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【マラソン】63歳でサブ3.5を連発する男性ランナーは、何歳まで走りつづけるのか?



フルマラソンに挑戦する50代以上の男性ランナーを応援するブログ「50s Runners Club(フィフティーズ・ランナーズ・クラブ)」

第5回目は、60代にしてサブ3.5ランナーのK谷さんがご登場です!

*****

52歳からのマラソン人生

走りはじめたのは、40代最後の年だった。
健康のために、というか、お腹まわりが気になりだしたのだ。
年をとるのは仕方がない。
でも、いつまでもカッコよくスーツを着こなす自分でありたい。
30分程度、ゆっくり走って汗を流す。
それだけでいいはずだった。
ところが、

K谷さん:
「走ってると周囲の人に言われるわけよ。『あ、やっぱり、マラソン走るんですか?』って。それで、近所をちょこちょこ走るだけでは、なんかカッコがつかんなぁと思いはじめた」

毎朝のランニングを2年。
そろそろ、「マラソン大会」と名のつくものに出場してみようかと思う。
10kmのレースに申し込んだ。
やるからには、いい記録で走りたい。
そのためには、自分の足に合うランニングシューズも必要だろう。
本気で何かをはじめる時には、徹底的に調べるタイプ。
おもしろそうな店を見つけた。

2006年秋。
オリンピアサンワーズに初めての来店。
当時、52歳。

K谷さん:
「店主が口うるさいからどうしようかと思った(笑)。やれ姿勢が悪いだの、ランニングフォームが悪いだの(笑)。でも、言うてることに筋は通ってたわな」

その「口うるさい」店主は言った。

「『走る』以前に、まず『正しく立つ・歩く』ことが大事です」
「『歩く・ゆっくり走る』練習で、ランニングフォームを鍛えてください」

その話をくわしく↓

言われるままにフィッティングしたのは、このランニングシューズ。
ゲルリーク」↓
「歩く走る力を呼び覚ます」ゲルリークの詳しくは、こちらのサイトで

K谷さん:
「選んでくれたシューズ。すすめられたソックス。作ってもらったオーダーメイドのインソール。どれも、これまで自分が履いてきたモノと全然違った。ほー、なかなか大したもんだなぁと、感心した」

「ホンモノ」か「ニセモノ」か、冷静に見極めるタイプ。
そして、見極めると決断が早い。
1週間後には、早速にもう1足、レース用のランニングシューズもフィッティング。
そのシューズで走った、初めての10kmのレースは、なかなかにおもしろかった。
マラソン人生が幕を開けた。


57歳。3時間20分。

それから毎年2回、「口うるさい」店主の店でシューズをフィッティングするようになる。
春には、トレーニング用と普段履き用に「ゲルリーク」を2足。
秋には、マラソンシーズンに向けてレース用のランニングシューズを1足。

K谷さん:
「ゲルリークが一番走りやすかった。足の指でしっかり地面を踏みしめる感覚がよかった。あんまり気に入ったから、普段の生活でもずっと履いてたよ」

初来店の2006年から2010年の4年間で、フィッティングしたシューズは計12足
その間に、マラソンはハーフを1時間30分ほど、フルを3時間30分ほどで走れるように。
2011年には、57歳にして、フルマラソンで3時間20分の自己ベスト記録を残す。
しかし、この頃から仕事が忙しくなった。
しばらくは走れない時期がつづいた。


60歳。ふたたびのマラソンロードへ

2014年夏、4年ぶりの来店。
60歳。還暦。

K谷さん:
「この年齢になって、やっと仕事がひと段落。これからは、思い切ってマラソンに挑戦できるよ」

ふたたびのマラソンロードへ。
目指すはサブ3.5。
もちろん、シューズは、「口うるさい」店主にまかせる。

2014~2016年でフィッティングした8足のシューズがこちら↓
2014~2016年にフィッティングした8足のシューズたちと、大阪ハーフマラソンを走るK谷さんの写真

空白の3年をとりもどすように走りまくる。
毎シーズン、10km、ハーフ、フルも合わせて10本ほどのレースに出場。
主なマラソン戦績↓

・2014/10 四万十川100km 12時間58分
・2014/10 大阪 3時間56分
・2015/02 別府 3時間31分
・2015/02 東京 3時間24分
・2015/12 ホノルル 3時間38分
・2016/02 別府 3時間32分
・2016/02 泉州 3時間35分
・2016/11 神戸 3時間32分

