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【ハリマヤ】NHK大河ドラマ「いだてん」の話題で川見店主が取材を受けて2時間語りまくった話。

NHK番組HPより ハリマヤのことで取材を受ける みなさん、こんにちは。 来年から放送予定のNHK大河ドラマ「 いだてん~東京オリムピック噺 」。 オリンピアサンワーズは制作に協力しています↓ このドラマの主人公は、「日本マラソンの父」 金栗四三 さんです。 金栗さんは、1912年のストックホルム五輪でマラソンに出場、「足袋」を履いて走りました。その足袋は、「播磨屋(はりまや)足袋店」の足袋職人・ 黒坂辛作 さんがつくったものでした。 【黒坂辛作】 写真は黒坂さんの曾孫さんからご提供いただいた新聞記事から。 戦後、播磨屋足袋店はシューズメーカー「 ハリマヤ 」へと発展。 国産にこだわったハリマヤの良質なランニングシューズは、絶妙な履き心地で日本人の足にピッタリとフィットし、多くの陸上競技選手やマラソンランナーたちから、長年にわたり強く支持されつづけました。 しかし、残念ながら、1990年頃にハリマヤは倒産。 それから30年近くが経ち、平成が終わろうとしている今、金栗さんの生涯とともに、伝説と化した「ハリマヤ」の歴史にも大きな脚光が当たりはじめています。 ハリマヤの詳しくはこちら↓   で、ここんところ、ハリマヤのことでいろんな取材が入るオリンピアサンワーズ。 その度に、店に保管されているハリマヤシューズたちを店内に展示し、ちょっとしたハリマヤコーナーを特別に設置します。 ハリマヤのことになったら、協力は惜しみません。 こんな風に↓ ハリマヤコーナーを設置する 「カナグリベガI ¥7,800」の札は1980年代に販売されてた当時のもの ブル-のアップシューズは、最近、某お客様が寄贈してくださいました。 ハリマヤのシューズバッグ なぜ「消えた」はずのハリマヤシューズが、オリンピアサンワーズには現存するのか?↓ ◆ 川見店主が語りまくる2時間 昨日は某広報紙の取材を受けました。 東京からはるばる、女性2名と男性2名の計4名の取材班がご来店。めっさ本格的。 インタビューを受けながら、バンバン写真を撮られる川見店主↓ ハリマヤシューズを背に取材を受ける川見店主 話題はハリマヤの歴史から、現在のランニングシュー

【いだてん】金栗四三さん生誕の地、熊本県和水町(なごみまち)へ行こう!キャンペーン実施中!

熊本からの訪問者、ふたたび 10月某日。 昼下がりのオリンピアサンワーズ。 見知らぬ男性ふたりが来店。 名刺を受け取る。 こんな文字が並んでいる。 「 熊本県和水町観光課 」 ――「くまもとけん」ってことは……も、もしや、あなた方は!? 男性1 :来年放送予定のNHK大河ドラマ「 いだてん~日本オリムピック噺」 の主人公・ 金栗四三先生 の生誕の地、熊本県は玉名群の 和水町 (なごみまち) から、観光のPR活動で大阪までやってまいりました!! ――おおお!遠路はるばるのご訪問、誠にありがとうございます!「いだてん」の話題でいよいよ熊本は盛り上がってきてますね! 「いだてん」のドラマ制作にオリンピアサンワーズが協力してる話↓ 男性2 :そうです! ご覧ください、私のTシャツを! (バサッと上着を脱ぐ) ――うわっ!!! 金栗四三生誕の地熊本県和水町Tシャツだ! すっごいTシャツ!金栗四三さん情報が、これほどまでに簡潔にプリントされてるTシャツがこの世にあっただろうか!! みんなも知ろう金栗さん情報↓ ・その生涯は、1891-1983だよ ・和水町(なごみまち)出身だよ ・日本人初の五輪選手だよ ・日本マラソンの父だよ ・箱根駅伝の創設者だよ ・世界最高タイム3度記録してるよ(非公認だけどね!) ・伝説のマラソン大記録保持者だよ ・グリコマークモデルのひとりだよ つーわけで、 熊本県観光物産課 のMさんと、 和水町商工観光課 のTさんがご来店です。 Mさん :大阪に来たならば、このお店に寄らないわけにはいかないと思いまして。 ――そういえば、先日は熊本県大阪事務所の人も来てくださいました↓ Tさん :よろしければ、どうぞ、おみやげも持ってきました! ドーーン! うれしーー!からブログで紹介しちゃーーう! ・金栗四三翁遺品目録 ご遺族から寄贈された金栗さんの愛用品・メダル・写真などをまとめた図録(和水町教育委員会編集・発行) 金栗四三翁遺品目録 ・走れ金栗四三付箋 ぬぁんと、金栗さんが付箋に! 表紙にはマラソン足袋で走る金栗さんの勇姿。 表紙の裏側には金栗さん情報満載! 付箋の端には走る金栗さんのシルエットが!

