彼女は決意の一歩を踏み出した~先天性内反足で足首の自由を奪われた女性がフルマラソンに挑戦した話(その2)


「彼女はもう一度走りたかった」のつづきです)

ひとりの女性が店の扉を開けた。
店内に歩き進む、そのわずか数歩。
川見店主は見逃さなかった。
歩き方。
体が右側に傾いた。
一歩一歩に腰が回り左右に揺れる。
足首が不安定に内側へとねじれこむ。


川見店主が迫られた選択

2018年10月某日。
彼女ははじめてオリンピアサンワーズにやって来た。

フルマラソンを走りたいです、と彼女は言った。
そして、生い立ちを語った。
生まれた時のこと、幼い頃の手術、動かぬ右の足首、それでも走ることが好きだったこと、陸上競技での挫折、今もずっと悩まされる腰や股関節の痛み……。

川見店主は、彼女の体と向き合った。
筋肉のつき方がちがう、別人のような右脚と左脚。
かたちも大きさも、まったく異なる右足と左足。
そして、彼女の歩き方――。

川見店主は、彼女が乗り越えてきたであろう、多くの苦労を思った。
だからこそ「走りたい」という彼女の気持ちも、よくわかる気がした。
しかし、彼女の体には歩くだけでも相当の負担がかかっているはずだ。
まして、走る時に被(こうむ)るダメージの大きさは想像もつかない。
この体のままで、42.195kmもの距離を走り抜くのは、到底不可能だ。

川見店主は、自身に責任を問うた。
第一に守るべきは、彼女の「体」だ。
大切にすべきは、日常であり生活だ。
無理をし、体を傷めてまでフルマラソンに挑戦することを、美談にしてはならない。

しかし、こうも思った。
彼女の「心」もまた、大切にしてあげたい。
彼女の「不可能」を「可能」にしたい。
それが、彼女の人生を切り拓くことになるのならば――。

川見店主は決断を迫られた。
選択肢は2つしかなかった。
ひとつ、彼女にフルマラソンをあきらめさせる。
ふたつ、なんとしても無傷で彼女を完走させる。
大会まで、わずか4か月。
遠慮してはいられなかった。
言い放った。

「フルマラソンを走るのは無理です。危険です。やめるべきです」


彼女に求めた「2つ」の挑戦

川見店主の言葉に、彼女は、深くうなづいた。
川見店主はつづけた。

「それでも走りたいのですよね?」

彼女は、もう一度、うなづいた。

「ならば、歩き方から変える必要があります。できますか?」

彼女は、こたえた。

「挑戦します」

川見店主は、彼女とともに走る覚悟を決めた。
まず、厳しい現実を見据える必要があった。
彼女の歩く姿を、前方からと後方からとくまなく撮影し、動画におさめた。
それを彼女に見せた。
彼女は言った。

「私、こんな風に歩いていたんですね」

正しく歩けなければ、正しく走れない。
心を鬼にしてでも、この人の歩き方を変えなければ。
川見店主は、人間の身体が秘めている無限の可能性に賭けた。
閉店間際まで、彼女とともに店内を歩き、改善方法を探った。
そして、普段の生活から歩き方を意識するよう彼女に求めた。

さらにもうひとつ。
川見店主が彼女に求めたことがある。
この日の彼女は、腰から下が隠れるような、ゆったりとした服を着ていた。
決意を促すように、川見店主は言った。

「あなたの脚は、長くて素敵なのです。堂々と見せるべきです」

その日の夜、川見店主は、なかなか寝付けなかった。
目を閉じると、彼女の歩く姿がまぶたに浮かんだ。
どんなインソールを作ればいいのか、深く悩んだ。


彼女は一歩を踏み出した

1週間後。
彼女はふたたび来店した。
親しくしている友人も付き添ってきた。
彼女の服装。
丈の短いジャケットにタイトなパンツ姿。
川見店主は、彼女の決意を感じた。

ランニングシューズのフィッティング。
彼女の左右の足のちがいを、オーダーメイド・インソールでいかに克服するか?
川見店主は、左足と右足のインソールにそれぞれ異なる調整を加え、特別な加工を施した。
最上級インソールのゼロアムフィットを装着。川見店主は左右それぞれのインソールに異なる加工を施した。

