スキップしてメイン コンテンツに移動

【中距離走】800mで大会新記録を樹立した高校1年生が、レースで先頭を走る理由とは?~中距離ランナーりゅうきくんの話(その2)



その1「800mを1分56秒で走る中学生が、たった3ヶ月で記録を6秒も更新した理由とは?」のつづきです)


なんと予選で大会新記録

2017年8月某日。
京都市西京極陸上競技場。
京都府高校ユース陸上競技大会。
男子1年800m予選のレース。

スタートラインに立つ彼には覚悟があった。

「思いっ切り走ってやろう」

彼の持つ自己ベスト記録は1分56秒91。
出場選手の中で群を抜いている。
予選を突破するのは明らかだった。
決勝に進むことを考えると、このレースは軽く「流して」体力を温存するのが得策なはずだ。
でも、彼はちがった。

「思いっ切り走ってやろう。そして、記録を狙ってやろう」

スタートから、ぶっとばした。
他の選手と接触するのもイヤだった。
第2コーナーを周り、オープンコースになった時には、すでに2位以下を10m程引き離していた。
スタンドで彼を応援する人たちは思った。
おいおい、まだ予選なのに、アイツなんであんなにとばしてるんだ?

その差は開く一方だった。
トラックを1周した時は30m、2周目のバックストレートでは50mほど離した。
彼はどこまでいくんだ!
場内は騒然としてきた。
スマホで撮影していたお母さんの手は震えた。

彼は、前だけを向いてひたすら走りつづけた。
圧倒的な走りを見せつけてフィニッシュした。
2位との差はなんと70m程も開いていた。
ざわついた場内にアナウンスが流れる。
1位、○○くんの記録1分56秒10は、大会新記録です――。
「おおーー!」
驚きの歓声と称賛の拍手が湧きおこった。

つづく決勝でも、彼はぶっとばした。
記録1分57秒52。
もちろん、優勝した。

*****

なぜ順位ではなく記録を狙ったのか?

本日のお客様は、高校1年生の中距離選手りゅうきくんです。

――りゅうきくん、こんにちは。

りゅうきくん:「こんにちは(ニコニコ)」

――まずは京都府高校ユース男子1年800m優勝!おめでとうございます!
いよっつ!


ほんで大会新記録も樹立!おめでとうございます!
二連発いよっつ!



りゅうきくん:「ありがとうございます(ニコニコ)」

――質問です。りゅうきくんの実力なら、予選のレースは流しても余裕で通過するのに、なぜ記録を狙いにいったのですか?決勝に進める順位に入るだけでもよかったでしょう?

りゅうきくん:疲れていない自分の力を全部ぶつけて走ったら、どれだけのタイムが出るか知りたかったんです

――でも、予選で本気を出したら、それはそれで疲れちゃって、決勝のレースに響くじゃないですか。そんな不安はなかったのですか?

りゅうきくん:「どれだけ疲れてても、決勝で優勝できると思ってました」

――かっくいー!お父さんとお母さんは、どんなお気持ちで観戦されてましたか?予選での大会新記録にはビックリされたんじゃないですか?

お母さん:「ドキドキして震えっぱなしでした」

お父さん:「予選から全力で走るか?っていうね。決勝の方がタイムが悪いっていうね。そんな選手は他にいませんでしたよ(笑)。」


駅伝シーズンに向けて

――りゅうきくんが、初めてオリンピアサンワーズに来てくれたのは昨年(2016)5月でした。それからたった3か月で800mの記録を6秒も更新、ついに全中(全日本中学校選手権)出場を果たした話は、前回のブログに書きました↓
で、今春からは陸上競技の強豪高校に進学。
高校生になってからは、どんな競技生活を送ってますか?

りゅうきくん:「実はほとんど長距離の練習をしています。中距離のための練習は、ほとんどしてません」

――へー、それで800mで大会新記録ですから、すごいですね。

りゅうきくん:「これからは、駅伝にむけて練習がはじまります」

つーわけで、中距離走でも長距離走でも期待されてるりゅうきくんのランニングシューズをフィッテイングする今日のアムフィット!
装着するオーダーメイド・インソールは、いずれも最上級インソールのゼロアムフィットです!

