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2021年の「よーい、どん!」

2021年がはじまりました。 昨年末、当店Facebookに、 ウルトラマラソンランナーのカズナリさん から以下のようなコメントをいただきました。 今年もありがとうございました♪今日夕方ジョギングで店の前を通りました。来年もスタートラインに立ちますのでよろしくおねがいいたします! このコメントを拝見した時に思い至りました。 そうだ、2020年は、 限りなく多くの「スタートライン」が失われた一年だった のだと。 例えば中高生の陸上競技の試合だけでも、毎年、春から夏にかけて行われる記録会や、ブロック大会や、地区大会や、地方大会や、全国大会が無くなりました。そのために、多くの新入生たち、在校生たち、卒業生たちが、目標の「よーい、どん!」を失いました。 夏のオリンピックは延期され、トップアスリートたちは夢の「よーい、どん!」を失いました。 秋からは日本全国津々浦々でのマラソン大会も無くなり、ランナーたちは楽しみの「よーい、どん!」を失いました。 果たして、日本中で一体どれだけの「よーい、どん!」が失われたことでしょう。 そして、それらはもちろん、日本だけの話ではありません。 ……と考えると、 世界中で途方もない数の「よーい、どん!」が失われたことになります (うわーー)。 2021年がどんな一年になるのか? まったくをもって予想ができません。 でも、スタートラインが向こうからやってくるのを待ってても仕方がない。 これはもう、自分でスタートラインをいっぱい作って、何回も、自分の意志で、「よーい、どん!」をするしかないと思う新年です。 つーわけで、オリンピアサンワーズの2021年をはじめます。 それではみなさまも、よろしければ、ご一緒に。 よーい、どんっ!
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さらば、2020年よ。

2020年が終わろうとしています。 この一年をふりかえると……まぁ、大変でしたよね。 しかも、この「大変さ」がいつ終わるのかがかわからない、という状況はまだつづいています。 色んな業界が大打撃を受けてます。 スポーツ業界も、もちろんです。 今年の目玉であったオリンピックは延期されました。 学校生活は再開されたものの、クラブ活動は遅れ、試合の規模や数はめっきり縮小されました。 この秋冬のマラソン大会は、日本全国で自粛され壊滅状態です。 それでもオリンピアサンワーズは、今年もなんとか営業をつづけてこれました。 そして、来年もまた、営業をつづけていきます。 みなさま、誠にありがとうございました。 それでは、よいお年をお迎えくださいませ。

【陸上競技】新谷仁美選手の走りは、なぜこんなにも力強いのか?~日本選手権大会・長距離種目を観戦した話(その2)

マスク越しのモグモグタイム 女子5000mは田中希美選手が優勝し、東京五輪代表の内定を決めた。 その勝負の余韻がまだ、会場を覆っている。 この日、川見店主と一緒に試合を観戦したのは、ボクと、Oさんと、Yさんと、Tさんだった。 5人は、第1コーナー上のスタンドに席をとった。 フィニッシュラインを斜め上から見下ろすとともに、トラック全体を見渡せるいい場所だった。 「いやぁ、田中選手はすごかったですねぇ」 「いいレースを観れましたねぇ」 そんなことを、皆がマスク越しに言い合った。 陽はすでに傾き、夕暮れの空が暗がりの度を増していく。 スタジアムのライトが点灯し、トラックを照らしている。 今大会では、感染防止対策として、来場者はみな密にならないように、両隣の席をひとつずつ空けて座ることを大会側から求められた。 12月の冷たい風がスタンドを回旋し、吹きつけてくる。 身を寄せ合うことがない分、寒さがよけいに体に沁みた。 川見店主は、みんなのために差し入れを用意していた。 手作りのコロッケサンドと、魔法瓶に入れたあったかいコーヒー。 「じゃあ、我々はモグモグタイムといきましょう」 皆でコロッケサンドに舌鼓を打ち、コーヒーで冷えた体をあたためていると、女子10000mのレースがはじまった。 ◆ 新谷仁美選手の10000m 女子10000m決勝。 入場ゲートから真っ先にトラックへ駆け出してきた女子選手がいた。 観衆の視線はすべて、彼女に集まった。 新谷仁美選手。 無駄なものは何もかもそぎ落とされた、針金のように細い体。 誰よりも日焼けした褐色の肌。 その姿に、彼女が費やしてきたトレーニングの過酷さを想像する。 この一年、彼女は一体どれだけ自分を追い込んできたのだろう? 今年、彼女の好調ぶりは、大きなニュースだった。 1月にアメリカで行われたハーフマラソンでは日本記録を更新。 10月18日のプリセンス駅伝と、11月22日のクィーンズ駅伝では、いずれも区間記録を1分以上も更新する、ぶっちぎりの走りを見せた。 しかも、クィーンズ駅伝で走った3区の10kmの通過タイムは、なんとトラックでの女子10000mの日本記録(当時)を上回っていたのだ。 「新谷仁美、異次元の走り」 マスコミがそんな風にはやし立てたのは、誇張でもなんでもなかった。 誰から見ても、現在の彼女の強さは圧倒的で、驚異的で、超人