彼女は、インソールを装着した真新しいシューズに足を入れた。
そして、言った。

「こんなに足にピッタリのシューズを履いたのは、はじめてです」

川見店主は彼女の横に立ち、声をかけた。

「さぁ、歩いてみましょう。まずは、上半身の姿勢を整えて」

彼女は軽く一回背伸びし、ゆっくりと息を吐いた。
そして、決意をこめたように、一歩を踏み出した。
川見店主は、彼女の腰に手を当て、ともに歩きはじめた。

「足をまっすぐに出して、そう、太ももの内転筋に力を入れて……」

店内を歩く。
彼女の友人が、思わず声をあげた。

「うわ、歩き方、ぜんぜん変わったやん!」

彼女は、まっすぐに歩いてみせた。
川見店主は、胸の高鳴りを感じながら、彼女の歩く姿を動画におさめた。
その動画を見た彼女は、驚いた。

「これ、私ですか?揺れてないですよね!まっすぐに歩いてますよね!」


彼女の足を鍛えるために

彼女の歩き方は、見違えるように良くなった。
とはいえ、まだ不安定だった。
長年の体の習性が、以前の歩き方に戻そうとするのだ。
まっすぐ歩くための「足」と「脚」を、さらに鍛える必要があった。
そのために、ぴったりの履き物があった。


1か月後。
川見店主は、彼女のために、左右でサイズの違う足袋型シューズを特別に用意した。
装着するオーダーメイドインソールは足先部を短めにカットし、足指が「ぐいぐい」と地面を踏みしめるように工夫した。
足袋型シューズ「hitoe」は左右で違うサイズを用意した

足袋型シューズを履いた彼女は、足指の感覚を確かめながら、店内を歩いた。
一歩、一歩、慎重に歩を進めた。
店内を、何度も、何度も、往復した。
その姿を見て、川見店主は言った。

「足が悪いなんて、もう誰も思いませんよ」

彼女は、うれしそうに、うなずいた。
そして、ゆっくり深呼吸をすると、また前を向いて歩きはじめた。


彼女の4か月

彼女は、家の中では足袋型シューズを履いて生活するようになった。
外に行く時は、いつでもフラッシュイエローのランニングシューズを履いて出かけた。

少しづつ、ランニングの練習も積み重ねた。
走っても腰や股関節に痛みを感じなくなった。
週2日の平日には5km、週末には10kmと距離を伸ばして走れるようになった。

20km走の練習にもはじめて挑戦することにした。
前日は緊張して一睡もできなかった。
翌日、睡眠不足で挑んだ練習は散々だった。
疲れ果てた。
いい勉強になった。
これ以上の距離を走るのは、大会の本番だけにしておこうと思った。

こうして、彼女の4か月が過ぎた。

京都マラソンの前日は、早目にベッドに入った。
レースのことを考えると不安になる。
また緊張して眠れなくなりそうだった。
あれこれ考えても仕方がないと開き直った。
すると、ぐっすりと眠れた。
翌朝、スッキリとした気分で目が覚めた。

彼女がスタートラインに立つまで、あと4時間。

(つづきます)

彼女はもう一度走りたかった~先天性内反足で足首の自由を奪われた女性がフルマラソンに挑戦した話(その1)



川見店主は、その人を抱きしめた。
そして、両腕をつかんで体を離すと、その人の顔を見つめて言った。

「よくがんばりましたね」

その人はこたえた。

「ありがとうございます。無事に帰ってきました」

川見店主は、その人を、もう一度、強く抱きしめた。


彼女が背負ったもの

お腹の子は、中から強く、何度も何度も、蹴ってきた。
お母さんは、元気な子が生まれてくるだろうと思った。

町の助産院で、彼女は生まれた。
彼女をとりあげた助産師さんは、彼女の足を見て、声をあげそうになった。
その足が誰にも見えないように、小さな体を、そっとタオルで包みこんだ。
そして、お母さんに優しく声をかけた。

「元気な女の子ですよ」

お母さんは、生まれたばかりの小さな命を愛おしく見つめた。

2日後、彼女は大学病院へと運ばれた。
彼女の右足は、足首から先が大きく内側に曲がっていた。
足の親指が、脛(すね)にくっついていた。
精密検査が必要だった。
冷たく大きな検査装置の中に、ひとり寝かされた。
お父さんは、胸を締めつけられながら、ガラス越しに小さな命を見守った。

