【マラソン】自己ベスト2時間34分のサブ3ランナーは、なぜ別府大分マラソンの残り10kmを80分かけて走り抜かねばならなかったのか?

彼はなぜ走るのをやめなかったのか? 2015年2月1日、別府大分マラソン。 その日の彼は、調子がよかった。 スタートから果敢に攻めていた。 前年夏から順調に練習をこなしてきた。 秋の関西実業団駅伝でも、ベストと言えるほどの走りができた。 手ごたえは十分にあった。 このレースの目標タイムは2時間35分。 自己ベスト 2時間34分13秒 の記録をもつ彼にとっては、決して無謀なタイム設定ではなかった。 ただ、不安材料もなくはなかった。 年末年始にインフルエンザで寝込んでしまったのだ。 1か月で果たしてどこまで調子がもどっているか? 腕のストップウォッチを時折に確認する。 液晶画面に並ぶ数字は、規則正しく、1km/3分35秒前後のペースを刻んでいた。 このままいけば大丈夫だ、と言い聞かせた。 体に異変が起きたのは32km地点だった。 脚がパタリと動かなくなった。 道路脇に立ちつくす彼を、ランナーたちが次々と抜き去っていった。 いつもの彼ならば、その場でレースを放棄したかもしれない。 彼にとっての「フルマラソン」は「完走」が目的ではない。 完走して3時間以上かかる記録を残しても彼には意味がない。 だから、記録を狙えないと判断すれば、レースの途中で棄権することも厭(いと)わない――それが、彼にとっての「フルマラソン」だった。 しかし、この日、彼は走ることやめなかった。 残りの10kmを、歩くようなスピードで進みつづけた。 結局、彼は、それから80分もの時間をかけて、フィニッシュラインにたどり着いた。 記録 3時間19分43秒 。 後日、彼に訊いた。 なぜ、走るのをやめなかったのか? 彼はこたえた。 「それはわかってるんですよ。完走したところで、今回の記録が自分にとって何の足しにもならないことは。ただ、思ったんですよ。このゴールにたどり着いておかないと、もうマラソンに帰ってこれないんじゃないかって」 ◆ 3年ぶりのフルマラソン2時間50分 本日のお客様は、「孤高のランナー」もりもっちゃんです。 ――もりもっちゃん、こんにちは。 もりもっちゃん :はい、どうも。 ――もりもっちゃんは、今年(2018)2月に 泉州国際マラソン に出場。3年ぶりに走った42.195kmの記録は 2時...