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【テレビ出演】関西テレビ「コヤぶるッ!SPORTS」に出演!川見店主が語った大阪国際女子マラソンに夢中になる理由とは?

「コヤぶるッ!SPORTS」公式サイトより

先日の1/27(日)、川見店主が関西テレビのスポーツ情報バラエティ番組「コヤぶるッ!SPORTS」(毎週日曜午前8時25分~55分放送)に出演し、大阪国際女子マラソンの魅力について語りました。

◆◇◆

川見店主、苦手なテレビに出る

――川見店主、こにゃにゃちは。

川見店主:はい、こにゃにゃちは。
川見店主

――また苦手キライなテレビに出演しましたね。

川見店主:最近ちょっと、テレビとかメディアに露出することに対する気持ちが変わってきました。

――ほー、どのような心境の変化があったのですか?

川見店主:語るべきことがある限りは、語る責任があるのではないかと。それと、私が顔を出して喜んでくださる方がいる限りは、出たっていいじゃないかと。ま、それでも恥ずかしさは残ってますけども。

――今回の番組では、これまで大阪国際女子マラソンを陰で支え応援してきた人たちを紹介するコーナーがあり、その一人に川見店主が選ばれた、って話ですね。
くわしくはこちら↓
川見店主:恐縮です。

――関西ローカル番組でしたので見れなかった方も多いと思います。つーわけで、放送されなかった地域の方々のために、ここで内容を紹介しておきます。

川見店主:でも、ブログでは顔を隠しといてね

――はいはい、わかりました。

◆◇◆◇

大阪国際女子マラソン観戦の達人

スタジオには、小藪さん、シャンプーハットのおふたり、そして、有森さんと女性キャスターが。
まずは、進行のてつじさんが、コーナーを紹介します。

てつじ:
大阪国際女子マラソンでは、大会運営に携わっている人や、見ているひとたちにも実は色々なドラマがあます。そんな人たちを取材してきました。VTRどうぞ。



ナレーション:
大阪国際女子マラソンを第1回から観戦している達人、川見充子さん。



ナレーション:
シューズの中敷をつくるお店を営む川見さんの長年の夢だったのが……



川見店主:
とにかくマラソンのコース上に店をおきたい。トップ選手の走る姿をそばで見れるってことに夢はありましたね。



ナレーション:
川見さんは、なんと、この大会が好きすぎて、自分の店を大阪国際女子マラソンのコース上に移転させたのです。



ナレーション:
過去の大会を見返してみると……店の前で声援を送る川見さんの姿が!



ナレーション:
店はフィニッシュまでおよそ10kmの場所にあり、ここでの踏ん張りが勝敗を左右します。



川見店主:
「お願いやから、ここ辛抱して行って」とか「前から離れないで!」とか、思わず選手に声をかけてしまいます。
はっきり返事をしてくれたのは、重友選手ですね。
「一番しんどい所だから耐えて」
って言ったんですよ。
そしたら「ハイ!」って返事をくれたんですよ。
すごく熱い思いになりましたね。
私の勝手な思い込みかもしれませんけども。




ナレーション:
川見さんがそこまで大阪国際女子マラソンに夢中になる理由とは?



川見店主:女性ランナーたちの、不可能を可能にする強さというか。レースを見たら、こっちも頑張ろうと思えますよね。結果がどうあれ、ものすごく心が動くじゃないですか。


◆◇◆◇

川見店主、ワイプを凍らせる。

――とまぁ、こんな感じでした。

川見店主:はい。

――あのー、ここでお見せできないのが残念なのですが、テレビの中の川見店主は、すごく、めんどくさそうにしゃべってましたよね?機嫌悪かったんですか?

川見店主:えっ!そんなことないですよ!緊張してたんですよ!

――川見店主の不機嫌さを見守る演者の方々が、神妙な表情になっちゃってます。ワイプが凍(い)てついてます。

ワイプ内が凍りついた↓
ワイプ内で神妙な表情を浮かべるこいちゃんと小藪さんと有森さん

川見店主:いやいやいや、だから言ってるじゃないの、カメラが苦手なんだって。これでも、一生懸命にがんばって話してるんだって!

――確かにがんばってました。演技にも挑戦しましたもんね!

川見店主:ああ、あれは、「沿道の柵から乗り出して応援してみてください!」って言われたんですよ!そしたら、タクシーが止まりました

迫真すぎてタクシーを止めてしまった川見店主の演技↓


――わははは。まぎらわしかったんですね。

川見店主:番組スタッフの方が、タクシーに平謝りでしたけども。

――つーわけで、今回のテレビ出演、川見店主はじゃっかんに不愛想ではありましたが、無事に放送されてよかったです。

川見店主:まだ言う?

――次回のブログでは、大阪国際女子マラソンと大阪ハーフマラソンの本番の観戦・応援風景をご紹介いたしまーす!



(つづきます)

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