「先天性内反足」

それが、彼女がこれからの長い人生に背負っていくことになる病名だった。
医師は言った。

「でも、この子は大丈夫です。こんな言い方は間違っているかもしれませんが、この子の足には、必要な″部品″が全部そろっています。だから、大丈夫です」


走ることが好きだった

生後2か月の時と、4歳の時と、彼女は大きな手術を2回受けた。
ある日、おじいちゃんが病院へ見舞いに行った。
可愛い孫の姿は病室にはなかった。
おじいちゃんが彼女の居場所を尋ねると、看護師さんが笑ってこたえた。

「廊下にキズが見えますよね?Eちゃんが足に装具を付けたまま元気に歩きまわるので、キズがつくのです。あのキズをたどっていけば、Eちゃんに会えますよ」

彼女の右足は、足先から太ももまでを装具で固定された。
でも、彼女は不自由を感じることはなかった。
自分にとっては、生まれながらの自分の足だった。
幼稚園にあがるまでは、装具を付けたままで周りの友達と同じように、いや、それ以上に元気に遊びまわった。
お母さんも、決して彼女を特別扱いしなかった。

彼女は体を動かすことが好きだった。
特に、走ることが大好きだった。
小学校6年間は、ずっと運動会のリレーメンバーに選ばれた。
大阪の代表選手として、陸上競技の特別な大会に出場したこともあった。
中学校では陸上部がなかったので、ハンドボール部に入部した。
右足の足首は動かなかったけれど、左足を頼りに動き、ジャンプし、誰よりも強烈なシュートを放った。


彼女が夢見たもの

高校に入ると、彼女は念願の陸上部に入部した。
ハードル選手になることを夢見た。

しかし、彼女の体は、成長とともに左右のバランスを大きく欠くようになっていた。
左脚に比べ、右脚は筋肉が少なく2まわりほども細い。
左足に比べ、右足のサイズは2cmほども小さい。
無意識に右足をかばう動きが、体に負担をかけた。
長距離を走ったり練習が厳しくなると、股関節や腰に激しい痛みを感じるようになった。
時には、針を打ちまくって痛みを散らし、試合に出場したこともあった。

走りつづけることは難しかった。
危険ですらあった。
ハードル選手の夢はあきらめざるを得なかった。
彼女は、円盤投げの選手となり、新しい挑戦をはじめた。
大好きな陸上競技だけは、つづけたかった。


もう一度、走りたい

社会人になり、結婚し、子供を産んだ。
今は仕事もしている。
何をするにも、足のことを言い訳にしたくない。
ただ、体にはどうしても無理が生じてしまう。
股関節や腰の痛みには、いつも苦しんでいる。

彼女だけの歩き方がある。
人の視線を感じるのはいつものことだ。
かといって、慣れるものではない。
すれ違いざまに振り向かれると、今でも心が疼(うず)く。
でも、そんなことに負けていられない。
そう思って、生きてきた。

1年ほど前。
職場の同僚にランニングをすすめられた。

「いつか、フルマラソンに一緒に出場しよう」

悪い冗談かと思った。
一体何を言ってるの?
私の足のこと知ってるでしょ?
走れるわけないじゃない!
断わろうと思った。
でも、心の奥にひっかかるものがあった。
そりゃあ、走れるものなら、もう一度走ってみたい。
けれど、また自分の「右足」と向き合うことになる―ー。

結局、「どうせ当選するわけがない」と、同僚とともに3つのマラソン大会に応募した。
ジムに通って、ランニングマシンの上を走りはじめてみた。
動くベルトの上を走るのは難しかった。
着地でバランスを崩し倒れそうになる。
腰痛も起こってきた。
マシンの上を走るのは、怖くなってやめた。

応募したマラソン大会の通知がきはじめた。
1つめは抽選に外れた。
2つめも外れた。
内心、ホッとしていた。

2018年10月。
3つめにきた通知。
京都マラソン、当選だった。
彼女は困惑した。
42.195kmを走る自分なんて、まったく想像できない。
なんとかしなければ。
ランニングシューズのことも、ちゃんと考えなければ。

ずっと気になっている店があった。
走りはじめてから、自分なりに色々調べていた。
この店に行くしかないな。
店のホームページを開く。
「オリンピアサンワーズ」
電話をかける。

彼女がスタートラインに立つまで、あと4か月。

つづきます↓
彼女は決意の一歩を踏み出した

川見店主が出演したFM放送「MUKOJO(武庫川女子大学)ラジオ」がポッドキャストで公開中です!



