【テレビ】そして、2020年の東京オリンピックへ。~川見店主、君原健二さんに会いに行く。(その4)
(その3「円谷幸吉はそこに手を置き、サインをした」のつづきです)
君原健二さんのお宝「1964年東京五輪の記念スカーフ」に寄せ書きされた58名にのぼる陸上競技選手たちのサイン。そのサインひとつひとつの「鑑定」は、あたかも53年前の名選手たちと「対面」するようだったと語る川見店主。そして思いは、1964年から2020年へ――。
川見店主 |
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東京オリンピックとオリンピアサンワーズ
――1964年東京オリンピックといえば、店にこんな本が保管されてます。「第18回オリンピック大会 陸上競技ハンドブック」 日本陸上競技連盟発行 |
川見店主:
「これは、東京オリンピックで陸上競技の大会運営にあたった審判や役員のための本です。表紙の裏に『贈呈』の押印がありますから、日本陸連からオリンピアサンワーズに贈られたものみたいです。」
「これは、東京オリンピックで陸上競技の大会運営にあたった審判や役員のための本です。表紙の裏に『贈呈』の押印がありますから、日本陸連からオリンピアサンワーズに贈られたものみたいです。」
――これ、585ページにもわたる分厚い本で、各競技種目のルール、トラックやフィールドの図面、日程、当日の進行表、審判や役員の配置、国立競技場の構造、果ては備品の個数などなどが、微に入り細に入り膨大な量で記載されています。
川見店主:
「『黒鉛筆30本、赤鉛筆30本用意する』とか、本当に細かいですね(笑)。審判や役員のお名前も載ってますが、その人数たるや大変なものです。東京オリンピックの華やかな舞台の裏で、これだけたくさんの人々が大会運営に尽力されたのですね。」
「『黒鉛筆30本、赤鉛筆30本用意する』とか、本当に細かいですね(笑)。審判や役員のお名前も載ってますが、その人数たるや大変なものです。東京オリンピックの華やかな舞台の裏で、これだけたくさんの人々が大会運営に尽力されたのですね。」
――そして、驚きなのは、このハンドブックにオリンピアサンワーズの広告が載っていることです。最終ページの見開きで、隣の広告はオニツカタイガー(現アシックス)です。
左がオリンピアサンワーズの広告。社名は「日本ニュースポーツ」となっている。
右がオニツカタイガーの広告「足もとをまもって15年」と。
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川見店主:
「いちおうオリンピアサンワーズの創業年月日は"1963年9月8日"ということになっていますが、本当のことはわかっていません。」
「いちおうオリンピアサンワーズの創業年月日は"1963年9月8日"ということになっていますが、本当のことはわかっていません。」
――1963年創業だと、わずか1年足らずでオニツカタイガーと肩を並べて広告を掲載する企業に成長したことになります。ちょっとあり得ないですよね。
川見店主:
「創業者・上田喜代子(うえだ・きよこ)が生前に『店を閉めて東京オリンピックを見に行った』と言ってたそうです。また、このハンドブックの広告もありますから、『少なくとも東京オリンピック(1964)の前年には、この店は存在していただろう』ってことで、1963年を当店の創業年としています。9月8日は上田の誕生日です。」
――2020年の東京オリンピック開催が決定したのは、奇しくもオリンピアサンワーズが創業50周年を迎えた2013年の9月8日でしたね。
川見店主:
「偶然とはいえ、東京オリンピックとオリンピアサンワーズの不思議な縁みたいなものを感じますね。」
「偶然とはいえ、東京オリンピックとオリンピアサンワーズの不思議な縁みたいなものを感じますね。」
モノも情報も手に入らなかった時代
――オリンピアサンワーズの創業当時、「陸上競技専門店」というのは非常に珍しかったのではないでしょうか。
川見店主:
「上田は陸上競技の専門的な商品を集めるのにとても苦労したそうです。今の便利な時代には想像できないでしょうけれど、とにかく『モノ』も『情報』も、ほとんど手に入らなかったのです。メーカーの生産力も、商品の流通・販売の経路も、まだまだ確立されていなかったのですよ。」
「上田は陸上競技の専門的な商品を集めるのにとても苦労したそうです。今の便利な時代には想像できないでしょうけれど、とにかく『モノ』も『情報』も、ほとんど手に入らなかったのです。メーカーの生産力も、商品の流通・販売の経路も、まだまだ確立されていなかったのですよ。」
――もちろんインターネットもありませんものね。
川見店主:
「上田はよく、店に来る学生さんたちにも商品探しを頼んだそうです。『関東に試合に行ったら、あっちの選手たちがどんなシューズを履いて、どんなウェアを着てるのか、よく見ておいて』って。そうして見つけたのが、ハリマヤだったんですって。」
「上田はよく、店に来る学生さんたちにも商品探しを頼んだそうです。『関東に試合に行ったら、あっちの選手たちがどんなシューズを履いて、どんなウェアを着てるのか、よく見ておいて』って。そうして見つけたのが、ハリマヤだったんですって。」
――へー!ハリマヤは学生さんが見つけてきてくれたのですか!
