スキップしてメイン コンテンツに移動

【ハリマヤ】京都新聞に川見店主が載ったことと、「走れ25万キロ~金栗四三伝」の話を書いておく。



みなさん、こんにちは。

昨秋にヒットしたテレビドラマ「陸王」。
来年(2019)に放送予定のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」。

この2つのドラマの話題性から、マラソン足袋や、日本人初のオリンピック選手・金栗四三さんと、金栗さんのマラソン足袋を作りつづけた「播磨屋(はりまや)足袋店」創業者・黒坂辛作さんの歴史が、今、ふたたび脚光を浴びています。


川見店主の話、いろんな新聞に載る。

昨年(2017)末、川見店主は共同通信社から取材を受けました。
その時の記事が、今年の1月頃から、いろんな新聞に掲載されてるみたいです。

これは京都新聞に掲載された記事。京都に住む川見店主の知人から「あんた、今日の新聞に載ってるよ!!」と電話がかかってきた↓
4月12日付、京都新聞の夕刊。

写真嫌いの川見店主ですが、顔が出ちゃってます
「日本マラソンの父」金栗四三さんの写真と、ほぼ同じくらいの大きさで載っかる川見店主の堂々っぷりです。

川見店主の話はこんな感じで紹介されてます↓
ハリマヤはしかし91年ごろ、バブル期の多角化経営が災いして廃業に追い込まれた。大阪市内でランニングシューズの専門店を営む川見充子も学生時代に愛用した一人。ハリマヤ製品を10足以上、大切に保管している。
「モノも情報も乏しかった時代に、金栗さんと黒坂さんが心を一つにして金栗足袋を作られた。その伝統を受け継ぎ、足袋屋から始まったからこそできた、日本人の足形に合うシューズだった」
この記事は、京都新聞の他にも、
・北国新聞(石川)
・佐賀新聞、
・信濃毎日新聞(長野)
・愛媛新聞
・熊本日日新聞
・山陽新聞(岡山)
・西日本新聞(福岡)
の計8紙に掲載されたそうです。
これからも、掲載される新聞はもう少し増えるらしいです。

ちなみに、川見店主の「顔出し写真」が紹介されたのは、今のところ、この京都新聞だけだそう。
これから記事を掲載する新聞社のみなさま、せっかくなんで、川見店主の顔も出してあげてね!

記事を大きくしてみたよ↓
ハリマヤシューズを手に京都新聞に載る川見店主。


なぜ「NIPPON」なのか?

さて。

上の新聞記事に、1912年ストックホルム五輪の開会式で、プラカードを手に行進している金栗さんの写真があります。

このプラカード、よく見てほしいんです。
なんか、おかしくないですか?

NIPPON」って書かれてますよね?
「ニッポン」って、日本語じゃないですか。
世界大会なんですから、ほんとは英語表記の「JAPAN」のはずですよね?

事実、オリンピックで「NIPPON」のプラカードを掲げたのは、この大会だけだそうです。

では、なぜ、この大会では「NIPPON」になったのか?
その謎解きは、この本に書いてある↓
「走れ25万キロ~マラソンの父・金栗四三伝」
(長谷川孝道著、発行熊本日日新聞)

この本、幻の名著だったんですよ。

2012年の年末に川見店主が「開運!なんでも鑑定団」に出演して、金栗四三さんのハリマヤシューズを鑑定しました。
その時、当店のホームページに「ハリマヤ」の特集サイトを作りました。

嗚呼、ハリマヤのシューズ。
 嗚呼、ハリマヤのシューズ。


このサイトを作るのは、なかなか大変でした。
というのも、作成当時、ハリマヤに関する資料は、手元にあるもの以外には何もなかったのです。ハリマヤ創業者の「黒坂辛作」さんの名前をネットで検索しても、たどりつくのは当店のブログだけという(笑)状況でした。

それでも色々調べるうちに、1961年に出版されていたこの本「走れ25万キロ」の存在を知りました。
目次を見ると、黒坂さんとマラソン足袋に関する章も割いてあるようでした。
サイト作りに役立つ資料が、たくさん載っているにちがいない!
すっげー読みたい!

しっかーーーし!

この本はすでに絶版になっていて、どっかの図書館とかでしか閲覧できなかったんです。
涙をのんであきらめて、手元にある資料だけでハリマヤのサイトを完成させました。

しっかーーーーし!

