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【陸上競技】晴れわたる空の下で走るキミたちを見ていた。~大阪インターハイ(2017)を観戦した話。



5/26~5/28の3日間、大阪インターハイ(第70回大阪高校陸上競技対校選手権大会)がヤンマーフィールド長居で開催されました。
で、最終日の5/28(日)は川見店主と観戦に行ってきました。


*****

男子100m決勝の話

この日は天候に恵まれた。
空は晴れ渡り、時折に吹く風は優しい。

午前10時30分頃。
トラックでは、男女の100m予選と800m準決勝が終わり、ひきつづいて男子5000m競歩決勝のレースが行われていた。
川見店主はスタンドの客席に座り、トラックに熱い視線を注いでいた。
しかし、おもむろに立ち上がると、スタンド裏の通路に移動し、スマホに耳を傾け、何やら話しこみはじめた。
電話の相手は、この広い競技場のどこかにいるD高校のT先生だった。

T先生:
「3年生のI選手が男子100m予選を自己ベスト10秒77で通過しました。この調子でいけば、近畿大会に進出できそうです。」

川見店主:
「見てました!すごいですね!がんばってほしいですね!」

I選手は、前日にも、男子200m予選・準決勝・決勝と3つのレースを突破し、近畿大会進出を決めていた。T先生はI選手に男子100mでも近畿大会に進んでほしかった。しかし、I選手の疲労はピークに達していた。

川見店主:
「I選手は疲れてるでしょう?準決勝までに、しっかり筋肉をほぐしておいた方がいいと思いますよ。なにか私にできることないですか?」

T先生:
「ありがとうございます。でも、準決勝まで時間がありません。」

川見店主:
「I選手と合流できますか?いい人を紹介しますから。」

高校最後のシーズンを走るI選手に最高の結果を残してあげたい。T先生と川見店主の思いは同じだった。

川見店主はふたたびスマホに耳を傾け、やはりこの陸上競技場のどこかに来ているはずの「たぶっちゃん」に連絡を取る。「たぶっちゃん」は、現役時代には関東の某強豪大学で箱根駅伝出場を目指す長距離選手だった。今はボディケア用品・クリオ販売の社員として当店を担当してくれている。

川見店主:
「こういう選手がいるのよ。大事な準決勝だからね、なんとかしてあげられないかな。」

たぶっちゃん:
「わかりました。そちらに行きます。」

T先生、I選手、たぶっちゃん、そして川見店主がスタンド裏の通路で合流。
D高校の選手たちが待機しているブルーシートの一角でI選手が横になると、たぶっちゃんがクリオの商品を使って的確に筋肉のケアをほどこす。

I選手:
「あ、ぜんぜん足が軽くなりました!いい感じです!」

この後、I選手は準決勝で10秒74とさらに記録を伸ばし決勝進出、そして決勝では4位にくい込み、見事に近畿大会進出を決めた。


*****

女子100m決勝の話

「あの後ろ姿はFちゃんじゃないかな?歩き方でわかるよね。」

川見店主の視線の先、女子100m決勝のスタートラインに彼女の姿があった。

F選手が初めてオリンピアサンワーズに来てくれたのは、昨年(2016)の春だった。
高校に入ったばかりの新1年生。
川見店主は、彼女の顔を見るなり言った。
いいね、あなたの勝ち気が、顔に出てるよね、と。
当時、彼女の100mの自己ベスト記録は12秒75だった。
彼女の記録はまだまだ伸ばせると、川見店主は思った。

それからの1年間で、彼女には4足のスパイクシューズと2足のアップシューズをフィッティングした。そのうえで、川見店主は彼女が来店するたびに、立ち方や歩き方の姿勢を改善するよう彼女に求めた。彼女も努力を怠らなかった。
結果はすぐに表れはじめた。
彼女は順調に自己ベスト記録を更新しつづけた。
秋には100mのタイムが12秒38まで伸びていた。

そして2017年春、彼女のシーズンが幕を開ける。

この日の前日。
女子100m×4リレー決勝で、彼女は第2走者をつとめチームを4位に導き、すでに近畿大会進出を決めていた。
そして、今日。
午前中に行われた女子100m予選を彼女は組1位で通過、記録は自己ベストを大きく更新する12秒16だった。
つづいて正午過ぎに行われた準決勝も組1位でぶっちぎってゴール、難なく決勝へ進出した。

午後2時10分。
女子100m決勝のレースがはじまる。
スターティングブロックに腰を落とす彼女が見える。
静寂が競技場を包む。
ピストルの号砲とともに、彼女は低い姿勢で突っ込んだ。
スタートダッシュで頭ひとつ前に出たかに見えた。
小柄な彼女のカラダが、グングンと加速しはじめる。
レース中盤、選手たちがほぼ横一線に並んだ。
勝ち気な横顔が、一瞬、目の前を通り過ぎていくのが見えた。