川見店主:
「もちろん上田自身も商品探しに東奔西走し、あらゆる手段を講じて、なかなか手に入らなかったハリマヤやニシスポーツ社といった関東のメーカーの商品をはじめて関西に流通させました。こうした努力の積み重ねで、最新の『モノ』がオリンピアサンワーズに集まるようになったのです。」
――伝説のシューズメーカー・ハリマヤ。日本を代表する陸上競技の老舗メーカー・ニシスポーツ。いずれも当時はまだ全国区で事業が展開されていなかったのですね。
川見店主:
「やがて、関西の陸上競技選手の間に『あそこに行けば陸上競技に必要なモノがすべて手に入る』と店の評判が広がっていきました。こうして、お店は連日、若者たちでにぎわうようになったそうです。」
――本当に「口コミ」だけで店の存在が知れ渡っていったのですね。
大阪環状線桃谷駅近く、小さな雑居ビルの1階にあった初代店舗。 看板はなく、初めて来る人はどこに店があるかわからなかった。 1991年まで営業。 |
川見店主:
「また、クラブを指導される学校の先生方や選手たちにとって、お店は陸上競技に関する最新の『情報』を収集・交換できる貴重な場にもなりました。」
――今で言うところの「アンテナショップ」的な感じでしょうか。
川見店主:
「さらに上田は、最先端の練習方法といった『情報』を、無償で惜しみなく選手たちに提供しました。時には自前で陸上競技場を借り切って、有名選手を招き、先生方や選手たちを集めて、棒高跳びのような専門的な競技の講習会を開いたりしていたそうです。」
――へー、そんなことまでしてたのですか!
川見店主:
「上田は関西の陸上競技界に多くの貢献を果たしたようです。けれど、生前の上田はそのことをあまり話しませんでしたし、記録も残っていないので、今となっては上田がどれだけのことを成したのかよくわかりません。」
――創業者のことは、多くの謎に包まれたままですね。
川見店主:
「それに上田は『私のことは語り残すな』って言ってましたから、もしも上田がこのブログを読んだら、私、めっちゃ怒られると思います(苦笑)。」
――当時学生だったお客様からも、創業者ってすごくコワかったと聞いています。
川見店主:
「コワいってもんじゃないですよ!すっごく厳しかった。でもね、その奥にある上田の途方もない愛情に気づいた時、みんな上田のことが大好きになるのです。不思議なおばちゃんでした。」
上田喜代子(うえだ・きよこ) オリンピアサンワーズの創業者 (1924-1986) |
先人たちの汗と苦闘と~なぜ依田郁子選手はレース前にトラックをほうきで掃いたのか?
――そんな、「モノ」も「情報」もまだまだ豊かではなかった1964年に東京オリンピックは開催されたわけですが、出場した選手も、大会運営も、大変だったでしょうね。
川見店主:
「そういえば、番組で紹介された映像で、短距離選手の依田郁子(よだ・いくこ)さんがレース前に後転倒立したり、自分の走るコースを箒(ほうき)で掃いてる様子が映ってましたけど、あれ、なにをされてると思いますか?」
――番組では依田さん自身の「風変りなルーティン」という紹介でしたけども。倒立でもなんでもいいから動いて気持ちを落ち着けるとか、お掃除してコースを清めるとかでしょうか?