まずは、7月にフィッティングした2足がこちら↓
2017年7月。走りこみ用とスピードトレーニング用のランニングシューズをフィッティング。
彼はこのシューズたちを夏の合宿で履きつぶした。それほど練習はハードだった。

そして、今回フィッティングした2足がこちら↓
2017年9月。走りこみ用と、長距離の「省エネ」なランニングフォームを身につけるためのランニングシューズをフィッティング。

さぁさぁさぁ、履き心地はいかがでしょーかー!

りゅうきくん:「はい、いい感じです。ピッタリです」

この日は、「月1(つきいち)クリオDay」で、クリオ販売の「たぶっちゃん」も店に来てくれてました。
※たぶっちゃんはブログにもたびたび登場↓
全国インターハイのたぶっちゃん
大阪インターハイのたぶっちゃん

たぶっちゃんは、学生時代には関東の某強豪大学で箱根駅伝出場を目指す長距離選手でした。
川見店主とたぶっちゃんは、りゅうきくんの試合の動画を見て、彼のランニングフォームを分析。

川見店主:「彼はまだまだ上半身を使えるよね?」

たぶっちゃん:「そうですね。上半身と下半身がもっと連動すれば、もっと走れるでしょうね」

川見店主:腕ふりの練習が必要だよね。それと競歩の練習をした方がいいよね」

たぶっちゃん:「ちょっと、ここで競歩を練習してみましょうか」

店内は即席の「競歩教室」に。
たぶっちゃんのフォームを見本にして、一生懸命に店内を歩くりゅうきくん。
競歩の中には「走る」のエッセンスが凝縮されています。
だから、「歩く」だけなのにムズカシイ。
りゅうきくんは、時に右手と右脚が一緒に出たりしてしまう。

川見店主:「ぎこちない動きになるね。ランニングフォームに改善の余地はいっぱいあるね。ってことは、記録の伸びしろもたっぷりあるってことだよね」

この1週間後、彼は近畿高校ユースの大会をひかえてました。
今シーズンで最後のトラックレース。
出場するのは、もちろん800m。

川見店主:「予選から本気で走る必要はないからね」

りゅうきくん:「そうなんですけど、いつも記録を狙ってしまうんです」


*****

その涙に、悔しさに。

1週間後。
2017年9月15日。
滋賀県皇子山陸上競技場。
近畿高校ユース陸上競技大会。

・12時55分 男子1年800m予選
彼は、スタートからとばした。
終始先頭を走りつづけ、そのまま1位でフィニッシュ。
記録は1分57秒38。決勝進出。

・16時25分 男子1年800m決勝
彼は、やはりスタートからとばした。
先頭でレースを引っ張った。
トラックを1周、400mのラップタイムは55秒。
2周目のバックストレートで、後続の選手たちが距離を詰めてきた。
600mを過ぎた頃、彼に疲れがみえはじめた。
第4コーナーを周り、最後の直線に入る。
まだ彼は先頭を走っていた。
しかし、残り50mで、1人の選手に追いつかれた。
彼に力は残っていなかった。
この機を狙っていたかのように、さらに2人の選手が猛然とスパートをかけてきた。
追い抜かれた。
4位でフィニッシュ。
記録は1分56秒30。

彼は、表彰台に上がれなかった。
これまでにない悔しさを感じた。
頬(ほほ)を伝って流れるものがあった。

――という話を、後日、川見店主はお父さんから電話で聞いた。
川見店主は、これからが楽しみだと思った。
流した涙に、その悔しさに、彼の心の「伸びしろ」が見えた。

(おわりです)

***

その後のりゅうきくんの話↓

・2018/06/29 800mを1分51秒61で走る秘密のインソールとは?
・2018/09/06 彼が駆け抜けた「2400m」と「338秒」(その1)
・2018/09/06 彼が駆け抜けた「2400m」と「338秒」(その2)
・2018/10/27 りゅうきくん800m日本高校新記録の立役者になる


当店ホームページ↓

陸上競技シューズのインソールをくわしく↓


この記事をシェアする
  • B!