昨年末に、今回の記事となった共同通信社さんの取材があった時、見たんですよ。
記者さんが、この本を手にもってるのを!
うわぁ、復刻版が出てるんじゃん!
さっそく買いました。
本の奥付を見ると、2013年、つまり、ハリマヤの特集サイトを作った直後に出版されてました。

一気に読みました。
めちゃめちゃおもしろい!
おもしろすぎて、繰り返して2回読みました。
金栗さんの波乱万丈の生涯に泣きました。
豪快で痛快なエピソードの数々に笑いました。
金栗さんの、日本のマラソンや体育振興に懸けた情熱と、成し遂げられた圧倒的な偉業の数々に胸打たれ、感動しました。
で、この中に「NIPPON」の謎も紹介されてます。
(この話も、笑ってしまいます)

読み終わって思ったのは、ハリマヤのサイト作りの時に、この本を読んでなくてよかったってことです。そのおかげで、川見店主は、想像力の翼を自由に羽ばたかせて「ハリマヤ」を語ることができたからです。

川見店主、ハリマヤを語る」↓


しかも、このサイトで川見店主が語っていることは、この本に書いある黒坂辛作さんの話と、おおむね一致していました。

来年(2019)のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」にも、黒坂さんと金栗さんとの、マラソン足袋開発の苦労が紹介されるはずです。
本当に楽しみです。

(おわり)

ドラマ「いだてん」ネタの記事まとめページ↓
 2019年NHK大河ドラマ「いだてん」を勝手に1000倍楽しむブログ


この記事をシェアする
  • B!

コメント

このブログの人気の投稿

【短距離走】たった半年で100mの記録を0.6秒も更新し、全中で4位に入賞した中学2年生スプリンターにフィッティングした7足のシューズとインソールとは?

全中で4位入賞 だいきくんは、中学2年生のスプリンター。 陸上競技の強豪校でがんばってます。 100mの自己ベスト記録は 11秒39 。 今年の夏には 全中(全日本中学校陸上競技選手権) に出場し、 男子4×100mリレー で見事に 4位入賞 を果たしました。 いよっっつ! ――だいきくん、全中出場&男子4×100mリレー4位入賞おめでとうございます! だいきくん: 「ありがとうございます」 ――だいきくんは、何走だったのですか? だいきくん: 「2走っす」 ――全国大会の舞台は緊張しましたか? だいき くん: 「予選は大丈夫だったすけど、 準決勝と決勝はヤバかった っす。めっちゃ緊張しました!」 ――レース後の表彰式で撮影された写真が、「 月刊陸上競技 」10月号に載ってますね。ダイキくんの姿を見つけたときは、とてもうれしかったし、誇らしかったですよ。かっくいー! 2017年8月に熊本県で開催された全中の結果が載ってる「月刊陸上競技」10月号。 だいき くん: 「実は、その写真の時、 めっちゃ落ち込んでた んす」 ――どうして?表彰台に上がって、賞状をもらって、最高にうれしい瞬間じゃないの? だいきくん: 「優勝したチームのタイムが 中学生新記録 だったっす。めちゃくちゃ速くて、勝負にならなかったっす。悔しかったっす」 ――いい経験ができましたね。 だいき くん: 「来年がんばるっす」 ◆ 37年ぶりに日本記録を樹立 ――全中が終わってから、調子はどうですか? だいき くん: 「この前の日曜日(10/9)、 日本新記録 をだしたっす」 ――えっ?日本新記録!? だいき くん: 「 大阪市民陸上カーニバル で、 低学年リレー (※)ってのがあったんすけど、僕はアンカーで走って日本記録を出したっす」 ※【低学年リレー】中学2年生と1年生でチームを編成するリレー。中2が第1走と第4走、中1が第2走と第3走をつとめる。 ――すごいすごい!調べてみたら、なんと1980年以来破られなかった記録を 37年ぶり に更新したって話じゃないですか!ダイキくん、 日本記録保持者 なんだ!」 だいき くん: 「 そうっす(得意気) 」 さらに、いよっっつ!