【いだてん】「日本マラソンの父」金栗四三さんの故郷・熊本県へ行こうキャンペーン実施中!

熊本からの訪問者 2018年9月某日。 オリンピアサンワーズに、見知らぬ若い女性と男性のペアが訪れた。 名刺を受け取る。 こんな文字が並んでいる。 「 熊本県大阪事務所 」 川見店主: ん?「 熊本県 」の「 大阪事務所 」って?どーゆーことですか? 女性: あのー、私、この度、熊本県のアピールのために大阪に出向してきた者なのです。 女性は、赤いクリアファイルを川見店主に手渡した。 誰もが知ってるくまのキャラクター。 ユーモアたっぷりに踊る文字は「 願いは熊モテ県 」。 くまもんのクリアファイル(左)と熊本県をアピールするリーフレット(右) 川見店主: はぁ。熊本県の人が、なぜ私のところに? 女性: 来年に放送予定の NHK大河ドラマ『 いだてん 』 の主人公・ 金栗四三 (かなくり・しそう)の故郷は 熊本県 です。これを機会に、熊本を全国に大きくアピールしたいと思っておりまして。 大河ドラマ「いだてん」制作にはオリンピアサンワーズも協力してるよ↓ 川見店主: ああ!なるほど! 女性: それで、熊本の方からですね、大阪では必ずオリンピアサンワーズさんのところに行くようにと言われまして。「Tさん」ってご存知ですよね? 川見店主: あ!あの「依頼人」のTさん! 女性: そうです。Tさんから川見さんを紹介されました。 ◆ 金栗四三のマラソンシューズ 「依頼人」の「Tさん」とは誰なのか?少し説明しておきます。 *** 2012年春。 熊本県玉名市在住の「Tさん」は、家の押し入れの中から1足の古いランニングシューズを見つけた。それは、昔、家の近所に住んでいた金栗四三さんが、Tさんのお父さんにくれた「お宝」だった。Tさんは、そのシューズの価値が知りたくて、テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」に出品し、鑑定を依頼した。 「開運!なんでも鑑定団」に出品された「金栗四三のマラソンシューズ」 しかし、このお宝「金栗四三のマラソンシューズ」の鑑定は難航した。そのシューズを生産していたシューズメーカー「ハリマヤ」は、20年以上前に倒産していたからだ。 番組ディレクターは、あらゆる博物館や図書館を訪ねるも、鑑定に役立つような資料はどこにも見つけることができなかったし、「ハリマヤ」

