【ハリマヤ】ハリマヤシューズの物語。




その昔、HARIMAYA(ハリマヤ)というシューズメーカーがあったのをご存知でしょうか?

1912年の第5回オリンピック・ストックホルム大会に、日本人初のオリンピック選手となった金栗四三氏は足袋(たび)を履いてマラソンに出場しました。その足袋をつくったのが、播磨屋(はりまや)という足袋屋さんでした。その後、播磨屋足袋店が日本を代表するランニングシューズメーカーへと発展したのが「ハリマヤ」です。

ハリマヤの歴史を紐解けば、そこには日本のマラソンとランニングシューズの100年の物語が見えてきます。

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ハリマヤとオリンピアサンワーズの歴史が交わるのは1970年代
1960年頃に当店を「陸上競技専門店」として創業していた上田喜代子(うえだ・きよこ)は、陸上競技の専門的な商品を探して東奔西走し、ハリマヤのシューズにめぐり会いました。そのシューズづくりの技術力に感銘を受けた上田は、関西ではじめてハリマヤのシューズを販売するに至りました。

「足袋屋」だったハリマヤが作るマラソンシューズや陸上競技のスパイクシューズは、日本人の足によく合いました。足を入れれば、吸い付くようにフィットしました。最高の履き心地でした。

1990年頃に、残念ながらハリマヤはなくなりました。
しかし、すでにオリンピアサンワーズの二代目として店を継いでいた現店主の川見充子(かわみ・あつこ)は、「ハリマヤのシューズづくりの技術が、後世に役立つ時がきっと来るはずだ」とハリマヤのシューズや資料を、それからもずっと大切に保存しつづけてきました。

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日本中には今なおハリマヤを愛し、懐かしむ方々がたくさんいらっしゃいます。旧ブログ(2005-2016)で掲載したハリマヤの記事には、そんなみなさまから、たくさんのコメントをいただきました。

中でも、ハリマヤの創業者である黒坂辛作(くろさか・しんさく)氏の"曾孫(ひまご)"さんからコメントをいただく機会があり、私たちはハリマヤの歴史をより深く知ることができました。

そして、これらのハリマヤ記事がきっかけとなり、2012年12月には、川見店主がテレビ番組「開運なんでも鑑定団」に鑑定士としてデビューするに至りました。川見店主が鑑定したのは、金栗四三氏が履いていたハリマヤのマラソンシューズでした。この時、川見店主が保存してきたハリマヤのシューズや資料が、鑑定の決定的な立証へ導いてくれました。

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当店に現存するハリマヤのカタログには、こんな言葉が載っています。

日本のマラソンの歴史は、そのままハリマヤの歴史です

この新しいブログでも、ハリマヤに関する情報があればご紹介していきたいと思います。

2017年04月


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川見店主が「なんでも鑑定団」に出演した時の話↓



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