【ハリマヤ】あの日の少年は今も走りつづけている。~A先生のハリマヤのカタログの話。

1970年代のハリマヤのカタログ 「あの日が、僕のランナーとしてのはじまりです」 そう言って、A先生は、古びた二つ折りの紙をカバンから取り出した。 見開きB4サイズのカタログ。 表紙には「 ハリマヤのカナグリマラソンシューズ 」の文字。 中を開くと、見たこともないシューズの写真が並んでいる。 印刷はところどころが剥げている。 端々はちぎれて破損している。 継ぎはぎをしたセロテープも劣化して変色し、このカタログが越してきた年月を物語っていた。 ◆ 少年は日が暮れるまで走りつづけた。 少年は、走ることが好きだった。 体は大きくはなかったが、足には自信があった。 中学生になると陸上部に入部した。 毎日、日が暮れるまで走りつづけた。 ある日、少年の姿を見ていた先輩が、こんなことを教えてくれた。 「それだけがんばってるんだから、そろそろ本格的なランニングシューズで走った方がいい。大阪の天王寺区に陸上競技の専門店がある。その店に行けば、キミに合ったランニングシューズを選んでくれるよ」 ただし、とその先輩は付け加えた。 「その店のおばちゃんはめちゃめちゃコワいぞ。店に入るときに挨拶をしないと中に入れてくれないぞ。挨拶するのを忘れて、玄関で帰らされたヤツもいるんだ。礼儀正しく、失礼のないようにするんだぞ」 先輩は、その店までの地図と紹介状を書いてくれた。 ◆ 「アンタにはそのクツやな」 少年は、電車を乗り継いで店に向かった。 国鉄大阪環状線の桃谷駅で下車した。 先輩からもらった地図と紹介状を握りしめていた。 見慣れぬ町を、緊張しながら歩いた。 しばらくすると、地図に書いてあるとおりの場所にたどりついた。 建物の1階にあるその店には、看板がなかった。 どこから入っていいのかもわからなかった。 およそ、スポーツ店には見えなかった。 とにかく、目の前の引き戸を思い切って開けてみた。 1960年頃から1991年まで営業した桃谷駅近くの店舗 「こんにちは!失礼します!」 大きな声で挨拶をした。 店にたどり着くまでの道中で、頭の中で何回も練習したとおり、深々とお辞儀をするのも忘れなかった。 狭い店の真ん中には古い木の机が置いてあり、その向こうに、メガネをかけたおばちゃんがひと

【マラソン】ハワイ在住ランナーが、13回目のホノルルマラソンでサブ4を狙わない理由。

そのコーヒーはココナッツの香りがした。 フルーティーな味わい。 ハワイからの贈り物。 コーヒータイム、ホッと一息をつくたびに、ホノルルにいる、あの人を思い出す――。 フルマラソンに挑戦する 50代 以上の 男性ランナー を応援するブログ「 50s Runners Club(フィフティーズ・ランナーズ・クラブ)」 。 第4回目は、 ハワイ在住ランナー のセイジさんがご登場です! ***** 9回目のホノルルマラソン、4時間21分 ホノルルに暮らす。 ワイキキビーチ近く、カラカウア・アベニューで鍼灸院を開業する東洋医学のドクター。 休日は、テニスとゴルフを楽しむ。 セイジさん : 「ハワイはいいところです。気候は過ごしやすく、人々はおおらかです」 ランニングをはじめたのは12年前(2005)。 きっけかはホノルルマラソン。 制限時間がない大会。 90歳のおばあちゃんが16時間かけて完走したりする。 何の練習もせずに走ってみた。 初めての42.195km。 妻とふたり、5時間33分かけて、ゴールにたどり着いた。 想像以上だった。 フルマラソンのツラさも、オモシロさも。 その後、毎年ホノルルマラソンを走るようになる。 ・2005(1回目):5時間33分 ・2006(2回目):6時間39分 ・2007(3回目):6時間30分 ・2008(4回目):6時間35分 ・2009(5回目):5時間45分 ・2010(6回目):5時間02分 ・2011(7回目):4時間22分 ・2012(8回目):6時間11分 ・2013(9回目):4時間21分 走りつづけて9年、サブ4の背中が見えた。 走り方のことも、ランニングシューズのことも、自分なりに色々と調べてやってきた。 しかし、どちらのことも、ずっと、わかったような、わからないような気がしていた。 真実はどこにあるのか? ある日、ネットで興味深い店のWebサイトを見つけた。 その店は、日本にあった。 ホームページも、ブログも、隅から隅まで全部読みこんだ。 求めているものが、ここにあるかもしれない。 ハワイ、2014年5月18日午後7時。 日本にメールを送った。 私はアメリカ、ハワイのホノルルに在住しております〇〇

【テレビ出演】関西テレビ「コヤぶるッ!SPORTS」に出演!川見店主が語った大阪国際女子マラソンに夢中になる理由とは?