ちなみに、2015年2月の東京マラソンで激走した3時間24分の記録は、<2014-2015>シーズンの「全日本マラソンランキング」年齢別で79位にランクイン。
復活のサブ3.5達成。男の意地。

K谷さん:
「なかなか、がんばったやろ?ほめてもらってもええんちゃう?(笑)」


63歳。3時間23分。

2017年10月、来店。
63歳。

K谷さん:
「昨シーズンはサブ3.5できんかった。全日本マラソンランキングは年齢別で109位やった。今年は、なんとしてもサブ3.5を達成して、100位圏内に入りたいね」

ご用意したのは4足のランニングシューズ。
サブ3.5を目指すレース用1足、走りこみトレーニング用1足、「歩く・ゆっくり走る」用に「ジミー」ことゲルサウンダーを2足フィッティング。装着したオーダーメイドインソールは、いずれも最上級インソールのゼロアムフィット。
レース用(左)、トレーニング用(中)、「歩く・ゆっくり走る」用ジミー(右)は2足フィッティング。いずれも最上級インソール・ゼロアムフィットを装着。

そして「ジミー」はこんなシューズ↓

K谷さんのシューズをフィッティングして11年。
川見店主の作るインソールは24足を数えた。
その手は、すでにK谷さんの足を覚えている。
K谷さんも、シューズに足を入れるとすぐにわかる。
「ホンモノ」のフィット感。
よし、これでいける。
見極めれば、決断が早い。
試し履きはすぐに終わる。
レース用のシューズを脱ぎながら、一言。

K谷さん:
「このインソールで3時間30分を切れるって、保証書つけといてよ」

わりと、冗談も好きなタイプ。

その後のレース結果。
・2017/11/19 神戸 3時間23分
・2017/11/26 大阪 3時間25分
・2017/12/03 那覇 3時間31分

神戸・大阪と1週間で2本のフルマラソンをサブ3.5で激走。しかも、神戸の3時間23分は60代に突入してからの最高記録。
保証書なんて必要なかった。


「あと何年走らせる気?」

短く刈り込んだ頭髪、口とアゴにたくわえたヒゲ。
一見、ちょっとコワい人系。
でも実は、会社経営のかたわら、大学の教壇にも立つほどの人。
走りつづける理由。

K谷さん:
「そりゃあ、走ってる方がカラダにいいやんか。風呂屋に行って周りを見たらようわかる。この年齢になって何もせんかったら、筋肉は落ちるし、お腹も出てくる。それは仕方がないことかもしれんけども、自分はそんな風になりたくないもんね」

それに、とK谷さんは付け加える。

K谷さん:
「やっぱりさ、おねーちゃんにモテたいやん」

今後のレース予定。
・2017/12/17 三田国際ハーフ
・2018/01/28 大阪ハーフ
・2018/02/18 泉州国際マラソン
・2018/03/04 篠山マラソン

K谷さん、今シーズンも走りまくりですね。

K谷さん:
「この年になって、おねーちゃんを追いかけて走りまわってるよりも、いいんじゃない?」

それくらいお元気なままで、いつまでも走りつづけていただきたいです。
あ、K谷さん、75歳くらいまでサブ3.5で走れたら、マラソンランキングの年齢別で1位になれそうですよ。

K谷さん:
「あーそう。って、オレにあと何年走らせる気?ムチャ言うわ(笑)」

益々のご健闘をお祈りいたしまーす!

2017大阪マラソンを激走するK谷さん。頭にはいつも「熊」のぬいぐるみがのってます。
(撮影:タカフジさん)


【旧ブログのK谷さん記事】
・2014/07 資金調達は銀行強盗へ
・2014/09 ゼロアムフィットに驚く
・2015/08 20年後も走ってる?
・2015/12 K谷さん、ワイハへ逃亡す


(おわりです)

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【関連記事】

50S Runners Club(フィフィティーズ・ランナーズ・クラブ)
<第4回> ハワイ在住ランナーが13回目のホノルルマラソンでサブ4を狙わない理由。


【関連サイト】
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