スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

3月, 2019の投稿を表示しています

【マラソン】彼女は決意の一歩を踏み出した~先天性内反足で足首の自由を失った女性がフルマラソンに挑戦した話(その2)

( 第1話「彼女はもう一度走りたかった」 のつづきです) ひとりの女性が店の扉を開けた。 店内に歩き進む、そのわずか数歩。 川見店主は見逃さなかった。 歩き方。 体が右側に傾いた。 一歩一歩に腰が回り左右に揺れる。 足首が不安定に内側へとねじれこむ。 ◆ 川見店主が迫られた選択 2018年10月某日。 彼女ははじめてオリンピアサンワーズにやって来た。 フルマラソンを走りたいです、と彼女は言った。 そして、生い立ちを語った。 生まれた時のこと、幼い頃の手術、動かぬ右の足首、それでも走ることが好きだったこと、陸上競技での挫折、今もずっと悩まされる腰や股関節の痛み……。 川見店主は、彼女の体と向き合った。 筋肉のつき方がちがう、別人のような右脚と左脚。 かたちも大きさも、まったく異なる右足と左足。 そして、彼女の歩き方――。 川見店主は、彼女が乗り越えてきたであろう、多くの苦労を思った。 だからこそ「走りたい」という彼女の気持ちも、よくわかる気がした。 しかし、彼女の体には歩くだけでも相当の負担がかかっているはずだ。 まして、走る時に被(こうむ)るダメージの大きさは想像もつかない。 この体のままで、42.195kmもの距離を走り抜くのは、到底不可能だ。 川見店主は、自身に責任を問うた。 第一に守るべきは、彼女の「体」だ。 大切にすべきは、日常であり生活だ。 無理をし、体を傷めてまでフルマラソンに挑戦することを、美談にしてはならない。 しかし、こうも思った。 彼女の「心」もまた、大切にしてあげたい。 彼女の「不可能」を「可能」にしたい。 それが、彼女の人生を切り拓くことになるのならば――。 川見店主は決断を迫られた。 選択肢は2つしかなかった。 ひとつ、彼女にフルマラソンをあきらめさせる。 ふたつ、なんとしても無傷で彼女を完走させる。 大会まで、わずか4か月。 遠慮してはいられなかった。 言い放った。 「フルマラソンを走るのは無理です。危険です。やめるべきです」 ◆ 彼女に求めた「2つ」の挑戦 川見店主の言葉に、彼女は、深くうなづいた。 川見店主はつづけた。 「それでも走りたいのですよね?」 彼女は、もう一度、うなづいた。 「ならば、歩き方

【マラソン】彼女はもう一度走りたかった~先天性内反足で足首の自由を失った女性がフルマラソンに挑戦した話(その1)

川見店主は、その人を抱きしめた。 そして、両腕をつかんで体を離すと、その人の顔を見つめて言った。 「よくがんばりましたね」 その人はこたえた。 「ありがとうございます。無事に帰ってきました」 川見店主は、その人を、もう一度、強く抱きしめた。 ◆ 彼女が背負ったもの お腹の子は、中から強く、何度も何度も、蹴ってきた。 お母さんは、元気な子が生まれてくるだろうと思った。 町の助産院で、彼女は生まれた。 彼女をとりあげた助産師さんは、彼女の足を見て、声をあげそうになった。 その足が誰にも見えないように、小さな体を、そっとタオルで包みこんだ。 そして、お母さんに優しく声をかけた。 「元気な女の子ですよ」 お母さんは、生まれたばかりの小さな命を愛おしく見つめた。 2日後、彼女は大学病院へと運ばれた。 彼女の右足は、足首から先が大きく内側に曲がっていた。 足の親指が、脛(すね)にくっついていた。 精密検査が必要だった。 冷たく大きな検査装置の中に、ひとり寝かされた。 お父さんは、胸を締めつけられながら、ガラス越しに小さな命を見守った。 「先天性内反足」 それが、彼女がこれからの長い人生に背負っていくことになる病名だった。 医師は言った。 「でも、この子は大丈夫です。こんな言い方は間違っているかもしれませんが、この子の足には、必要な″部品″が全部そろっています。だから、大丈夫です」 ◆ 走ることが好きだった 生後2か月の時と、4歳の時と、彼女は大きな手術を2回受けた。 ある日、おじいちゃんが病院へ見舞いに行った。 可愛い孫の姿は病室にはなかった。 おじいちゃんが彼女の居場所を尋ねると、看護師さんが笑ってこたえた。 「廊下にキズが見えますよね?Eちゃんが足に装具を付けたまま元気に歩きまわるので、キズがつくのです。あのキズをたどっていけば、Eちゃんに会えますよ」 彼女の右足は、足先から太ももまでを装具で固定された。 でも、彼女は不自由を感じることはなかった。 自分にとっては、生まれながらの自分の足だった。 幼稚園にあがるまでは、装具を付けたままで周りの友達と同じように、いや、それ以上に元気に遊びまわった。 お母さんも、決して彼女を特別扱いしなかった

【ラジオ出演】川見店主が出演したFM放送「MUKOJO(武庫川女子大学)ラジオ」がポッドキャストで公開中です!