【陸上競技】田中希美選手の走りは、なぜ私たちをワクワクさせるのか?~日本選手権大会・長距離種目2020を観た話(その1)。

川見店主、日本選手権へ 2020年12月04日。 川見店主は、昼過ぎに店を閉めた。 営業を途中で切り上げることは、めったにないことだった。 車に乗り、ハンドルを握ると、南へと走った。 長居スタジアムでは陸上競技日本選手権大会・長距離種目がはじまろうとしていた。 この大会は、東京五輪の選考会も兼ねている。 現在の日本陸上競技界を代表する錚々たる選手たちが、スタートリストに名を連ねていた。 好記録が生まれないわけがない。 川見店主は、仕事を投げ出してでも観戦しなければと思っていた。 車中、電話が鳴った。 ハンズフリーで応対する。 聞き慣れたOさんの声が聞こえた。 一緒に観戦する約束をしていたOさんは、すでに会場に到着したらしい。 「川見さん、もう競技場の入り口はスゴイ人です。列をなしてますよ」 色々と厄介な時期である。 大阪府市では、不要不急の外出を自粛するよう、知事がよびかけている。 そんな状況下でもなお、多くの人が競技場に足を運んでいるのは、やはり、この大会の重要性を知っているからなのだろう。 車は長居公園に到着した。 川見店主は逸る気持ちを押さえながら、地下の駐車場に車を滑り込ませた。 ◆ 度胆を抜く田中希美選手 女子5000m決勝。 優勝候補は、田中希美(21=豊田自動織機TC)選手と、廣中璃梨佳(20=日本郵政グループ)選手。すでにこの種目で東京五輪の参加標準記録を突破している両選手のうち、今大会で優勝した者だけが東京五輪の切符を手に入れることになっていた。 田中選手には、不思議な雰囲気がある。 どんなレースでどんな結果を残しても、強烈な印象を残す。 最近では、10月24日に同長居スタジアムで行われた、木南記念大会の800mのレースが記憶に新しい。 彼女はトラック1周目の400mを最後尾で通過し、残り400mで、なんと前を走る6人の選手全員をぶち抜いた。そして最後は、ぶっ倒れながら頭から突っ込んでフィニッシュして優勝するという、見る者の度胆を抜くレースを展開した。 度胆を抜く田中選手の800m(木南記念大会2020)↓ ◆ 田中希美の5000m 16時50分、女子5000m決勝のレースはスタートした。 トップを走る廣中選手を田中選手が背後でピッタリとマークし追い続ける、という展開が終盤までつづいた。 最後の周回を知らせる鐘が打ち鳴らされ、残り400m

太陽はふたたび昇っていく~オリンピアサンワーズ物語(第12回)

2020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。 (連載:第12回) ◆◇◆ サンワーズ【第二章】 オリンピアサンワーズの創業者・上田喜代子(うえだ・きよこ)は「太陽」が好きでした。 自らが輝きながら、他のすべてをも輝かせる太陽。 時に優しく温かく、時に灼熱の厳しさで皆を励ます太陽。 「 誰もが太陽のように輝くことができる 」 そんな想いを込めて、上田はオリンピアサンワーズのマークを「太陽」にしました。 多くの人にとっては、上田こそが太陽のような存在でした。 上田という大きな太陽は没しました。 しかし、オリンピアサンワーズには、また新しい太陽が昇りはじめました。  上田が亡くなった、その1週間後の1986年3月1日。 川見あつこは、オリンピアサンワーズの二代目として店を正式に継ぎました。 上田は生前、ある人に、こんな風に言っていたそうです。 「 川見で、オリンピアサンワーズの【第二章】やな 」 ◆◇◆ 希望を。太陽を。 私たちは、今、誰もが経験したことのない困難な時代を生きています。 1964年東京五輪の開催は、新しい日本の発展を象徴する出来事でした。 2020年東京五輪の延期は、人類の危機を象徴する出来事になりました。 しかし、雨の日も、雲を突き抜ければ、いつもそこに太陽は昇っています。 私たちも、いつも胸の中に、「希望」という太陽を昇らせたいと思います。   そして、この時代を乗り越え、もう一度オリンピックを迎えることができた時、私たちは、オリンピックが持つ本来の意義を、今一度深く実感できるのではないでしょうか。 上田のおばちゃんが築いたオリンピアサンワーズ【第一章】、その歴史をご紹介する投稿は、今回で終了です。 二代目店主・川見あつこの【第二章】の物語は、また別の機会に。 最後までお読みいただきありがとうございました。 ◆◇◆ ・1964東京五輪の記念品 1964年東京五輪の記念品。これはベルトのバックルのようです。中央の五輪マークが誇らしい。背景の葉っぱにまぎれて「NRR」という文字が浮かんでいるのがわかるでしょうか?おそらく「日本陸上競技連盟(Nihon Rikujyokyogi Renmei)」の略だと思われます。 ・太陽マークの商標登録証 昭和39年に商標登録したオリンピアサンワーズの初代太陽