川見店主がFMラジオ初出演です!

みなさん、こんにちは。

聴きました?
昨夜のラジオ、聴きました?
何のラジオ?って、川見店主が出演したFMOH!(大阪851)の番組「MUKOJO(武庫川女子大学)ラジオ」ですよ!

このラジオ番組は、「輝く女性を応援!」をテーマに、各界で活躍する武庫川女子大学の卒業生や在学生をゲストに、仕事や活動や大学時代の学びについて楽しいトークを繰り広げるというもの。

番組公式サイトには、川見店主出演回<第101回>の放送内容も紹介されてます↓


さあ、川見店主の記念すべきラジオ初出演。
その第一声「こんばんは!」には、緊張がビンビンに伝わってきましたね(笑)。
その後も川見店主は、しばらく緊張が解けず、いささかドスのきいた感じでコワかった(笑)ですが、中盤には徐々に普段の口調になって、終盤には「話がとまらん」って感じになってましたね!
いつも話しだすと話題が広範囲にとっちらかる川見店主を相手に、実質20分ほどのトークにまとめあげたDJ塩田えみさんの進行がプロフェッショナルでした。
あー、おもしろかった!

さて、川見店主本人は、どう聴いたのでしょう?
川見店主

川見店主:まぁ……私の声が変ですよね。

――確かに、自分の声って、自分で聞くと変に感じることあります。何か反響はありましたか?

川見店主:放送が終わってから、私のスマホはラインとメールの嵐です。「おもしろかった」「聞きやすかった」「やる気がでた」等々、たくさんのお声をちょうだいしてます。

――主な話の内容は、オリンピアサンワーズの二代目を継いだ経緯についてでした。

川見店主:創業者の上田のおばちゃんのことを話せてよかったです。「上田さんとの絆に胸を打たれました」「川見店主の原点を知りました」といったお言葉もちょだいしております。ありがとうごいます。

つーわけで、おおむね好評だった今回のラジオ出演。

「聴き忘れた!」
「大阪のFMラジオは地方で聴けない!」
とお嘆きのあなた!
大丈夫です!
番組公式サイトのポッドキャストで、放送内容がまるまる聴けるようになってます!
こちらでお聴きくださいねー↓

川見店主がFM放送「MUKOJO(武庫川女子大学)ラジオ」に登場は3月6日午後8時からです!




川見店主がラジオ出演です!

みなさん、こんにちは!

ここ数年、「陸王」やら「いだてん」やらの関連で取材を受け、各メディアに「イヤイヤ」露出する機会が増えてる川見店主。
で、今度はラジオで公共の電波に乗っかります(笑)!

川見店主が出演するのは、FMOH!851(FM大阪)で放送(毎水曜日20時~)の
MUKOJOラジオ(武庫川女子大学ラジオ)」。

このラジオ番組は、「輝く女性を応援!」をテーマに、各界で活躍する武庫川女子大学の卒業生や在学生をゲストに、仕事や活動や大学時代の学びについて楽しいトークを繰り広げる、というものだそうです。

収録を終えた川見店主に話を聞きます。
川見店主

――川見店主、おつかれさまでした。

川見店主:あー、緊張した。あー、つかれた。

――収録は順調に終わりましたか?

川見店主:わかんない。なにをしゃべったか覚えてない。あー、緊張した。

――今回の出演に至った経緯を教えてください。

川見店主:武庫川女子大学は私の母校です。私の同期の友人が、私の記事が掲載された雑誌『りぶる(2019年1月号)』を大学に送ってくれたことがきっかけで、番組に招いていただきました。

「りぶる」はこんな記事↓

――番組収録にあたっては、大学の広報さんと事前にも電話で打ち合わせを行ってましたね。その模様は横で聞いてましたが、川見店主がしゃべりまくって、広報さんがかわいそうになるくらいの長電話になってましたね。

川見店主:学生時代から現在の仕事をするまでのことを聞かれて、ひとつひとつこたえただけなんですけども。

――波乱万丈が過ぎますもんね、人生が。

川見店主:広報さんに「番組でもぜんぶお話していただきたいですが、シリーズで3回分くらいになってしまいます」と言われてしまいました(笑)。

――30分の番組ですが、まとまりましたか?

