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【マラソン】彼女は未知の世界へ走りだした~先天性内反足で足首の自由を失った女性がフルマラソンに挑戦した話(その3)



彼女は、京都の景色をほとんど覚えていないという。

「次の関門に間に合うように、そしてまた、その次の関門に間に合うように。それだけを思って、ひたすら足を前に運んでましたから」

先天性内反足で足首の自由を失った女性が、はじめてのフルマラソンに挑む。

第1話「彼女はもう一度走りたかった」
第2話「彼女は決意の一歩を踏み出した」
のつづきです。


未知の世界へ

2019年2月17日。
京都マラソン。

朝の太陽は、雲間から時折に顔を出したが、寒さをやわらげてはくれなかった。
気温0度。
号砲を待つ1万6千人の群衆。
その中に、彼女はいた。
空気は澄んでひんやりと冷たい。
吐く息は白かった。
彼女は小刻みに体を動かした。

歩き方を変え、なんとか走れるようになってわずか4か月間。
とうとう、フルマラソンのスタートラインに立ってしまった。
これから走る距離のことを考えると、もちろん、不安はある。
でも、ここまできたら、もう走るしかない、と彼女は思った。

足元を見つめる。
フラッシュイエローのランニングシューズ。
この4か月間をともに歩き、走ってきた相棒。
お願い、今日も一緒にがんばってね、とシューズに声をかけた。

午前9時。
レースがスタートした。
前方から徐々に人々の波が動きはじめる。
やがて、そのうねりが目の前に迫ってきた。
彼女は、ついに一歩目を踏み出した。
その瞬間。
確かに聞いた。
自分の中で、何かが切り替わる音。
鳥肌が立ち、胸が高鳴った。
未知の世界へと、彼女は走りだした。


彼女の背中を押したもの

足裏の感覚。
土踏まずを支えるオーダーメイドインソールが心地よい。
足元の安定感。
シューズが勝手に、体を前へ前へと運んでいく。
周囲の雰囲気にも押され、おのずとペースも上がっていく。

しばらくして坂をのぼりきると、ふいに視界が開けた。
眼下に広がる光景。
無数のランナーたちで埋め尽くされた道が、はるか先まで、うねうねと揺れている。
うわぁと声をあげそうになる。
こんなにたくさんの人が走ってるんだ!
圧倒されて、我にかえった。
時計を確認する。
最初の5km、想定より3分も速かった。
あとまだ37kmもある。
ゆっくり、ゆっくり、と自分に言い聞かせ、ペースを落とした。

一歩一歩、前に進む。
流れゆく古都の景色。
彼女には見ている余裕などなかった。
けど、沿道の人たちの声は、しっかりと耳に届いた。
「がんばって!」
「もっとしっかり腕をふって走れ!」
どんな言葉も、背中を押してくれた。

練習で経験した距離は25kmまで。
それ以上の距離を走った時、自分の体がどうなるのか想像もできない。
大会の制限時間は6時間。
もちろん、完走したかった。
とにかく、42.195kmの間に設置された8カ所の関門、そのひとつひとつを時間内にクリアしていくことを目指した。


ぐしゃぐしゃの顔で

走りつづけた。歩きもした。
長いなー。遠いなー。
えーっ、あんなとこまで走って、また折り返してくるの!
ずーっと思っている。
フルマラソンが、こんなにもシンドイとは。
そして、こんなにも楽しいとは!
途中の給水をおこたらないようにした。
チョコレートやあめの甘さが沁みた。
それ以上に、ボランティアで大会を支える多くの人々の優しさが沁みた。

やっと25キロ地点にたどりついた。
前を行くランナーたちが、立ち止まったり、ツラそうに屈伸したりしはじめた。
その姿を見て、彼女は、自分の体には何ら痛みが生じていないことに気づいた。
でも、私もあんな風に屈伸した方がいいのかな?
彼女は立ち止まり、その場で膝を曲げてみた。
うわぁ、イタイ、イタイ!
心配していた腰や膝や足首の「関節」ではなく、全身の「筋肉」が悲鳴をあげているのを知った。
もう、屈伸なんかするもんか。二度と立ち止まるもんか。
ふたたび、走りはじめた。

30kmの関門では制限時間までに30分ほどの余裕があった。
この調子でいけば完走できる。
そう思うと、自然とペースがあがった。
自分の足に語りかける。
まだ大丈夫?無理させるけど、もうちょっと辛抱してね。

34、35、36……1キロ先、1キロ先を目指して、ひたすら足を前に運んだ。
37km、残り5kmとちょっと。
いつも練習で走ってきた公園の、2.5kmの周回コースを思い浮かべた。
あそこをあと2周するだけでいいんだ!