【ハリマヤ】金栗四三と黒坂辛作の物語は今もつづいている。~神戸新聞で川見店主がハリマヤのシューズについて語っています。

川見店主、神戸新聞に載る。 神戸新聞(2018年9月1日付)に川見店主が登場です! 「黎明の鐘~日本スポーツ事始め」 じゃじゃーん! 神戸新聞(2018/09/0)。兵庫県のOZ先生からご提供いただきました。 写真嫌いの川見店主には、モザイクをかけておきます。 なんとしても 川見店主の顔が見たい って人には、 当店インスタで公開してますよ! さて、この記事は、 近代化という"号砲"が鳴り、日本のスポーツ界は発展してきた。道なき道を走った選手、彼らに寄り添った指導者や職人、スポーツの楽しさを広めた伝道師…。黎明期から現在に続く先駆者たちの足跡をたどる。 というもので、これからも全国津々浦々の地方新聞に連載される模様。 今年の4月には、京都新聞他9紙に掲載されました↓ で、今回は連載の第1回目。 見出しには 「足袋からシューズへ」 「韋駄天と職人、二人三脚で開発」 とあります。 「韋駄天」 とは、「日本人初のオリンピック選手」 金栗四三 さんのこと。 「職人」 とは、「ハリマヤ足袋店」の足袋職人 黒坂辛作 さんのこと。 「二人三脚で開発」 とは、金栗さんと黒坂さんが共に開発した「 マラソン足袋 」のことです。 ◆ 金栗四三と黒坂辛作のマラソン足袋 金栗四三さんは、 日本人初のオリンピック選手 として、1912年のストックホルム五輪でマラソンに出場しました。その後も五輪は2大会に出場しています(1920アントワープ大会と1924パリ大会に出場。身体能力的に最盛期だった1916ベルリン大会は戦争で中止)。 また、 箱根駅伝 や多くのマラソン大会実現に尽力、ランナーの高地トレーニングをいちはやく導入・実践するなど、生涯を通して長距離走者の育成と日本マラソン発展に尽くした功績から「 マラソンの父 」と称されています。 さらに、女子体育の普及など近代日本の体育振興・発展の礎(いしずえ)を築いた、先見性に富んだ革新的な教育者でもありました。 金栗さんは、まさに、近代日本スポーツの黎明期を駆け抜けた偉大な「 先駆者 」でした。 「走れ25万キロ~マラソンの父金栗四三伝」復刻版 (長谷川孝道著・熊本日日新聞) さて、金栗さんは、初めて出場したオリンピックのマラ

【ハリマヤ】京都新聞に川見店主が載ったことと、「走れ25万キロ~金栗四三伝」の話を書いておく。

みなさん、こんにちは。 昨秋にヒットしたテレビドラマ「 陸王 」。 来年(2019)に放送予定のNHK大河ドラマ「 いだてん~東京オリムピック噺 」。 この2つのドラマの話題性から、 マラソン足袋 や、日本人初のオリンピック選手・ 金栗四三 さんと、金栗さんのマラソン足袋を作りつづけた「播磨屋(はりまや)足袋店」創業者・ 黒坂辛作 さんの歴史が、今、ふたたび脚光を浴びています。 ◆ 川見店主の話、いろんな新聞に載る。 昨年(2017)末、川見店主は 共同通信社 から取材を受けました。 その時の記事が、今年の1月頃から、いろんな新聞に掲載されてるみたいです。 これは京都新聞に掲載された記事。京都に住む川見店主の知人から「あんた、今日の新聞に載ってるよ!!」と電話がかかってきた↓ 4月12日付、京都新聞の夕刊。 写真嫌いの川見店主ですが、 顔が出ちゃってます 。 「日本マラソンの父」金栗四三さんの写真と、 ほぼ同じくらいの大きさ で載っかる川見店主の堂々っぷりです。 川見店主の話はこんな感じで紹介されてます↓ ハリマヤはしかし91年ごろ、バブル期の多角化経営が災いして廃業に追い込まれた。大阪市内でランニングシューズの専門店を営む川見充子も学生時代に愛用した一人。ハリマヤ製品を10足以上、大切に保管している。 「モノも情報も乏しかった時代に、金栗さんと黒坂さんが心を一つにして金栗足袋を作られた。その伝統を受け継ぎ、足袋屋から始まったからこそできた、日本人の足形に合うシューズだった」 この記事は、京都新聞の他にも、 ・北国新聞(石川) ・佐賀新聞、 ・信濃毎日新聞(長野) ・愛媛新聞 ・熊本日日新聞 ・山陽新聞(岡山) ・西日本新聞(福岡) の計8紙に掲載されたそうです。 これからも、掲載される新聞はもう少し増えるらしいです。 ちなみに、川見店主の「顔出し写真」が紹介されたのは、今のところ、この京都新聞だけだそう。 これから記事を掲載する新聞社のみなさま、せっかくなんで、川見店主の顔も出してあげてね! 記事を大きくしてみたよ↓ ハリマヤシューズを手に京都新聞に載る川見店主。 ◆ なぜ「NIPPON」なのか? さて。

