スキップしてメイン コンテンツに移動

【マラソン】けれど、彼は、42.195kmを走りつづける。



オホーツク網走マラソンを走る

本日のお客様は、サブ5ランナーのナオヒサさん(男性)です。

――ナオヒサさん、こんにちは。

ナオヒサさん:「はい、お世話になってます」

――いよいよのマラソンシーズンです。調子はいかがでしょうか?

ナオヒサさん:「実は、9月にオホーツク網走マラソンを走ってきたんですよ」

――あ、そうなんですね。

ナオヒサさん:「以前このブログに、網走マラソンを走った女性のことが書かれてましたよね」

――はい、こちらの記事ですね↓
ナオヒサさん:「このブログを読んで、よさそうな大会だなとは思ってたのですが、想像以上によかったですよ」

――お写真なんかがあれば、ぜひ拝見したいのですが。

ナオヒサさん:「えー、ちょっと待ってくださいね……(スマホをとりだす)……はい、こんな感じでした」

――(スマホをのぞきこむ)うわぁ!こ、これはすごいですね!!














わーーーっ!


わーーーーーっ!


ひまわり畑が壮観!


ひまわりのマラソンロードをかけ抜けてフィニッシュ!


――なんとも素晴らしい景観ですね!ちなみに、タイムはどうでしたか?

ナオヒサさん:「5時間8分でした。こんなにキレイな景色の中を走るんだったら、もっと練習してくればよかったと、少々反省しました(笑)」


6年間、16足、4時間52分。

――ナオヒサさんがランニングをはじめたきっかけは?

ナオヒサさん:「大事な人から『やせてほしい』って言われましてね。動機が不純ですね。すいません(苦笑)」

――いえいえ(笑)。はじめてオリンピアサンワーズにご来店されたのは、2011年秋のことでした。

ナオヒサさん:「もう6年前になるんですね」

――当時のナオヒサさんは、ダイエットのためにランニングをはじめて1年ほど。20kgの減量に成功されたものの、足とシューズのトラブルに悩んでおられました。

ナオヒサさん:「クツ擦れを起こしたり、足の爪が黒くなったりの繰り返しでした。色んなシューズを買い替えて試してみるも何も解決せず。で、どうにかならないかと調べて、このお店を見つけました」

――以来、ナオヒサさんにフィッティングしたランニングシューズは、6年間16足を数えます。旧のブログでも、ナオヒサさんとのエピソードは度々ご紹介させていただきました
6年間でフィッティングしたナオヒサさんのランニングシューズたち、の10/16。

ナオヒサさん:「オリンピアさんでランニングシューズをフィッティングするようなってからは、足とシューズのトラブルは一切ありません。クツずれも、爪の問題も解消しました。感謝しています」

――2012年には、初めてのフルマラソンに挑戦、5時間30分で無事に完走。その後も、毎年フルマラソンを走っておられますね。

ナオヒサさん:「なんだかんだでつづいてますね(笑)」

――主なマラソン戦歴はこんな感じです。

・2012/11 神戸 5時間30分(初)
・2013/10 大阪 5時間42分
・2014/03 寛平 4時間52分(PB)
・2015/03 寛平 5時間14分
・2016/12 奈良 4時間57分
・2017/03 寛平 5時間21分
・2017/09 網走 5時間08分

ナオヒサさん:「あまり記録は更新できてませんけれども(苦笑)」

――いえいえ、こうして走りつづけておられることが素晴らしいです。この6年間、それだけのカラダを維持しておられるわけで。

ナオヒサさん:「そういえば、以前は、フルマラソンを走った翌日の仕事は休みをもらってました。今は普通に出勤してますね」

――もう、当たり前に42.195kmを走れてしまうのがスゴイって話です。

ナオヒサさん:「職場でも、はじめは『フルマラソンを走るなんて、アイツはスゴイな、大変だな、翌日は休んでも仕方ないな』というささやかな優しさがあったのですが、今はもう『ああ、また走るのか』ぐらいの反応で、休める空気もありませんね(笑)」



奈良マラソン、アボガド納豆。

――今シーズンのレース予定はお決まりですか?

ナオヒサさん:「12月10日に奈良マラソンを走ります」

――目標タイムは?

ナオヒサさん:「5時間を切れたらいいなと。奈良マラソンは昨年にサブ5達成できた『ゲンがいい』大会ですから、がんばりたいですね」

つーわけで、目指せサブ5なナオヒサさんのランニングシューズをフィッティング!
今回、川見店主がナオヒサさんに選んだのは、オレンジ色(写真左)のレース用と、地味な色(真ん中)のトレーニング用「ジミー」の2足。
装着するオーダーメイド・インソールは、いずれも最上級インソールのゼロアムフィットです!
レース用(左)と、トレーニング用(中)のランニングシューズをフィッティング。
装着したのは、いずれも最上級インソールのゼロアムフィット。

ジミーはこんなランニングシューズ↓

さぁさぁさぁ、履き心地はいかがでしょーかー!

