【ハリマヤ】『陸王』がつないだ100年のドラマ~語りつづける者がいるかぎり、襷(たすき)は…。
ハリマヤのシューズバッグとスパイクシューズ |
【2017年】100年のドラマが動き出す。
川見店主は、知らなかった。その人物の本当の名前すらも知らなかった。
だから、会えるとも思っていなかったし、会いたいという願望もなかった。
しかし、川見店主こそが、その人物に会わなければならなかった。
事態は「向こう」からやってきた。
2017年11月某日。
オリンピアサンワーズにかかってきた1本の電話は、まさしく、その人物からだった。
『陸王』がつないだ、100年のドラマが動き出す。
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【1912年】播磨屋(はりまや)のマラソン足袋
日本のランニングシューズの歴史は、「播磨屋(はりまや)」という足袋屋からはじまっている。播磨屋は、1903年に東京大塚に創業された。
創業者は黒坂辛作(くろさか・しんさく)。
【黒坂辛作】 播磨屋足袋店創業者 |
当時、播磨屋の近くにあった東京高等師範学校の学生たちが、この店の足袋を愛用していた。その学生のなかに、金栗四三(かなくり・しそう)がいた。
1912年、金栗は日本人で初めてオリンピック(ストックホルム大会)に出場、播磨屋の足袋を履いてマラソンを走った。
オリンピックに惨敗した金栗は、その後、箱根駅伝をはじめ多くのマラソン大会を実現するなど、長距離ランナーの育成に生涯を懸けた。そして、黒坂とともに、日本人が世界で戦うための「マラソン足袋」を共同開発しつづけた。
1936年のベルリン五輪では、マラソン日本代表の孫基禎(ソン・ギジョン)選手が「マラソン足袋」で走り抜き優勝。播磨屋は、ついに世界を制した。
日本にマラソンを確立したのは、金栗四三だった。
その時代を足元で支えたのは、播磨屋の「マラソン足袋」だった。
戦後を迎えるまで、日本の長距離選手は「マラソン足袋」で走るのが主流だった。
【金栗四三(1891-1983)】
日本人初のオリンピック選手。箱根駅伝の創始者。「日本マラソンの父」と称される。 |
やがて、播磨屋は、日本を代表するランニングシューズ・メーカー「ハリマヤ」へと発展を遂げる。国内の工場で、職人たちが熟練した技術で作り上げるハリマヤのシューズは、日本人の足によく合い、多くの陸上競技選手やランナーたちに愛好された。
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【1972年】オリンピアサンワーズとハリマヤ
金栗四三がストックホルム五輪に出場し、日本マラソンの黎明を告げた1912年から、さらに60年後の、1972年頃の話。東京のハリマヤ本社に、ひとりの女性が現金を片手にシューズの買い付けにやってきた。
女性の名は上田喜代子(うえだ・きよこ)。
【上田喜代子(1924-1986)】 オリンピアサンワーズ創業者 |
上田は、1960年頃に「陸上競技専門店オリンピアサンワーズ」を大阪天王寺に創業。いまだ商品も情報も豊かでない時代にあって、上田は、良質な競技用シューズを探し求めて東奔西走していた。店に来る学生たちにも情報収集を頼んだ。
「全国大会へ行ったら、他の選手たちがどんなシューズを履いてるかよく見てきて!」
ある日、遠征から帰ってきた学生が、上田にハリマヤの存在を教えた。
上田は、ハリマヤのシューズを見て、その技術に惚れ込んだ。
人脈を探し、たどり、東京へと向かった。
ハリマヤの社長と直談判し、ついに契約をとりつけた。
こうして上田は、関西ではじめて、ハリマヤのシューズの流通・販売にこぎつけた。
「あの店に行けば、ハリマヤのシューズが手に入るぞ!」
評判は瞬く間にひろがった。ハリマヤを求める陸上競技者たちが、関西中からやってきた。店は、若者たちで連日にぎわった。
1970年代当時のハリマヤのカタログ。
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【1990年】消えたハリマヤと、残したハリマヤ
1986年2月。上田喜代子はこの世を去った。
オリンピアサンワーズは、上田をよく慕(した)っていた客のひとり、川見充子(かわみ・あつこ)が、二代目店主となり店を継いだ。
川見店主もまた、ハリマヤのシューズを高く評価していた。
店を継いで間もない頃、川見店主は、ハリマヤのシューズを眺めていて、他メーカーにはない技術に気がついた。
「なるほど、これが、ハリマヤのシューズが日本人の足に合う理由なのか!」
この発見は、今も、川見店主が「シューズの良し悪し」を判断する時の基準となっている。
1990年頃、業界に不穏な噂が流れた。
ハリマヤの経営が危ないという。
当然ながら、多くのスポーツ店は、急いでハリマヤの商品を返品した。
川見店主は、むしろ、商品を確保した。
それを知った、あるスポーツ代理店の営業マンは驚いて忠告した。
「川見さん、倒産するメーカーの商品集めて、なにしてはるんですか!」
川見店主はこたえた。
「だって、返品したら、ハリマヤがこの世からなくなるじゃないですか」
「何言うてはるんですか、こんなん置いといて、どないするんですか?売るんですか?」
「売りません、ハリマヤの技術を残すんです」
「もう言うてはること、わけわかりませんわ」
ハリマヤは、「平成」のはじまりとともに姿を消した。
残された十数足のハリマヤのシューズは、そのまま、オリンピアサンワーズに眠った。
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【2016年】「陸王」と「ハリマヤ」
2016年夏、作家・池井戸潤の小説『陸王』が出版された。業績悪化に苦しむ老舗の足袋屋が、起死回生の事業計画としてランニングシューズの開発に挑む――という物語は、2017年秋にはテレビドラマ化もされ話題となった。
『陸王』の舞台は「現代」だが、その内容は「ハリマヤ」を想起させた。
かつては「マラソン足袋」で世界を制したほどのハリマヤが、なぜ忽然(こつぜん)と姿を消してしまったのか?