コメント

このブログの人気の投稿

【短距離走】たった半年で100mの記録を0.6秒も更新し、全中で4位に入賞した中学2年生スプリンターにフィッティングした7足のシューズとインソールとは?

全中で4位入賞 だいきくんは、中学2年生のスプリンター。 陸上競技の強豪校でがんばってます。 100mの自己ベスト記録は 11秒39 。 今年の夏には 全中(全日本中学校陸上競技選手権) に出場し、 男子4×100mリレー で見事に 4位入賞 を果たしました。 いよっっつ! ――だいきくん、全中出場&男子4×100mリレー4位入賞おめでとうございます! だいきくん: 「ありがとうございます」 ――だいきくんは、何走だったのですか? だいきくん: 「2走っす」 ――全国大会の舞台は緊張しましたか? だいき くん: 「予選は大丈夫だったすけど、 準決勝と決勝はヤバかった っす。めっちゃ緊張しました!」 ――レース後の表彰式で撮影された写真が、「 月刊陸上競技 」10月号に載ってますね。ダイキくんの姿を見つけたときは、とてもうれしかったし、誇らしかったですよ。かっくいー! 2017年8月に熊本県で開催された全中の結果が載ってる「月刊陸上競技」10月号。 だいき くん: 「実は、その写真の時、 めっちゃ落ち込んでた んす」 ――どうして?表彰台に上がって、賞状をもらって、最高にうれしい瞬間じゃないの? だいきくん: 「優勝したチームのタイムが 中学生新記録 だったっす。めちゃくちゃ速くて、勝負にならなかったっす。悔しかったっす」 ――いい経験ができましたね。 だいき くん: 「来年がんばるっす」 ◆ 37年ぶりに日本記録を樹立 ――全中が終わってから、調子はどうですか? だいき くん: 「この前の日曜日(10/9)、 日本新記録 をだしたっす」 ――えっ?日本新記録!? だいき くん: 「 大阪市民陸上カーニバル で、 低学年リレー (※)ってのがあったんすけど、僕はアンカーで走って日本記録を出したっす」 ※【低学年リレー】中学2年生と1年生でチームを編成するリレー。中2が第1走と第4走、中1が第2走と第3走をつとめる。 ――すごいすごい!調べてみたら、なんと1980年以来破られなかった記録を 37年ぶり に更新したって話じゃないですか!ダイキくん、 日本記録保持者 なんだ!」 だいき くん: 「 そうっす(得意気) 」 さらに、いよっっつ!

【ハリマヤ】ハリマヤシューズの物語。

その昔、 HARIMAYA (ハリマヤ)というシューズメーカーがあったのをご存知でしょうか? 1912年 の第5回オリンピック・ストックホルム大会に、日本人初のオリンピック選手となった 金栗四三 氏は 足袋 (たび)を履いてマラソンに出場しました。その足袋をつくったのが、 播磨屋 (はりまや)という 足袋屋 さんでした。その後、播磨屋足袋店が日本を代表するランニングシューズメーカーへと発展したのが「 ハリマヤ 」です。 ハリマヤの歴史を紐解けば、そこには日本のマラソンとランニングシューズの 100年 の物語が見えてきます。 ***** ハリマヤとオリンピアサンワーズの歴史が交わるのは 1970年代 。 1960年頃に当店を「 陸上競技専門店 」として創業していた 上田喜代子 (うえだ・きよこ)は、陸上競技の専門的な商品を探して東奔西走し、ハリマヤのシューズにめぐり会いました。そのシューズづくりの技術力に感銘を受けた上田は、関西ではじめてハリマヤのシューズを販売するに至りました。 「足袋屋」だったハリマヤが作るマラソンシューズや陸上競技のスパイクシューズは、日本人の足によく合いました。足を入れれば、吸い付くようにフィットしました。最高の履き心地でした。 1990年頃に、残念ながらハリマヤはなくなりました。 しかし、すでにオリンピアサンワーズの二代目として店を継いでいた現店主の 川見充子 (かわみ・あつこ)は、「 ハリマヤのシューズづくりの技術が、後世に役立つ時がきっと来るはずだ 」とハリマヤのシューズや資料を、それからもずっと大切に保存しつづけてきました。 ***** 日本中には今なおハリマヤを愛し、懐かしむ方々がたくさんいらっしゃいます。旧ブログ(2005-2016)で掲載したハリマヤの記事には、そんなみなさまから、たくさんのコメントをいただきました。 中でも、ハリマヤの創業者である 黒坂辛作 (くろさか・しんさく)氏の"曾孫(ひまご)"さんからコメントをいただく機会があり、私たちはハリマヤの歴史をより深く知ることができました。 そして、これらのハリマヤ記事がきっかけとなり、2012年12月には、川見店主がテレビ番組「 開運なんでも鑑定団 」に 鑑定士 としてデビューするに至りました。川見

