【ハリマヤ】金栗四三と黒坂辛作の物語は今もつづいている。~神戸新聞で川見店主がハリマヤのシューズについて語っています。
川見店主、神戸新聞に載る。
神戸新聞(2018年9月1日付)に川見店主が登場です!
「黎明の鐘~日本スポーツ事始め」
「黎明の鐘~日本スポーツ事始め」
じゃじゃーん!
神戸新聞(2018/09/0)。兵庫県のOZ先生からご提供いただきました。 |
さて、この記事は、
今年の4月には、京都新聞他9紙に掲載されました↓
で、今回は連載の第1回目。
見出しには
「足袋からシューズへ」
「韋駄天と職人、二人三脚で開発」
とあります。
「韋駄天」とは、「日本人初のオリンピック選手」金栗四三さんのこと。
「職人」とは、「ハリマヤ足袋店」の足袋職人黒坂辛作さんのこと。
「二人三脚で開発」とは、金栗さんと黒坂さんが共に開発した「マラソン足袋」のことです。
また、箱根駅伝や多くのマラソン大会実現に尽力、ランナーの高地トレーニングをいちはやく導入・実践するなど、生涯を通して長距離走者の育成と日本マラソン発展に尽くした功績から「マラソンの父」と称されています。
さらに、女子体育の普及など近代日本の体育振興・発展の礎(いしずえ)を築いた、先見性に富んだ革新的な教育者でもありました。
金栗さんは、まさに、近代日本スポーツの黎明期を駆け抜けた偉大な「先駆者」でした。
さて、金栗さんは、初めて出場したオリンピックのマラソンに「足袋」を履いて走りました。その足袋は、「播磨屋(はりまや)足袋店」の黒坂辛作さんがつくったものでした。
金栗さんと黒坂さん。
このふたりの出会いこそが、日本のマラソンとランニングシューズの「100年」を超える壮大な物語の「はじまり」でした。
ふたりは試行錯誤を繰り返しながら「マラソン足袋」を共同開発。それはやがて「金栗足袋」へと進化を遂げ、1950年代はじめ頃まで日本の歴代ランナーたちに愛用されました。
しかし、ハリマヤは忽然(こつぜん)と姿を消します。
なぜか?
その理由はここに↓
以下、今回の新聞記事から、川見店主のコメント部分を抜粋。
今回の神戸新聞の記事。近代化という"号砲"が鳴り、日本のスポーツ界は発展してきた。道なき道を走った選手、彼らに寄り添った指導者や職人、スポーツの楽しさを広めた伝道師…。黎明期から現在に続く先駆者たちの足跡をたどる。というもので、これからも全国津々浦々の地方新聞に連載される模様。
今年の4月には、京都新聞他9紙に掲載されました↓
で、今回は連載の第1回目。
見出しには
「足袋からシューズへ」
「韋駄天と職人、二人三脚で開発」
とあります。
「韋駄天」とは、「日本人初のオリンピック選手」金栗四三さんのこと。
「職人」とは、「ハリマヤ足袋店」の足袋職人黒坂辛作さんのこと。
「二人三脚で開発」とは、金栗さんと黒坂さんが共に開発した「マラソン足袋」のことです。
◆
金栗四三と黒坂辛作のマラソン足袋
金栗四三さんは、日本人初のオリンピック選手として、1912年のストックホルム五輪でマラソンに出場しました。その後も五輪は2大会に出場しています(1920アントワープ大会と1924パリ大会に出場。身体能力的に最盛期だった1916ベルリン大会は戦争で中止)。また、箱根駅伝や多くのマラソン大会実現に尽力、ランナーの高地トレーニングをいちはやく導入・実践するなど、生涯を通して長距離走者の育成と日本マラソン発展に尽くした功績から「マラソンの父」と称されています。
さらに、女子体育の普及など近代日本の体育振興・発展の礎(いしずえ)を築いた、先見性に富んだ革新的な教育者でもありました。
金栗さんは、まさに、近代日本スポーツの黎明期を駆け抜けた偉大な「先駆者」でした。
「走れ25万キロ~マラソンの父金栗四三伝」復刻版 (長谷川孝道著・熊本日日新聞) |
さて、金栗さんは、初めて出場したオリンピックのマラソンに「足袋」を履いて走りました。その足袋は、「播磨屋(はりまや)足袋店」の黒坂辛作さんがつくったものでした。
【黒坂辛作】
写真は黒坂さんの曾孫さんからご提供いただいた新聞記事から。
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金栗さんと黒坂さん。
このふたりの出会いこそが、日本のマラソンとランニングシューズの「100年」を超える壮大な物語の「はじまり」でした。
ふたりは試行錯誤を繰り返しながら「マラソン足袋」を共同開発。それはやがて「金栗足袋」へと進化を遂げ、1950年代はじめ頃まで日本の歴代ランナーたちに愛用されました。
戦後、播磨屋足袋店はシューズメーカー「ハリマヤ」へと発展。
時代も「マラソン足袋」から「ランニングシューズ」へと変わりました。
ハリマヤには、足袋づくりからはじまった職人の高度な技術力がありました。
その国産にこだわった良質なランニングシューズは、絶妙な履き心地で足にピッタリとフィットし、多くの陸上競技選手やマラソンランナーたちに強く支持されました。
時代も「マラソン足袋」から「ランニングシューズ」へと変わりました。
ハリマヤには、足袋づくりからはじまった職人の高度な技術力がありました。
その国産にこだわった良質なランニングシューズは、絶妙な履き心地で足にピッタリとフィットし、多くの陸上競技選手やマラソンランナーたちに強く支持されました。
しかし、ハリマヤは忽然(こつぜん)と姿を消します。
なぜか?
その理由はここに↓
ハリマヤはしかし91年ごろ、バブル期の多角化経営が災いして廃業に追い込まれた。大阪市内でランニングシューズの専門店を営む川見充子も学生時代に愛用した一人。ハリマヤ製品を10足以上、大切に保管している。
「モノも情報も乏しかった時代に、金栗さんと黒坂さんが心を一つにして金栗足袋を作られた。その伝統を受け継ぎ、足袋屋から始まったからこそできた、日本人の足形に合うシューズだった」
◆
NHK大河「いだてん~東京オリムピック噺」
川見店主が某通信社から取材を受けたのは昨年(2017)秋で、ちょうどテレビドラマ「陸王」が話題になってた頃でした。
「陸王」がオリンピアサンワーズにつないだ100年のドラマ↓
来年(2019)のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」は金栗さんが主人公。黒坂さんとの「マラソン足袋づくり」のエピソードも紹介されるとか。
オリンピアサンワーズはドラマ制作に協力しました↓
金栗四三さんが「日本マラソンの父」であるならば、黒坂辛作さんがつくったマラソン足袋は「日本のランニングシューズの原点」であると言えるでしょう。
今年もマラソンの季節がやってきます。
2020年には東京オリンピックが待っています。
金栗さんと黒坂さんの物語は、今もつづいています。
(おわり)
ドラマ「いだてん」ネタの記事まとめページ↓
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