川見店主がFMラジオ初出演です! みなさん、こんにちは。 聴きました? 昨夜のラジオ、聴きました? 何のラジオ?って、川見店主が出演したFMOH!(大阪851)の番組 「MUKOJO(武庫川女子大学)ラジオ」 ですよ! このラジオ番組は、「 輝く女性を応援! 」をテーマに、各界で活躍する武庫川女子大学の卒業生や在学生をゲストに、仕事や活動や大学時代の学びについて楽しいトークを繰り広げるというもの。 番組公式サイトには、川見店主出演回<第101回>の放送内容も紹介されてます↓ さあ、川見店主の記念すべきラジオ初出演。 その第一声「 こんばんは! 」には、緊張がビンビンに伝わってきましたね(笑)。 その後も川見店主は、しばらく緊張が解けず、いささか ドスのきいた感じ でコワかった(笑)ですが、中盤には徐々に普段の口調になって、終盤には「 話がとまらん 」って感じになってましたね! いつも話しだすと話題が広範囲にとっちらかる川見店主を相手に、実質20分ほどのトークにまとめあげたDJ塩田えみさんの進行がプロフェッショナルでした。 あー、おもしろかった! さて、川見店主本人は、どう聴いたのでしょう? 川見店主 川見店主: まぁ…… 私の声が変 ですよね。 ――確かに、自分の声って、自分で聞くと変に感じることあります。何か反響はありましたか? 川見店主: 放送が終わってから、私のスマホはラインとメールの嵐です。「おもしろかった」「聞きやすかった」「やる気がでた」等々、たくさんのお声をちょうだいしてます。 ――主な話の内容は、オリンピアサンワーズの二代目を継いだ経緯についてでした。 川見店主: 創業者の上田のおばちゃんのことを話せてよかったです。「 上田さんとの絆に胸を打たれました 」「 川見店主の原点を知りました 」といったお言葉もちょだいしております。ありがとうごいます。 つーわけで、おおむね好評だった今回のラジオ出演。 「聴き忘れた!」 「大阪のFMラジオは地方で聴けない!」 とお嘆きのあなた! 大丈夫です! 番組公式サイトのポッドキャストで、放送内容がまるまる聴けるようになってます! こちらでお聴きくださいねー↓

【ラジオ出演】川見店主がFM放送「MUKOJO(武庫川女子大学)ラジオ」に登場は3月6日午後8時からです!

川見店主がラジオ出演です! みなさん、こんにちは! ここ数年、「陸王」やら「いだてん」やらの関連で取材を受け、各メディアに「 イヤイヤ 」露出する機会が増えてる川見店主。 で、今度は ラジオ で公共の電波に乗っかります(笑)! 川見店主が出演するのは、 FMOH!851 (FM大阪)で放送(毎水曜日20時~)の 「 MUKOJOラジオ(武庫川女子大学ラジオ) 」。 このラジオ番組は、「 輝く女性を応援! 」をテーマに、各界で活躍する武庫川女子大学の卒業生や在学生をゲストに、仕事や活動や大学時代の学びについて楽しいトークを繰り広げる、というものだそうです。 収録を終えた川見店主に話を聞きます。 川見店主 ――川見店主、おつかれさまでした。 川見店主: あー、緊張した。あー、つかれた。 ――収録は順調に終わりましたか? 川見店主: わかんない。なにをしゃべったか覚えてない。あー、緊張した。 ――今回の出演に至った経緯を教えてください。 川見店主: 武庫川女子大学は私の 母校 です。私の同期の友人が、私の記事が掲載された雑誌 『りぶる(2019年1月号)』 を大学に送ってくれたことがきっかけで、番組に招いていただきました。 「りぶる」はこんな記事↓ ――番組収録にあたっては、大学の広報さんと事前にも電話で打ち合わせを行ってましたね。その模様は横で聞いてましたが、川見店主がしゃべりまくって、広報さんがかわいそうになるくらいの 長電話 になってましたね。 川見店主: 学生時代から現在の仕事をするまでのことを聞かれて、ひとつひとつこたえただけなんですけども。 ―― 波乱万丈が過ぎますもんね、人生が。 川見店主: 広報さんに「番組でもぜんぶお話していただきたいですが、 シリーズで3回分くらいになってしまいます 」と言われてしまいました(笑)。 ――30分の番組ですが、まとまりましたか? 川見店主: DJの塩田えみさんがお話をリードしてくださったので、それに必死に乗っかって行った、という感じです。 進行をつとめるDJの塩田えみさん(右)と川見店主(左)。 ――収録では、主にどんな話をしたのでしょう? 川見店主: なぜオリンピアサンワーズの二代目を継いだのか?という