【ハリマヤ】無名の母たちがつくったハリマヤのシューズ~新潟県十日町市からのおたより

彼女たちこそが 一枚の古い写真。 木造の建物を背景に、きちんと整列した人たちが写る。 そのほとんどが、質素な作業服を身にまとった女性たちだ。 彼女たちは、きっと、市井に生きる無名の庶民の一人ひとりであったにちがいない。 しかし、ある時代において、多くの陸上競技選手やランナーたちを支えていたのは、まさしく彼女たちだったのだ。 ◆ 「いだてん」の足を支えた「ハリマヤ」 今年(2019)1月から毎週日曜日に放送されている NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」 。主人公は、日本のマラソンを創った 金栗四三 さんです。 金栗四三 (1891-1983) 金栗さんは、 1912年 の ストックホルム五輪 に、日本人初のオリンピック選手としてマラソンに出場、「 播磨屋(ハリマヤ) 」という足袋屋の足袋を履いて走りました。 しかし、北欧の堅い石畳のコースに足袋は弱く、金栗さんは膝を痛め、また日射病に倒れてレースを途中棄権するという悔しい結果に終わりました。 この失敗を糧に、金栗さんは、播磨屋の店主・ 黒坂辛作 さんと、マラソンを走る足袋を共同開発し、遂には、改良に改良を重ねて進化したマラソン足袋、いわゆる「 金栗足袋 」が誕生しました。そして、「金栗足袋」を履いた日本の歴代ランナーたちが、五輪や世界大会のマラソンで優勝する時代が1950年頃までつづきました。 ハリマヤ創業者・黒坂辛作 (1880-?) 播磨屋は戦後にはシューズメーカー「 ハリマヤ 」へと発展。 足袋を原点に持つハリマヤのシューズは日本人の足によく合いました。 また靴職人たちの高度な技術は他メーカーの追随を許さず、国産にこだわるハリマヤの良質なシューズは、長年にわたり陸上競技選手やランナーたちを魅了しつづけました。 残念ながら、ハリマヤは 1990年頃 に倒産しました。 しかし、私たちはハリマヤを忘れてはいません。 オリンピアサンワーズには、今なおハリマヤを愛する人たちから、たくさんの「声」が届きます。そして、みなさんの記憶から、ハリマヤの歴史が掘り起こされています。 みなさんの声↓ ハリマヤ第二の故郷 新潟県十日町市から さて。 先日も、当店のFB(Facebook)に1枚の画像とともにこんなメッセー

