。(右下)1951年ボストンマラソン優勝の田中選手が履いた金栗足袋。写真は1989年度版ハリマヤカタログから。 播磨屋足袋店は、戦後にはシューズメーカー「 ハリマヤ 」に発展。 足袋を原点に持つハリマヤのシューズは日本人の足によく合いました。 また靴職人たちの高度な技術は他メーカーの追随を許さず、国産にこだわるハリマヤの良質なシューズは、長年にわたり陸上競技選手やランナーたちを魅了しつづけました。 ハリマヤをより詳しく↓ しかし、1990年頃にハリマヤは倒産、忽然(こつぜん)と姿を消しました。 伝説となった「ハリマヤ」。 今も、 東京の「 ある場所」 に、「金栗足袋」を生みだした黒坂さんの偉業をこの世にとどめる記念の 石碑 が残っていると聞きます。 そのメールの送り主は? 2018年1月某日。 川見店主に一通のメールが届きました。 川見さん、はじめまして。 私は文京区大塚に住む黒坂辛作の曾孫にあたる者です。 曾お祖父さんの事を新聞でお話してくださり、とても感謝しています。 文京区役所で金栗四三さんや播磨屋足袋店の事をもっと広めていこうと言うことで、家から写真と四三さんの書いた色紙などを展示資料としてお貸ししました。 関西にも行くことがあるので、その時は是非オリンピアサンワーズに寄らせていただきたい

【ハリマヤ】無名の母たちがつくったハリマヤのシューズ~新潟県十日町市からのおたより

彼女たちこそが 一枚の古い写真。 木造の建物を背景に、きちんと整列した人たちが写る。 そのほとんどが、質素な作業服を身にまとった女性たちだ。 彼女たちは、きっと、市井に生きる無名の庶民の一人ひとりであったにちがいない。 しかし、ある時代において、多くの陸上競技選手やランナーたちを支えていたのは、まさしく彼女たちだったのだ。 ◆ 「いだてん」の足を支えた「ハリマヤ」 今年(2019)1月から毎週日曜日に放送されている NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」 。主人公は、日本のマラソンを創った 金栗四三 さんです。 金栗四三 (1891-1983) 金栗さんは、 1912年 の ストックホルム五輪 に、日本人初のオリンピック選手としてマラソンに出場、「 播磨屋(ハリマヤ) 」という足袋屋の足袋を履いて走りました。 しかし、北欧の堅い石畳のコースに足袋は弱く、金栗さんは膝を痛め、また日射病に倒れてレースを途中棄権するという悔しい結果に終わりました。 この失敗を糧に、金栗さんは、播磨屋の店主・ 黒坂辛作 さんと、マラソンを走る足袋を共同開発し、遂には、改良に改良を重ねて進化したマラソン足袋、いわゆる「 金栗足袋 」が誕生しました。そして、「金栗足袋」を履いた日本の歴代ランナーたちが、五輪や世界大会のマラソンで優勝する時代が1950年頃までつづきました。 ハリマヤ創業者・黒坂辛作 (1880-?) 播磨屋は戦後にはシューズメーカー「 ハリマヤ 」へと発展。 足袋を原点に持つハリマヤのシューズは日本人の足によく合いました。 また靴職人たちの高度な技術は他メーカーの追随を許さず、国産にこだわるハリマヤの良質なシューズは、長年にわたり陸上競技選手やランナーたちを魅了しつづけました。 残念ながら、ハリマヤは 1990年頃 に倒産しました。 しかし、私たちはハリマヤを忘れてはいません。 オリンピアサンワーズには、今なおハリマヤを愛する人たちから、たくさんの「声」が届きます。そして、みなさんの記憶から、ハリマヤの歴史が掘り起こされています。 みなさんの声↓ ハリマヤ第二の故郷 新潟県十日町市から さて。 先日も、当店のFB(Facebook)に1枚の画像とともにこんなメッセー