【中距離走】800mを1分52秒で走る男子高校生は25足のシューズで全国インターハイにたどりついた。~R太郎くん伝説(その1)
2016年7月31日。
午後3時45分。
岡山県シティライトスタジアム。
彼は、念願だった全国インターハイの舞台に立っていた。
男子800m準決勝のレースがはじまろうとしている。
彼の姿は第2レーンのスタートラインにある。
スタンドには彼を見守っている人たちがいる。
チームメイトと、彼のお父さんとお母さんと、そして川見店主と。
ピストルの号砲とともに、彼は勢いよくスタートを切った。
この後、レースが思いもよらない展開になるのを、まだ誰も知らない――。
*****
2013全日本中学校陸上競技選手権大会
彼が初めてオリンピアサンワーズにやって来たのは、4年前の春だった。中学3年生、専門種目は800mで、当時の自己ベスト記録は2分04秒だった。
彼の目標は、全中(全日本中学校陸上競技選手権大会)に出場することだった。
しかし、足に痛みを感じていて、思い切り走れなくなっていた。
それを心配したお母さんが色々と調べて当店を見つけてくれたのだった。
川見店主は、彼の800mの記録を聞くと、こう思った。
彼は今一番シンドイところにいるな。
800mで2分を切って走らせてあげたいな。
そこまでいけば、もっと楽に速く走れることを、彼は身体で感じるだろう。
「全中」は結果として、おのずとついてくるだろう。
彼には1足のスパイクシューズと2足のランニングシューズをフィッティングした。
すると、彼の足の痛みはどこかに消えた。
そして、急速にタイムが伸びていった。
2か月後、彼は800mの記録を2分01秒と自己ベストを3秒も更新し、念願の全中出場を決めた。
2013年春にフィッティングしたスパイクシューズの写真。これで彼は全中出場を決めた。その時の話は旧のブログで。 |
全中出場決定の話を聞いた川見店主は、800mでの「2分切り」にこだわった。
彼が店に来るたびに、川見店主は言いつづけた。
「全中の800mで2分切るよね?」
「毎晩、腹筋をやってるよね?」
「お母さんの言うこと、ちゃんと聞いてるよね?」
会う度になんやかんやと言われる彼は、川見店主のことを少々苦手に感じていた。
横でお母さんは「もっと言ってやってください」と笑っていた。
彼には川見店主が迫ってくるように見えた。この話のくわしくは旧ブログで。 |
そして、3か月後、8月の全日本中学校陸上競技選手権大会。
彼は男子800m予選で1分58秒75と遂に2分切りを達成し、見事に準決勝進出を果たした。
スタンドで観戦していたお母さんは、レースが終わるとすぐ川見店主に電話をかけた。
お母さんの喜びと興奮は受話器から十分に伝わってきた。
川見店主は、その時お店に居合わせたお客さんたちにも報告した。
「中学3年生の男の子が、たった今、全中の800mで2分切りを達成しました!」
「おお、すごいな!」
「やってくれるな!」
彼の快挙に、皆が拍手喝采を送った。
*****
800m1分55秒
彼は中学校を卒業すると、陸上競技の強豪高校に進学した。彼はレースでゴールすると、そのまま意識を失ってぶっ倒れてしまうことがあった。
それくらい自分を追い込んで走ってしまう。
己のカラダの限界に何の躊躇(ちゅうちょ)もなく突っ込んでしまう。
一旦走りはじめると、自分のすべてを出し尽くさずにはいられないのだ。
いつしか彼の学校では、彼がレースで走る時には、いつどこでぶっ倒れても助けに行けるように、チームメイトがトラックの各コーナーで待機するようになった。
彼が走ると、必ず何かが起きた。
彼が出す結果は、良くも悪くも、いつも周囲の予想を超えてきた。
彼には「ほどほど」ということがなかった。
何をやっても、思いっきり成功するか、思いっきり失敗するかのふたつにひとつだった。
周囲の人たちは、そんな彼をいつもハラハラしながら見守った。
そして、彼が出す結果に、どちらかの言葉を口にすることになった。
「彼は、またやってくれた!」
もしくは
「彼は、またやってしまった!」
色んな成功と失敗を繰り返しながらも彼の記録は伸びつづけた。
2年生までの彼は、こんな素晴らしい成績を残している。
・大阪高校総体 男子1年800m優勝
・大阪高校総体 男子2年1500m優勝
・近畿ユース 男子2年1500m3位
・全国高校駅伝大阪予選会 区間1位
800mの記録は1分55秒93まで伸びていた。
川見店主は、何をしでかすかわからない彼の未知数が楽しみだった。
中学3年から高校2年までの3年間で、川見店主が彼にフィッテングしたシューズは20足を越えた。彼が来店するたびに、調子を聞き、課題を話し合い、目標を共有し、彼の視線で彼の未来を見た。
その先には、全国インターハイの舞台が、ずっと彼を待っていた。
*****
2016近畿インターハイ男子800m
2016年4月。彼は3年生になった。
全国インターハイへの出場を賭けた高校最後のトラックシーズンを迎えていた。
勝負するスパイクシューズは、ちょうど25足目のフィッティングとなった。
川見店主は、彼の走りをイメージしながら、祈るような気持ちでインソールを作った。