川見店主:DJの塩田えみさんがお話をリードしてくださったので、それに必死に乗っかって行った、という感じです。

進行をつとめるDJの塩田えみさん(右)と川見店主(左)。


――収録では、主にどんな話をしたのでしょう?

川見店主:なぜオリンピアサンワーズの二代目を継いだのか?という話と、なぜオーダーメイドインソールでシューズをフィッティングするようになったのか?という話がほとんどでした。

――録音ブース内の川見店主がこちらの写真。

おおお、ゲストっぽい!ほんで、いかにもラジオっぽい!!


しかし、気になるのが、川見店主のヘッドセットの位置なんですが。


DJの塩田さんは頭の上にしっかり付けているのに、川見店主は、なぜ後頭部にまわして付けてるんでしょう?

川見店主:あれはさぁ……私の頭がおさまらなかったです



――わははは、そんなに頭大きいんでしたっけ?

川見店主:わかんない。


つーわけで、意外とおつむが大きい川見店主が初めて出演するラジオ番組「MUKOJOラジオ(武庫川女子大学ラジオ)」は、
2019年3月6日(水)午後8時~8時30分の放送予定です!

え?大阪にいないから、放送を聞けないって?
大丈夫!
今は日本全国のラジオ放送をインターネットでどこにいても聴ける時代なんですよー!

こんなアプリもあるし↓
radiko










放送後に番組サイトにアクセスすれば、ポッドキャストでいつでもお聞きになれますよ!
「MUKOJOラジオ」のサイトはこちら


おたのしみにーーー!

いだてん金栗四三とハリマヤ黒坂辛作、その情熱の襷(たすき)を。~ハリマヤサイトに新ネタを追加

『月刊陸上競技』1983年7月号に掲載されたハリマヤの広告

金栗四三の「情熱」

みなさん、こんにちは。

毎週日曜日の夜8時からは、なにがなんでもテレビの前に座って、NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」を見ています。

先週の<第7話「おかしな二人」>で、中村勘九郎さん演じる主人公の金栗四三さんが、オリンピック開催地のスウェーデンに向かう準備として、礼服一式を新調したりテーブルマナーを学んだりする、といった話がありました。
ドラマ上の脚色はありますが、本当にあった話だそうです。
また、今では到底に考えられませんが、国から渡航費などの援助はまったく無く、「自腹」でオリンピックに参加した、というのも本当の話だそうです。マジか!

だって、この本に書いてたもん↓
走れ25万キロ~マラソンの父金栗四三伝<復刻版>
「走れ25万キロ~マラソンの父 金栗四三伝」復刻版
長谷川孝道著
(熊本日日新聞)

自腹」つながりで、話をもうひとつ。
この本『走れ25万キロ~マラソンの父・金栗四三伝』は、1961年に出版された名著ですが、長い間ずーっと絶版になってました。

しかし、著者の長谷川孝道さんは、金栗さんの偉業を後世に伝え残すために、なんとこの<復刻版>を2013年に自費出版されたんですって!マジですか!

長谷川さんが執念で自費出版するに至った経緯の詳しくは、娘さんでピアニストの樹原涼子さんがブログに書かれてます。感動しました↓

金栗さんの「情熱」が、日本のマラソンをつくった。
長谷川さんの「情熱」が、金栗さんの偉業を残した。
情熱」の襷(たすき)は、受け継がれる。
どうか、この本を手にしてほしい。
あなたの胸にも、きっと、「情熱」の火種が灯ることだろう。


黒坂辛作の「情熱」

さて、ドラマ「いだてん」でピエール瀧さん演じる「播磨屋足袋店」の黒坂辛作さんは、金栗四三さんとともに「マラソン足袋」を開発した人物です。
黒坂さんもまた、金栗さんの「情熱」に「情熱」でこたえた人でした。
黒坂辛作
ハリマヤ創業者

黒坂さんの「情熱」が生み出しだ「カナグリ足袋」や「カナグリシューズ」は、日本の歴代ランナーたちをオリンピックや世界のマラソン大会で活躍させました。
1936年 カナグリ足袋でベルリン五輪マラソン優勝
1953年 カナグリシューズでボストンマラソン優勝