40km地点が見えた時はうれしかった。
目からあふれでるものがあった。
汗と合わさって、顔はぐしゃぐしゃになった。
残りの1kmは、とても遠く感じた。
ぐしゃぐしゃの顔を、さらにぐしゃぐしゃにしながら、フィニッシュラインを越えた。
5時間32分49秒。
彼女が未知の世界の征服に費やした記録。


彼女が報告したかった人

翌日。
彼女は、朝から普通に仕事に向かった。
全身が筋肉痛だった。
しかし、腰や膝や足首の関節には何の痛みもなかった。
職場に着くと、同僚たちが拍手で迎えてくれた。
「完走できたやん!すごいな!」
皆で祝福してくれた。
彼女のスマホも、家族や親族や友人からの驚きと喜びの言葉であふれた。

仕事帰り。
彼女の足は、ある場所に向かった。
どうしても、会って報告したい人がいる。
オリンピアサンワーズ。
店の扉を開ける。

川見店主は両手を広げて彼女を迎え入れた。
彼女は笑顔で歩み寄った。
川見店主は彼女を優しく抱きとめた。
彼女の顔を見つめて言った。

「よくがんばりましたね」

彼女はこたえた。

「ありがとうございます。無事に帰ってきました。私、完走しちゃいました」

「不可能を可能にしましたね」

「シューズを合わせてもらったおかげです。それと、うれしい報告が、もうひとつあります」

「どんなことですか?」

「私が歩いていても、もう冷たい視線を感じることがなくなりました。誰もすれ違いざまに振り返ったりしなくなりました」

「ほんとですか!すごい!歩き方から変わりましたもんね!努力しましたもんね!」

「でも、新しい悩みもできました」

「え?体をどこか痛めましたか?」

川見店主の問いに、彼女はいたずらっぽい笑顔で、こたえた。

「ちがうんです。私はこれまで、何かできないことを、時にはこの足のせいにしていたと思います。でも、私は走れた。不可能だと思っていたフルマラソンを完走できた。やればできる。だからもう、これからは足のことを何の言い訳にもできなくなりました」

川見店主は、すべてがうれしくて、何度も、何度も、彼女を抱きしめた。


彼女が証明した「真実」とは?

フルマラソンを走る前、彼女はこんな風に想像していたという。
もし、私が42.195kmを走り終えて、無事にフィニッシュしたら……

「大会スタッフの人たちが駆け寄ってきて、私の肩にタオルをかけてくれるのだろう。首には記念のメダルをかけてくれ、感動をともに分かち合ってくれるのだろう」

でも、実際は、ちがった。

「フィニッシュしてすぐに『はいタオル、はいメダル、はい飲み物』って、ポンポンポンと渡されました。両手はいっぱいになって、私は顔をぐしゃにぐしゃにしたまま立ち尽くしてました。完走してもわりとカンタンな扱いなんだなーって、なーんか拍子抜けしちゃいました(笑)」

彼女は、他の完走した一般ランナーのように「カンタンな扱い」を受けた。
つまり、沿道の人たちも、大会スタッフたちも、誰も気付かなかったのだ。
彼女の足のことを。
それくらい彼女は、普通に、そして奇跡的に、ランナーとして42.195kmを走り切ったのだ。

人は変わることができる――それが、彼女が証明した真実だ。
しかし、真実が真実でありつづけるためには、さらなる実証が求められる。
彼女は言う。

「これからも走りつづけたいと思っています。今度は、大阪や、神戸や、名古屋のフルマラソンにも挑戦したいです」

彼女は、ふたたび、未知の世界へと走りだす。
挑戦をつづける者にとってのみ、この世界はキラキラと新しい。
京都マラソン2019。Eさんの完走証、記念メダルとタオル、ゼッケン。

(おわりです)
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