【ハリマヤ】金栗四三とハリマヤと東京都文京区の「縁(えにし)」。

みなさん、こんにちは。 昨秋にヒットしたテレビドラマ「 陸王 」。 来年(2019)に放送予定のNHK大河ドラマ「 いだてん~東京オリムピック噺 」。 この2つのドラマの話題性から、 マラソン足袋 や、日本人初のオリンピック選手・ 金栗四三 さんと、金栗さんのマラソン足袋を作りつづけた「播磨屋(はりまや)足袋店」創業者・ 黒坂辛作 さんの歴史が、今、ふたたび脚光を浴びています。 オリンピアサンワーズも、その影響を少なからず受けております。 ここ数年、伝説のランニングシューズメーカー「 ハリマヤ 」をめぐって、川見店主が取材を受けていろんなメディアに登場したり、思わぬ出来事に遭遇したりしてます。 ・「いだてん」の制作に協力した↓  ・集英社のWebスポルティーバに登場↓ ・「陸王」の影響をモロに受ける↓ ・西日本新聞に載る↓ ・川見店主、歴史の証言者に出会う↓ ◆ ほんで、今回。 東京文京区に本社のあるクリーニング業界専門の新聞出版社「ゼンドラ株式会社」さんから、「 100万人の女性のための生活情報誌・WOMAN’S GATE(ウーマンズ・ゲート) 2018年春号」を送っていただきました。 これ↓ 100万人の女性のための生活情報誌「ウーマンズ・ゲート」2018年春号 この新聞、クリーニング屋さんに置いてあるフリーペーパーだそうです。 女性を対象にした新聞だけに、紙面はカラフルな色使いで、キレイな女性たちの写真や、かわいいイラストがたくさん載ってます。 で、8ページある紙面の中で、どどーんと1ページを割いて、 あきらかに異色な こんな記事が載ってるんです↓ 題して「 実際にあった!金栗四三を支え作られたマラソン用『金栗足袋』と、東京文京区の縁(えにし) 」 紙面1ページを割いてどーんと紹介。レイアウトかっこいい。 記事の前半は、金栗四三さんと黒坂辛作さんの歴史が紹介されてます。 記事の後半には、文京区の 区長さん が登場し、インタビューにこたえてます。 なんで区長さんの話が、っていうと、「播磨屋足袋店」が創業された「大塚仲町」も、後のマラソンシューズメーカー「ハリマヤ」も、 文京区にあった からです。 で、ここに載っ

【ハリマヤ】『陸王』がつないだ100年のドラマ~語りつづける者がいるかぎり、襷(たすき)は…。

ハリマヤのシューズバッグとスパイクシューズ 【2017年】100年のドラマが動き出す。 川見店主は、知らなかった。 その人物の本当の名前すらも知らなかった。 だから、会えるとも思っていなかったし、会いたいという願望もなかった。 しかし、川見店主こそが、その人物に会わなければならなかった。 事態は「向こう」からやってきた。 2017年11月某日。 オリンピアサンワーズにかかってきた1本の電話は、まさしく、その人物からだった。 『陸王』 がつないだ、100年のドラマが動き出す。 ***** 【1912年】播磨屋(はりまや)のマラソン足袋 日本のランニングシューズの歴史は、「 播磨屋 (はりまや)」という 足袋屋 からはじまっている。 播磨屋は、1903年に東京大塚に創業された。 創業者は 黒坂辛作 (くろさか・しんさく)。 【黒坂辛作】 播磨屋足袋店創業者 当時、播磨屋の近くにあった東京高等師範学校の学生たちが、この店の足袋を愛用していた。その学生のなかに、 金栗四三 (かなくり・しそう)がいた。 1912年、金栗は日本人で初めてオリンピック(ストックホルム大会)に出場、播磨屋の足袋を履いてマラソンを走った。 オリンピックに惨敗した金栗は、その後、 箱根駅伝 をはじめ多くのマラソン大会を実現するなど、長距離ランナーの育成に生涯を懸けた。そして、黒坂とともに、日本人が世界で戦うための「 マラソン足袋 」を 共同開発 しつづけた。 1936年の ベルリン五輪 では、マラソン日本代表の孫基禎(ソン・ギジョン)選手が「マラソン足袋」で走り抜き優勝。播磨屋は、ついに世界を制した。 日本にマラソンを確立したのは、金栗四三だった。 その時代を足元で支えたのは、播磨屋の「マラソン足袋」だった。 戦後を迎えるまで、日本の長距離選手は「マラソン足袋」で走るのが主流だった。 【金栗四三(1891-1983)】 日本人初のオリンピック選手。箱根駅伝の創始者。「日本マラソンの父」と称される。 やがて、播磨屋は、日本を代表するランニングシューズ・メーカー「 ハリマヤ 」へと発展を遂げる。国内の工場で、職人たちが熟練した技術で作り上げるハリマヤのシューズは、日本人の足によく合い、多くの陸上競技