川見店主:
「倒立はね、ご自身の体幹を確認されてたんだと思いますよ。」
――ほー、体幹を。
川見店主:
「体幹がブレると走りがブレますからね。それと、箒で掃いてのはね、自分の走るコースを整地されてるのです。」
――整地、ですか。しかもご自分で、箒まで持参して。
川見店主:
「当時のトラックはアンツーカー(赤土)でした。アンツーカーのトラックは、試合が進行するにつれて、選手たちの足跡でコースが凸凹になるのですよ。」
――あ、そうか、陸上競技場は、今のようなオールウェザー型トラックではなかったのですね。
川見店主:
「特に力強く地面を蹴ってダッシュするスタート付近は、前のレースで走った選手のスパイクシューズによって土が深く掘り起こされて、柔らかくなってしまうんです。」
――スパイクシューズの裏側には地面に突き刺さる鋭いピンがついてますから、選手が走るたびに地面が掘り起こされる。例えるなら、鍬(くわ)で畑を耕したような状態になってるのですね。
川見店主:
「そこに足をとられると、力が地面に吸収されてスタートダッシュの威力が激減してしまうのです。」
――はい。
川見店主:
「まして、依田さんの専門種目であるハードルは1台目が勝負です。スタートダッシュが思うようにできずに1台目のハードリングが狂うと、なし崩し的にすべてのリズムが狂って取り返しがきかなくなるのがハードル種目のコワさです。」
――依田さんの専門種目は女子80mハードル。走りを立て直している時間も距離もありません。
川見店主:
「依田さんにとっては、スタートダッシュが勝負のすべてだったはずです。だから、レース前に倒立して体幹を確認せずにはいられなかったし、ご自身の手でコースを整地せずにはいられなかったのだと思います。」
――ひとつひとつの動作に意味があるのだと。
川見店主:
「周囲からは奇異に見えた依田さんの『ルーティン』はすべて、己の100%の力を発揮するために、なんとしても勝負に勝つために、依田さん自身から発露した勝負への『執念』なのだと私は思います。」
――執念、ですか。
川見店主:
「勝つために何ができるのか?そのこたえは自分たちで探し出すしかない、競技できる環境も自分たちでつくりあげるしかない、そんな時代だったのですよ。君原さんのお宝のスカーフを前にして58名のサインと対面した時、私の心に迫ってきたのは、時代を切り拓いた先人たちの汗と苦闘です。」
1964年から2020年へ
――今となっては、1964年東京オリンピックは日本の大きな転換点として語られます。
川見店主:
「このスカーフからは、その53年前の空気が伝わってきます。新しい日本、新しい時代の高揚が伝わってきます。そして、オリンピックという大舞台に立ち、意気軒高に世界に挑んだ若者たちや、大会の成功に陰ながら尽力された多くの人たちの情熱が伝わってきます。何度拝見しても胸が熱くなります。」
川見店主:
「このスカーフからは、その53年前の空気が伝わってきます。新しい日本、新しい時代の高揚が伝わってきます。そして、オリンピックという大舞台に立ち、意気軒高に世界に挑んだ若者たちや、大会の成功に陰ながら尽力された多くの人たちの情熱が伝わってきます。何度拝見しても胸が熱くなります。」
――2020年はふたたびの東京オリンピックですね。
川見店主:
「楽しみですね!目指せ2020年!出るぞ東京オリンピック!って感じです。」
――え!オリンピックに出場するつもりですか?
川見店主:
「まさか!お客さんに出場してもらうんですよ!」
――あ、自分じゃなくて。そりゃ、そうですよね。
川見店主:
「将来が楽しみな若きアスリートのみなさんが、日本全国からたくさんご来店されてますからね!私がフィッティングしたシューズでオリンピックに出場してもらえるように、私もアムフィット・インソールの制作技術をもっと磨いてがんばらないと!っていう決意を新たにしています。」
――あらためて、君原さんのスカーフは、1964年から2020年の東京オリンピックをつなぐ素晴らしいお宝でしたね。
川見店主:
「君原健二さんにお会いできてうれしかったです。素晴らしいお宝を拝見できてよかったです。そして、こんな素敵な機会をくださったテレビ東京『開運!なんでも鑑定団』に感謝です。ありがとうございました。」
――また素晴らしいお宝に出会えるといいですね。
川見店主:
「その時はまたガチガチに緊張して収録がんばります(笑)。」
(「川見店主、君原健二さんに会いに行く」は、これでおわりです。最後までお読みいただきありがとうございました。)
・その1 開運!なんでも鑑定団に出演した話
・その2 1964年東京オリンピックのポスターとスカーフの話
・その3 円谷幸吉はそこに手を置き、サインをした
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