「コヤぶるッ!SPORTS」公式サイトより 先日の1/27(日)、川見店主が関西テレビのスポーツ情報バラエティ番組 「コヤぶるッ!SPORTS」 (毎週日曜午前8時25分~55分放送)に出演し、 大阪国際女子マラソン の魅力について語りました。 ◆◇◆ 川見店主、苦手なテレビに出る ――川見店主、こにゃにゃちは。 川見店主: はい、こにゃにゃちは。 川見店主 ――また 苦手 で キライ なテレビに出演しましたね。 川見店主: 最近ちょっと、テレビとかメディアに露出することに対する気持ちが変わってきました。 ――ほー、どのような心境の変化があったのですか? 川見店主: 語るべきことがある限りは、 語る責任がある のではないかと。それと、私が顔を出して喜んでくださる方がいる限りは、出たっていいじゃないかと。ま、それでも恥ずかしさは残ってますけども。 ――今回の番組では、これまで大阪国際女子マラソンを陰で支え応援してきた人たちを紹介するコーナーがあり、その一人に川見店主が選ばれた、って話ですね。 くわしくはこちら↓ 川見店主: 恐縮です。 ――関西ローカル番組でしたので見れなかった方も多いと思います。つーわけで、放送されなかった地域の方々のために、ここで内容を紹介しておきます。 川見店主: でも、 ブログでは顔を隠しといてね 。 ――はいはい、わかりました。 ◆◇◆◇ 大阪国際女子マラソン観戦の達人 スタジオには、小藪さん、シャンプーハットのおふたり、そして、有森さんと女性キャスターが。 まずは、進行のてつじさんが、コーナーを紹介します。 てつじ: 大阪国際女子マラソンでは、大会運営に携わっている人や、見ているひとたちにも実は色々なドラマがあます。そんな人たちを取材してきました。VTRどうぞ。 ナレーション: 大阪国際女子マラソンを第1回から観戦している 達人 、川見充子さん。 ナレーション: シューズの中敷をつくるお店を営む川見さんの長年の夢だったのが…… 川見店主: とにかくマラソンのコース上に店をおきたい。トップ選手の走る姿をそばで見れるってことに夢はありましたね。 ナレーション: 川見さんは、な

なぜ彼女は教師を辞めて、パートの皿洗いをはじめたのか?~オリンピアサンワーズ物語(第7回)

2020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。 (連載:第7回) ◆◇◆ 教師からパートの皿洗いへ 18歳の誕生日に上田のおばちゃんと出会い、その人間性に魅了された川見は、その後の学生時代も、社会人になってからも、オリンピアサンワーズに足繁く通っては、学業や仕事や家庭での悩みを上田に相談していました。 川見にとって上田は、生きる勇気と人生の指針を与えてくれる、かけがえのない存在でした。 川見は大学卒業後に中学校の体育教員となりましたが、徐々に中学教育の在り方に疑問を持ちはじめました。 それを上田に相談すると 「 あんたがやりたい教育は小学校やな 」 とのこたえ。 そこで川見は、中学校での教員生活のかたわら、小学校の教員資格を2年がかりの通信教育で取得。結局、中学校を5年勤めた後、小学校教員へと転身しました。 「 教育こそ社会で最優先されなければならない 」 そんな理想に向かって猪突猛進する川見は、小学校でも市の教育委員会が讃嘆するほどのクラスを毎年つくりあげてみせました。 しかし、ある時、上田にこう言われました。 子供たちには学校以外の世界がある。子供には親があり、親もそれぞれの世界を背負っている。それを『世間』と呼ぶ。高い理想を掲げるのもいいが、その『世間』というものをあんたは知らなさすぎる。教師の身分を隠して、どこかでパートの皿洗いでもやってみなさい もっといい教師になりたい。ただその一心で、川見は、なんと上田の言葉どおりに、小学校を4年で退職してしまいました。 また、この頃、上田は体を悪くしていました。川見は上田の身の回りの世話をしたいと考え、自分はファミリーレストランのパートタイムで働きながら、上田の自宅と店への送り迎えを車で行い、店の営業も少しばかり手伝うようになりました。 パートの仕事では、教育現場とは違った、社会の厳しい現実をまざまざと見せつけられました。 当時、川見はすでに三人の子供を育てるシングルマザー。収入は激減し、子供たちの明日の食事代もままならないほどに家計はひっ迫しました。 でも川見は、 「 この経験が、私をいい教師にしてくれるなら 」 と歯を食いしばって生きていました。 そんな生活が9か月ほど経ったある日、川見に連絡が入りました。 「 上田のおばちゃんが、もうあぶない 」 ◆◇