播磨屋は、戦後にはシューズメーカー「ハリマヤ」に発展。
足袋づくりを原点に持つハリマヤのシューズは日本人の足によく合いました。
職人たちの高度な技術は他メーカーの追随を許さず、国産にこだわるハリマヤの良質なシューズは、長年にわたり陸上競技選手やランナーたちを魅了しつづけました。


ハリマヤの「情熱」

そんな、ハリマヤの「情熱」を知ってほしいがために、オリンピアサンワーズが「自腹」で作ってるサイトが、こちらです↓

ほんでこの度、この「ハリマヤサイト」に、新たな3つの【章】が追加されたんですよ!

・ひとつめ!
第3章「1953年 山田敬蔵のカナグリシューズ」
読みたいひとはこちら

オリンピアサンワーズには、雑誌『月刊陸上競技』のバックナンバー(1982年~現在に至るまで)が保管されています。
で、<1987年6月号>の中に、この記事を発見したんです!
1953年ボストンマラソンを優勝した山田敬蔵さんが、「カナグリシューズ」秘話とハリマヤの思い出を語る貴重な資料ですよ!


・ふたつめ!
第5章「1972年 あの日の少年は今も走りつづけている」
読みたい人はこちら

この章は、当ブログのこの記事を転載したもの↓

オリンピアサンワーズの創業者・上田のおばちゃんとA先生とのエピソードが大好きです。
それに、古いハリマヤのカタログが一体誰のもので、なぜ大切に保管されてきたのか、その「小さな歴史」をとどめておきたかったので、この度「ハリマヤサイト」に追加しました。


・みっつめ!
第6章「1982-1989 さよならハリマヤ。最後に煌めいた8年間の記録」
読みたい人はこちら

オリンピアサンワーズに保管されてる雑誌『月刊陸上競技』のバックナンバーからハリマヤの広告を大発掘!1982~1989年までの8年間分、およそ100冊の中から見つけた広告全26点を大公開しました!
また、各広告の画像をタップ(クリック)すると、当店インスタグラムに連動して、その広告の全文(宣伝文句、商品名、素材、価格などなど)が読めるっていう、超ハイブリッドなスペシャルページになってるんです!
インスタのコメントにせっせと打ち込んだ文字数は、ぜーんぶでざっと2万文字
こんなん誰が読むねん
と自分自身にツッコみながらの大編集となりました。
アー、肩コッタ。
つーわけで、本邦初公開!
ハリマヤがこの世から姿を消すまでの8年間、最後の煌(きら)めきをご覧あれ!



「情熱」の襷(たすき)を

「ハリマヤサイト」を当店ホームページではじめて公開したのは、2012年12月20日
昨年(2018)12月には、新しい【章】を2つ追加した<新装改訂版>を公開。
その時の話↓
で、その後もこんな【章】がひとつと、今回の3つの【章】が追加され、現在の「ハリマヤサイト」は【12章】の構成となりました。
内容も時代順に再構成↓

序章「日本のマラソンをつくった金栗四三ともうひとりの男」
第1章「1903年 歴史は足袋からはじまった」
第2章1936年 黒坂辛作 我、世界に勝つ」
第3章「1953年 山田敬蔵のカナグリシューズ」
第4章「1954年 足袋からシューズへ 開発の軌跡」
第5章「1972年 少年とハリマヤの物語」
第6章「1982-1989 さよならハリマヤ」
第7章「2006年- みんなと語るハリマヤシューズの思い出」
第8章「2012年 鑑定 金栗四三のマラソンシューズ」
第9章「2013年 金栗四三ら開発 元祖マラソン靴」
第10章「2017年 消えたハリマヤシューズを探して」
第11章「2018年 陸王がつないだ100年のドラマ」
第12章「2019年 世界を制したカナグリシューズの秘密」

それに、第7章「みんなと語るハリマヤの思い出」のページには、驚きの投稿がつづいてるんですよね!
こんな話とか↓

こんな話とか↓
「ハリマヤサイト」は、たくさんの方々のご協力で、できあがっています。
みなさま、ありがとうございます!