出版元の集英社は、小説の発売を機に、ハリマヤの歴史を発掘すべく調査に乗り出した。その成果は、スポーツ誌「スポルティーバ」のWebサイトにて、「消えたハリマヤシューズを探して」と題した、5回にわたる連載記事として実を結んだ。
さて。
ある男性が、この連載記事を読んだ。
そこに書かれてある内容は、誰よりも知り過ぎるほどに知っていた。
気になったのは、連載5回目の記事だった。
この記事は、ある女性の写真と共に、こんな文章でしめくくられている。
倒産時の混乱で四散したであろうハリマヤシューズの木型の行方は、今となっては知るすべもない。しかし黒坂辛作が改良に改良を重ねて作ったマラソン足袋の精神は、今なお川見のなかにしっかりと引き継がれていた。男性は、記事の中にある、店と、店主の名前を何度も確認した。
「オリンピアサンワーズ」
「川見充子」
その店の名前には記憶があった。
そうか、あの店は、まだつづいていたのか。
その店の、女店主のことも覚えている。
なかなかに豪快な女性だった。
大阪から東京まで、現金を持ってシューズを買い付けにきたものだ。
ただ、記憶にある女店主の名前は「川見」ではなかった。
ということは、この記事の女性が、あの女店主から店を継いだのだろうか?
男性は、その店の連絡先を調べ、電話をかけた。
◆
【2017年】川見店主は、会わなければならなかった。
電話を受けた川見店主は驚いた。その男性は、会って話がしたいという。
男性は東京に在住する。
川見店主は、急な話に戸惑った。
しかし、次の瞬間、何かがつながった。
実は、この数日後、テレビ番組の収録のために、東京へ行くことになっていたのだ。
偶然にせよ、必然にせよ、舞台は自(おの)ずと整っていた。
川見店主「こそ」が、その人物に会わなければ「ならなかった」のだ。
導かれるように東京へ向かった。
番組収録の翌日、日曜日の昼下がり。
都内某所のカフェで待ち合わせた。
男性が現れた。
その人は言った。
「あなたが、川見さんですね」
川見店主はこたえた。
「はい、そうです。上田喜代子からオリンピアサンワーズを継いだ者です」
「そうですか。あの人から継いだのなら、ずいぶんと大変だったでしょう」
そう言って、その人、「ハリマヤ最後の社長」Y氏は笑った。
◆
【2018年】ロゴマークに隠された意味
東京で、Y氏は川見店主に何を語ったのか?その内容をここに書くことはできない。
ただ、川見店主は、帰阪後に、ある記者に連絡を入れた。
2年前、ハリマヤの歴史を追い、スポルティーバの連載記事を書いたその記者は、Y氏を探していたのだ。
襷(たすき)は、記者に渡された。
またひとつ、歴史が呼び起こされた。
そして、新しい記事が生まれた。
ブログの冒頭に掲載した、ハリマヤのシューズバッグとスパイクシューズの写真は、この記事のためにオリンピアサンワーズの店内で撮影し、スポルティーバに提供したものだ。
ハリマヤの「ロゴマーク」に注目してほしい。
そして、スポルティーバの記事を読んでほしい。
この「ロゴマーク」こそが、今回の記事の「画竜点睛(がりょうてんせい)」だった。
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【2019年】語りつづける者がいるかぎり、襷(たすき)は、
ハリマヤは、「平成」のはじまりとともに姿を消した。しかし、「平成」が終わる「30年」の今、我々は、こうしてハリマヤを語っている。
さらに、来年の2019年。
平成から「新しい元号」に変わるその時に、NHKで放送されているはずの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)』は、金栗四三が主人公だ。播磨屋足袋店の黒坂辛作も登場するという。
100年前にはじまった、金栗四三と黒坂辛作の物語は、今もつづいている。
川見店主が残したハリマヤのシューズたちは、今もオリンピアサンワーズに展示され、店にやってくる陸上競技選手やランナーたちを見守っている。
走りつづける者がいるかぎり、語りつづける者がいるかぎり、襷(たすき)はつながっていく。
川見店主が残したハリマヤのシューズは、今も大事に保存されている |
(おわりです)
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