彼女は創業者の心を追い求めていくと決めた~オリンピアサンワーズ物語(第11回)

2020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。 (連載:第11回) ◆◇◆ 「あなた、継いでくださる?」 1986年2月22日。 オリンピアサンワーズの創業者・上田喜代子(うえだ・きよこ)はこの世を去りました。 享年62歳。 「 私、がんばってるからね…… 」 というのが、上田の最期の言葉だったそうです。 さて。 川見には、上田亡き後のオリンピアサンワーズを継ごうという考えは、まったくありませんでした。 川見の目標は、あくまでも「よりよい教師となって教育現場に戻ること」でした。 上田の葬儀が終わってからのこと。 川見は上田の母に呼ばれました。 上田の母は、明治生まれの気骨のある女性。 娘の死を毅然と受け入れ、着物姿で座る上田の母は、ニコニコしながら川見に話しはじめました。 上田母 :川見さん、そこに座ってちょうだい。 川見  :は、はい(正座をする)。 上田母 :川見さん、あなた、喜代子の心を継いでくださる? 川見  :ええっ!滅相もないです!私がおばさんの店を継ぐなんて恐れ多いです。 上田母 :あらそう……川見さんにとって、喜代子はどんな存在なの? 川見  :私が一生かかって追い求めていく存在です。 上田母 :あらそう……じゃあ、それを喜代子のお店でやればいいじゃない(ニコニコ)。 川見  :えぇぇーー……。 ◆ 約束の半年後 これは大変なことになったと思った川見は、上田と親しかった人たちに連絡を入れました。 そして、皆が店に集まっての緊急会議が開かれました。 全員の意見は一致しました。 「 みんなが育ててもらった店を残したい 」 「 上田のおばさんの心を残したい 」 話し合いは、次の一点に絞られました。 「 じゃあ、誰が? 」 この時、定職に就いていなかったのは川見だけです。 皆の視線は、川見に向けられました。 沈黙の後、誰かが口を開きました。 誰か :じゃあ、川見さんがお店を継げばいい。 川見 :そんなの無理です!私なんかが継いだら、お店はつぶれます! 誰か :それは、誰が継いでも一緒やから。 川見 :そ、そんなぁ…… 誰か :とにかく川見さんが半年やってみて、その時に、またみんなで集まって考えよう。 こうして、川見は、オリンピアサンワーズの二代目店主(仮)となりました。 そして、なんとか店はつぶれ

太陽は沈もうとしていた~オリンピアサンワーズ物語(第10回)

2020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。 (連載:第10回) ◆◇◆ 私の「弟子」やから 上田は病床にいても、相変わらず厳しくて、こわかった。 上田ほど<死>に遠い人はいない、と川見は思っていた。 「 あのおばさんには<死>の方が恐れて寄りつかないだろう 」 しかし、実際の上田の病状は徐々に悪化していた。 医者も家族も、そう先は長くないと考えていた。 ある時から、上田は雇っていた家政婦をひどく叱りつけるようになった。 周囲の人々には、その理由がわからなかった。 病気による意識の衰えか、ただの病人のわがままだとして、取り合わなかった。 そのことを上田の家族が、川見に相談した。 川見は、こたえた。 「 おばさんは意味なく人を叱ったりしません。家政婦さんの人間性を見抜いたうえで、愛情で叱っておられるのだと思います 」 家族には、日々の家政婦の態度に思い当たるふしがあった。 その家政婦にはすぐに辞めてもらった。 また、ある時は。 病室の上田は家族とともに、病状について医師から説明を受けていた。 すると、上田は、何の脈絡もなく、ふいに川見を皆に紹介した。 「 この子は、私の『弟子』やから 」 川見は、上田の口からそんな言葉をはじめて聞いた。 他の人たちは、顔を見合わせて苦笑した。 付き添いの看護師が、気をまわしたつもりで言った。 「上田さん何を言ってるの。こんなに世話をしてくれてる人に対して『弟子』は失礼じゃないの」 しかし、川見だけはわかった。 上田の言葉は、自分に向けられていた。 しかも、上田は、笑われるのを承知で、ふたりの関係を周囲の人たちにも宣言したのだ。 そこに川見は上田の深い愛情を感じた。 入院から半年が過ぎた頃。 上田は川見に、自宅からテレビを運んでくるように頼んだ。 病室にテレビを運び、チャンネルを合わせた。 その日はマラソンの中継があった。 上田はベッドから身を起こすと、川見にそばに座るように言った。 レースがスタートした。 上田は、選手ひとりひとりのランニングフォームやレース展開について、解説をはじめた。 川見は、一言も聞き漏らすまいと、居住まいを正した。 上田の解説は、レースが終わるまでつづいた。 ふたりきりで、そんな時間を過ごすのは、はじめてだった。 それから約2週間後。 上田がこの世