黒坂辛作さんがハリマヤを創業したのは1903年。
金栗四三さんが初めてオリンピックに出場したのは1912年。
それから100年以上を経た今もなお、金栗さんと黒坂さんが燃やした「情熱」は、私たちを突き動かします。
胸の中に灯った火種。
2020年の東京オリンピックへ。
さらにその向こうの新しい時代へ。
「情熱」の襷(たすき)を受け継ぐのは、いよいよ私たちの番です!

(おわりです)

あの日の少年は今も走りつづけている。~A先生のハリマヤのカタログの話。

1970年代のハリマヤのカタログ

「あの日が、僕のランナーとしてのはじまりです」

そう言って、A先生は、古びた二つ折りの紙をカバンから取り出した。
見開きB4サイズのカタログ。
表紙には「ハリマヤのカナグリマラソンシューズ」の文字。
中を開くと、見たこともないシューズの写真が並んでいる。
印刷はところどころが剥げている。
端々はちぎれて破損している。
継ぎはぎをしたセロテープも劣化して変色し、このカタログが越してきた年月を物語っていた。


少年は日が暮れるまで走りつづけた。

少年は、走ることが好きだった。
体は大きくはなかったが、足には自信があった。
中学生になると陸上部に入部した。
毎日、日が暮れるまで走りつづけた。

ある日、少年の姿を見ていた先輩が、こんなことを教えてくれた。

「それだけがんばってるんだから、そろそろ本格的なランニングシューズで走った方がいい。大阪の天王寺区に陸上競技の専門店がある。その店に行けば、キミに合ったランニングシューズを選んでくれるよ」

ただし、とその先輩は付け加えた。

「その店のおばちゃんはめちゃめちゃコワいぞ。店に入るときに挨拶をしないと中に入れてくれないぞ。挨拶するのを忘れて、玄関で帰らされたヤツもいるんだ。礼儀正しく、失礼のないようにするんだぞ」

先輩は、その店までの地図と紹介状を書いてくれた。


「アンタにはそのクツやな」

少年は、電車を乗り継いで店に向かった。
国鉄大阪環状線の桃谷駅で下車した。
先輩からもらった地図と紹介状を握りしめていた。
見慣れぬ町を、緊張しながら歩いた。
しばらくすると、地図に書いてあるとおりの場所にたどりついた。

建物の1階にあるその店には、看板がなかった。
どこから入っていいのかもわからなかった。
およそ、スポーツ店には見えなかった。
とにかく、目の前の引き戸を思い切って開けてみた。
1960年頃から1991年まで営業した桃谷駅近くの店舗

「こんにちは!失礼します!」

大きな声で挨拶をした。
店にたどり着くまでの道中で、頭の中で何回も練習したとおり、深々とお辞儀をするのも忘れなかった。

狭い店の真ん中には古い木の机が置いてあり、その向こうに、メガネをかけたおばちゃんがひとり座っていた。
上田のおばちゃん
オリンピアサンワーズ創業者
(1924-1982)

おばちゃんは言った。

「アンタ、誰や?」

「○○中学校の、Aといいます!」

「で、何しにきたんや?」

「はい、走るクツが欲しくてやってきました!」

「よっしゃ、はいり」

少年は、おそるおそる、店内に足を入れた。
先輩が書いてくれた紹介状を、おばちゃんに手渡した。

「種目は?」

「長距離をやっています!」

「なにをなんぼで走るんや?」

少年は最近の試合で出した記録を伝えた。

「ふーん、ちょっと、足、見せてみ」

少年は靴を脱いだ。
おばちゃんは、じっと、少年の足を見つめた。

「……そこの棚の、そう、その箱を出してみ」

店内の四方の壁には、ベニヤ板で棚がしつらえてあった。
その棚には、いくつもの箱が積まれていた。
箱に印刷された文字が、少年の目に飛び込んでくる。
「オニツカタイガー」「ハリマヤ」「ニシ」。
そこには、A少年がいつの日か履いてみたいと憧れていたスポーツメーカーのシューズが、箱の中におさまってたくさん並んでいた。

少年は、おばちゃんに言われるままに指で棚をたどり、ひとつの箱を抜きとった。
箱の中から出したシューズは、真っ白に光って見えた。
シューズに見とれていると、おばちゃんがうながした。