選手たちがすべるようにフィニッシュラインを越えたとき、スタンドからはひときわ大きな歓声が上がった。電光掲示板には、1位でゴールしたI高校D選手のタイムが表示された。11秒81。大会新記録だった。

F選手は4位だった。記録は12秒11。彼女はさらに自己ベスト記録を更新し、個人種目でも近畿大会進出を決めた。


*****

女子800m決勝と女子400m×4リレー決勝の話

午後1時15分。
女子800m決勝のレースでは、同じ色のユニフォームを着たふたりの選手のデッドヒートが展開された。
ふたりは同じHK高校の先輩と後輩にあたる。
先頭を行く先輩と、それを猛追する後輩の姿に、観衆は手に汗を握った。
ふたりは、3位以下を大きく引き離して、そのままゴールした。
スタンドがどよめく。
ふたりの記録は、どちらも大会新記録を更新していた。

午後3時30分。
女子400m×4リレー決勝は、HK高校が圧倒的な力を見せつけて優勝した。
HK高校の第3走者は、2時間前の女子800m決勝で2位だった「後輩」のM選手だった。

M選手は、短距離走と中距離走と、どちらにも優れた力をもっている。
今大会、彼女がエントリーしていた種目は次のとおり。

・女子200m
・女子400m
・女子800m
・女子100m×4
・女子400m×4

これらの種目を大会期間中の3日間でこなすのだ。
しかも、彼女はすべての種目において、予選→準決勝→決勝と3つのレースを勝ち進む可能性が大きかった。そうなると、3日間、ほぼ走りっぱなしのスケジュールになる。リレーではメンバーの交代もあるが、それにしても彼女は、なんてタフなのだろう。

中学時代から彼女はすでに有名だった。
特に中距離種目では大阪に敵がいなかった。
彼女の名前は、どの大会の試合結果でも、常に一番上にあったものだ。

そんな彼女が初めてオリンピアサンワーズに来てくれたのは、昨年(2016)の秋だった。
当時の自己ベスト記録は400mが57秒73、800mが2分12秒61。
素晴らしい記録だ。
しかし、彼女が目指す記録は、もっともっと先にあった。
その実現のために、川見店主は彼女に2足のスパイクシューズと、2足のランニングシューズをフィッティングした。

あれから半年。
今大会で彼女が残した結果。
女子400m決勝は3位、記録は55秒45。
女子800m決勝は2位、記録の2分06秒79は大会新記録。
結局、彼女はこの2つの個人種目と、優勝した女子400m×4リレーとの合わせて3種目で近畿大会進出を決めた。

彼女の強さはどこにあるのか?

以前、川見店主は彼女に問うてみたことがある。
例えば800mのレースの後半は疲れ果ててペースが落ちるものだけれど、そんなツラい場面ではどんな気持ちで走っているの?
彼女のこたえは、こうだった。

「だからこそ負けたくない、って思うんです」

彼女が目指すものは、まだまだ、もっともっと、先にある。


*****

スタンドにて

試合会場となったヤンマーフィールド長居は、隣にあるヤンマースタジアム長居よりも2回りほど小さな陸上競技場である。
この競技場のスタンドには、屋根というものがほとんどない。
晴れ渡る空から降り注ぐ陽光が、容赦なく肌を射す。



川見店主は日傘を持参していたが、スタンドの狭い客席で差すことは難しかった。

川見店主:
「しまったね。帽子が必要だったよね。でも私の帽子は、チビタくんにとられてしまったからね。」

そう、あれは確か2年前。
チビタくんは、川見店主の帽子をいたく気に入ってしまった。
その帽子の行方は、今となってはわからぬままだという。

川見店主が帽子をチビタくんにとられたのは2015年5月のことであった。そのブログはこちら


半袖シャツから出た腕が、みるみる赤くなっていく。
まずいな、日焼けしてしまうな、長袖のシャツにしてくればよかったな。
そう思って周りを見渡すと、元気な高校生男子がTシャツの袖を肩までまくりあげて、トラックに向かって懸命にチームメイトを応援している。

そうだよな。高校時代なんて、日焼けが肌に悪いとか、そんなことは考えたこともなかったもんな。

彼らの若さを思って微笑ましく見ていると、隣に座った男子が、何やらバッグから取り出して、体中に塗りたくりはじめた。

お、おい、それは、日焼け止めクリームじゃないか!

今どきの高校男子には感心する。
これから陸上競技場で試合を観戦する時は、帽子をかぶり、全身に日焼け止めクリームを塗りたくってのぞむことにいたします。

*****

以上、晴れ渡る空の下でみんなを応援し、めっちゃ日焼けした2017年大阪インターハイの話でした!

近畿大会進出を決めたみなさん(ここに紹介できなかった女子200mのTちゃんも、競歩のAちゃんも)、全国大会を目指してがんばってくださいねー!


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