2016年春、全国インターハイ出場を賭けたスパイクシューズは、彼との25足目のフィッティングだった。 |
2016年6月18日。
神戸ユニバー記念陸上競技場、近畿インターハイ。
彼はまず男子800mの予選を組1位で軽々突破した。
つづく準決勝のレースは記録1分54秒28と自己ベストを1秒更新してゴールした。
しかし、組運が悪く順位を3位に落としてしまった。
決勝へ進出できる8名は、組2位までの選手6名と、タイム順で選ばれる2名の選手だけだ。
この時点で、彼が決勝へ進出する可能性はきわめて低かった。
全国インターハイ出場の夢は消えたかに思えた。
周囲の人たちは、内心こう思った。
「ああ、彼はやってしまった。」
しかし、彼は何かを持っていた。
なんと、タイムで拾われる最後のひとり「8人目の選手」として、なんとか決勝進出を果たすことになったのだ。
周囲の人たちは胸をなでおろし、口々にこう言った。
「ああ、まったく、彼はやってくれるな!」
そして、翌6月19日、男子800m決勝のレース。
「8人目の選手」である彼は、大方の予想をくつがえし、なんと3位でゴールする大逆転劇を演じて全国インターハイ進出を決めた。
しかも記録は1分52秒86と、前日の準決勝から2秒近くも自己ベストを更新していた。
ゴールした時、彼はスタンドに向かって大きく両手を広げ「やったぞー!」と叫んだ。
それを見ていた周囲の人たちは、驚きと称賛をあの言葉で表すしかなかった。
「ああ、彼がまたやってくれた!」
(このときの話はこちらの旧ブログに)
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2016全国インターハイ男子800m
2016年7月31日。この日、川見店主はいてもたってもいられなくて、早朝から車を飛ばした。
向かったのは岡山県シティライトスタジアム、全国インターハイの舞台だ。
川見店主は午前中のうちに競技場に到着した。
昼過ぎ、彼が出場する男子800m予選がはじまった。
準決勝に進めるのは組2位までの選手16名と、タイム順で選ばれる8名の計24人。
そして、ここでも彼は、予選3位と順位を落とした。
さすがに今回ばかりは、準決勝へ進むのが不可能に思えた。
彼の夏が終わったかに思えた。
周囲の人たちは、こう言わざるを得なかった。
「ああ、彼はまたやってしまった。」
しかし、やはり彼は何かを持っていた。
なんとまたもやタイムで拾われる最後のひとり「24人目の選手」として彼は準決勝に生き残ったのだ。
周囲の人たちは、もう笑うしかなかった。
「ああ、彼がまたやってくれた!」
こうして迎えた、全国インターハイ男子800m準決勝のレース。
最もインコースの第2レーンから、彼は勢いよくスタートを切った。
はじめのカーブを積極的に攻めた。
前方を走る各レーン7名の選手たちを追い抜きにかかる。
第2コーナーを周ったとき、彼の姿は2番手に浮上していた。
オープンコースとなり、選手達の間に静かで熾烈な攻防がはじまる。
抜きつ抜かれつの小さな順位変動を繰り返しながら選手たちはトラックを1周、400mの時点で彼の姿は3番手にあった。
彼は2周目の第1コーナーにさしかかった。
明らかにペースアップし、スピードがあがった。
その時だった。
川見店主も、彼のお父さんもお母さんも、一瞬目を覆いたくなるような光景を見た。
後続の選手が彼に接触した。
彼は不意に突き飛ばされたように、コースからはじかれた。
バランスを崩してよろけ、両腕を振りまわして虚空を掻(か)いた。
制御を失った彼の体が、前のめりにアウトコースへ突っ込んでいくのが見えた。
あぶない!転倒する!
スタンドの観衆からは「ああ」というため息が漏れた。
彼は、なんとか踏みとどまった。
第4レーンまでコースをはずれていた。
順位は6位まで落ちた。
彼は体勢を立て直し、順位を挽回すべくレースに復帰し、前を行く集団を猛追した。
彼はふたたび3番手に浮上した。
しかし、もう彼に力は残っていなかった。
彼の姿は徐々に後退していった。
彼は7位でゴールした。
そして、トラックに倒れ込んだ。
レース後、川見店主はお母さんとスタンドで顔を会わせた。
厳しいレースでしたねと、川見店主は言った。
あの子は、またやってしまいましたと、お母さんはこたえた。
でも彼は最後まであきらめませんでしたねと、川見店主はつづけた。
お母さんは笑顔を返して、こう言った。
「こうして全国大会の舞台にまで連れてきてくれた、あの子に感謝しています。」
全国インターハイの舞台に立つまで、彼は何度も絶望的な状況から浮上してみせた。
そして、高校最後の800mとなったこのレースでも、彼はアクシデントに屈することなく、絶望から浮上してみせた。
決してあきらめず、力尽きるまで走りつづけた彼の姿を忘れることはないだろう。
そんなことを思い、川見店主は、こたえた。
「本当に、彼は、やってくれますね。」
彼が走れば、何かが起こる。
彼の名はR太郎くん。
今年の春から、大学生になりました。
(つづきます↓)
・その2 長距離走者の彼はきっとみんなをハラハラさせる。~R太郎くん伝説<大学生編>
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