「ええから、ちょっと履いてみ」

少年は黙ってシューズに足を入れてみた。
おばちゃんは立ち上がると、机の前に進み出てきてくれた。
腰を曲げてかがみ、ちょんちょんと少年のつま先に触れて言った。

「アンタには、そのクツやな」

おばちゃんは、机の向こうに戻っていって、ふたたびイスに座った。
少年は他にも色んなシューズを見てみたい気がしたけれど、おばちゃんがコワくて何も言えなかった。


ハリマヤのカタログ

少年は、その店にシューズを買いに行くようになった。
店に行くときには相変わらず緊張した。
おばちゃんは、いつもコワわかった。
おばちゃんが選ぶシューズには、いつも黙って足を入れた。
そして、シューズはいつも、不思議なくらいに、自分の足にピッタリだった。
少年は、おばちゃんに会いに行くのが楽しみになっていた。

いつ頃からか、おばちゃんは、少年の名前を呼ぶときには「さん」も「くん」もつけず、呼び捨てにするようになった。
そのことは、おばちゃんと自分との親しさの表れのようで、少年にはうれしかった。

ある日、おばちゃんは、

「A、これ持っていき」

と真新しいカタログを少年に渡した。
「ハリマヤ」の最新カタログだった。
鮮やかなフルカラーに目を奪われた。
少年は、おばちゃんに一人前のランナーとして扱ってもらえたような気がした。
カタログを小脇に抱え、誇らしい気持ちで家路についた。
飽きることなく、何度も何度も、そのカタログを見返した。
見開きのページは数々のハリマヤシューズが


A先生の「覚悟」

少年は、小学校の先生になった。

教師の仕事は忙く、慌ただしい日々が過ぎて行った。
それでも、A先生は、毎日走ることを怠らなかったし、練習日誌をつけることも欠かさなかった。
練習日誌の最後のページには、おばちゃんにもらった、あのハリマヤのカタログを挟んでおいた。
それを見れば、ランナーとしての自分を見失わない気がした。

ランニングシューズをはき潰すと、A先生は、やはり、あの店へと足を運んだ。
そして、おばちゃんが選ぶシューズに黙って足を入れた。

「おばちゃんが選ぶシューズには間違いがない」

それが、A先生がシューズを選ぶ唯一の基準になっていた。

「先生」と呼ばれる仕事に就いてからも、おばちゃんは以前と変わりなく接してくれた。
相変わらず、名前は呼び捨てにされていた。
いくつになっても、それは心地よいことだった。
おばちゃんの前では、本当の自分に戻れるような気がした。

おばちゃんが亡くなったときは、とても悲しかった。
自分を支えていた何かがひとつ、スッポリと抜け落ちたようだった。

おばちゃんの店は、ある女性が継ぐことになったようだった。
その女性のことは、あまりよく知らなかった。

「あのおばちゃんが選んだ人だから、間違いないはずだ。でも、新しい店主は、おばちゃんの遺志を継げるだろうか?店は変わってしまわないだろうか?なにより、僕に合ったシューズを選ぶことができるだろうか?」

A先生は、ひとつの「覚悟」を決めた。

「よし、これからも、あの店でシューズを買おう。それがおばちゃんへのせめてもの供養になるだろう。そして、新しい店主がすすめるシューズは、どんなシューズだって、黙って履くことにしよう。ただし――」

A先生は、その覚悟に「期限」を定めた。

「それはこれから1年間だけだ。1年経って、新しい店主のやり方に納得しなければ、残念ながら、僕があの店に行くことはなくなるだろう」


少年は走りつづけている。

それから1年後も、10年後も、20年後も、30年後も、そして、今も。
かつての少年は走りつづけている。
そして、ランニングシューズをはき潰せば、オリンピアサンワーズに足を運ぶ。

「これまでの人生、僕がずーっと走ってこれたのは、二代目を継いだ川見店主のシューズ選びもまた、間違ってなかったからです。それを見極めた僕もまた間違ってなかった、てことでしょう(笑)」

A先生は、ずっと練習日誌を書きつづけている。
もう何十冊になったのかわからないが、そのノートはすべて残してあるそうだ。

「おばちゃんにハリマヤのカタログをもらった、あの日が、僕のランナーとしてのはじまりです。このハリマヤのカタログは、練習日誌のノートが変わるたびに、一番最後のページに貼っておくことにしています。ランナーとしての"初心"を、決して忘れないように」

(おわりです)