【マラソン】フルマラソンに挑戦する50代男性ランナーを応援するブログをはじめます!【第1回】

「50s Runners Club」はじめます。 フルマラソンに挑戦する、 50代以上 の 男性ランナー を応援したい! というブログをシリーズではじめます。 名付けて「 50s Runners Club(フィフティーズ・ランナーズ・クラブ) 」。 第1回目は、3人のイカしたオジサマたちがご登場です! ***** 「やっと5時間を切れました」 【熊本県・ヨシユキさんの場合】 中学・高校時代は野球部で汗を流した。 でも、それからはスポーツらしいことは何もしてこなかった。 10年ほど前、突然腰痛に襲われる。 医者に行くと言われた。 運動不足です。カラダを動かしてください。 ジムで汗を流すようになった。 そこで知り合った人に、無理やりマラソン大会に申し込まされた。 2007年、熊本県氷川町梨マラソンに参加。 梨畑を5km走った。 ヨシユキさん: 「しんどかったですね。 死ぬかと思いましたね (笑)」 30分ほどかけてゴールにたどりついた。 参加賞でもらった梨は甘く美味しかった。 走り終わって食べた弁当は格別にウマかった。 帰りに皆で温泉につかり、ビールを飲んだ。 なんだこれは、最高の気分じゃないか。 ヨシユキさん: 「これが やみつきになりましてね 。走りつづけることになりました」 フルマラソンにも挑戦。 ・2014/12 青島(初フル)5時間20分 ・2016/03 鹿児島 5時間15分 しかし、走ると膝が痛むようになってきた。 2016年秋、オリンピアサンワーズに初ご来店。 2足のランニングシューズをフィッテング。 2016年秋。レース用(上)、走りこみ用(下)のランニングシューズをフィッティング。装着したオーダーメイドインソールは、いずれも最上級インソールのゼロ・アムフィット。 その後。 ・2016/11 福岡 5時間30分 ・2016/12 青島 4時間58分(PB) ヨシユキさん: 「 やっと5時間を切れました。もう膝も痛くなりません 」 2017年夏、ふたたびのご来店。 2足のランニングシューズをフィッティング。 2017年夏。走りこみ用(左)とレース用(右)のランニングシューズをフィッティング。装着したオーダーメイドインソールは

【ウルトラ】100kmを9時間4分で走る男性ランナーは夜明けとともにタイタンを目指す。

2016年9月18日。 時刻は午前4時をまわった。 暗がりの中でスタートラインに並ぶその人は、これまでにない不安と緊張を感じていた。 「果たして、自分は完走できるだろうか?」 歴史街道丹後100kmウルトラマラソン。 この大会は6年連続の出場となる。 過去の記録。 ・2011年 11時間02分 ・2012年 9時間34分 ・2013年 9時間16分 ・2014年 9時間26分 ・2015年 9時間04分(PB) 今年は9時間切りを達成するつもりだった。 でもそれは不可能というものだ。 2月に行ったスキーで左足首を骨折。 3月までろくに歩けなかった。 4月からようやく走れるようになった。 しかし、無意識に左足をかばい、ランニングフォームのバランスが崩れていたのだろう。 1か月前に腰痛が起こりまた走れなくなった。 それからはまともな練習もできず、今ここに立っている。 そんな今の自分には、100kmを完走することも夢のような話なのかもしれない。 スタートの時刻が迫る。 まず、この場所に立てたことを感謝しよう。 そして、走れるだけ走ろう。 100km先の自分がどうなっているのか見当もつかないけれども、もし走り切れたら――とその人は思う。 「自分は涙を流すんじゃないか?」 午前4時30分。スタート。 夜が明けようとしている。 暁を予感し、その人は走りだす――。 ***** 折れた足でミッション車を運転する人 本日のお客様は、ウルトラマラソンで サブ9.5 、フルマラソンで サブ3 ランナーであるカズナリさんです。 ――カズナリさん、こんにちは。 カズナリさん: 「いつもお世話になってます」 ――カズナリさんが初めてご来店されたのは3年前(2014年)の春。以来、カズナリさんの激闘ぶりは、旧ブログでも度々ご紹介させていただきました。 特に、2015年の 丹後100km9時間04分の大激走 と、 大阪マラソン3時間02分で2万人抜き大爆走 は、我々の記憶に新しいところです。 2015大阪マラソンを走るカズナリさん(右)。この後、2万人抜きの大爆走。 しかし、昨年(2016年)は、思いもよらぬトラブルがカズナリさんを襲いました。 大変な一年でしたね。 カズナ