ナオヒサさん:「はい、どちらのシューズもイイ感じですね。ピッタリです」

川見店主:「フルマラソンに挑戦する以上は、カラダのためにも、普段のお食事を大事にしてくださいね」

ナオヒサさん:「それがなかなか、栄養が偏りがちです」

川見店主:「納豆、じゃこ、ハムとか、調理の必要のない一品を足すだけでも、ぜんぜん食生活が変わりますよ」

ナオヒサさん:「あー、なるほど。でも納豆は苦手ですね」

川見店主:「納豆には、果物のアボガドを入れると食べやすくなりますよ。栄養抜群の組み合わせですし、私もやってます」

ナオヒサさん:「アボガド、ですか……」

次の日、ナオヒサさんから届いたメール↓

先日は食事の指導もありがとうございました。
アボガドが初めてだったので、切るとなんだろうこのミドリイロくんは……と思いながら、僕にとっては未知との遭遇のアボガド納豆は、納豆の匂いがどこにいったんだろうと思えるくらいおいしくいただきました。

……だそうです。
ナオヒサさんも美味しく食べれるアボガド納豆、みなさんも一度お試しあれ。


達成感と、悔しさと。

さて。

7年前、走りはじめる前のナオヒサさんの体重は90kgほどあったそうだ。
今の姿からは想像できない。
ダイエットは成功した。
走る習慣も身についた。
健康なカラダを維持している。
もうそれで十分なはずだ。
42.195kmもの距離を走る必要なんて、まったくない。
けれどナオヒサさんは、フルマラソンに挑戦しつづける。

ナオヒサさん:「フィニッシュした時は達成感に包まれるんです。でも、時間が経ってレースを振り返ると、悔しくなってくるんです。もっと、ああすればよかった、こうすればよかったって。そして、次のレースこそ、もっとうまく走ってやろうと思うんです

「悔しさ」は「可能性」の残量。
最高のレースは「Next One(ネクスト・ワン)」。
ナオヒサさんのフルマラソンは、まだまだつづく――。

ご健闘をお祈りいたします!
オホーツク網走マラソンの風景。ナオヒサさんお気に入りの1枚。
(撮影:ナオヒサさん)

(おわりです)

*****

【関連サイト】
この記事をシェアする
  • B!

コメント

このブログの人気の投稿

【短距離走】たった半年で100mの記録を0.6秒も更新し、全中で4位に入賞した中学2年生スプリンターにフィッティングした7足のシューズとインソールとは?

全中で4位入賞 だいきくんは、中学2年生のスプリンター。 陸上競技の強豪校でがんばってます。 100mの自己ベスト記録は 11秒39 。 今年の夏には 全中(全日本中学校陸上競技選手権) に出場し、 男子4×100mリレー で見事に 4位入賞 を果たしました。 いよっっつ! ――だいきくん、全中出場&男子4×100mリレー4位入賞おめでとうございます! だいきくん: 「ありがとうございます」 ――だいきくんは、何走だったのですか? だいきくん: 「2走っす」 ――全国大会の舞台は緊張しましたか? だいき くん: 「予選は大丈夫だったすけど、 準決勝と決勝はヤバかった っす。めっちゃ緊張しました!」 ――レース後の表彰式で撮影された写真が、「 月刊陸上競技 」10月号に載ってますね。ダイキくんの姿を見つけたときは、とてもうれしかったし、誇らしかったですよ。かっくいー! 2017年8月に熊本県で開催された全中の結果が載ってる「月刊陸上競技」10月号。 だいき くん: 「実は、その写真の時、 めっちゃ落ち込んでた んす」 ――どうして?表彰台に上がって、賞状をもらって、最高にうれしい瞬間じゃないの? だいきくん: 「優勝したチームのタイムが 中学生新記録 だったっす。めちゃくちゃ速くて、勝負にならなかったっす。悔しかったっす」 ――いい経験ができましたね。 だいき くん: 「来年がんばるっす」 ◆ 37年ぶりに日本記録を樹立 ――全中が終わってから、調子はどうですか? だいき くん: 「この前の日曜日(10/9)、 日本新記録 をだしたっす」 ――えっ?日本新記録!? だいき くん: 「 大阪市民陸上カーニバル で、 低学年リレー (※)ってのがあったんすけど、僕はアンカーで走って日本記録を出したっす」 ※【低学年リレー】中学2年生と1年生でチームを編成するリレー。中2が第1走と第4走、中1が第2走と第3走をつとめる。 ――すごいすごい!調べてみたら、なんと1980年以来破られなかった記録を 37年ぶり に更新したって話じゃないですか!ダイキくん、 日本記録保持者 なんだ!」 だいき くん: 「 そうっす(得意気) 」 さらに、いよっっつ!

【ハリマヤ】ハリマヤシューズの物語。

その昔、 HARIMAYA (ハリマヤ)というシューズメーカーがあったのをご存知でしょうか? 1912年 の第5回オリンピック・ストックホルム大会に、日本人初のオリンピック選手となった 金栗四三 氏は 足袋 (たび)を履いてマラソンに出場しました。その足袋をつくったのが、 播磨屋 (はりまや)という 足袋屋 さんでした。その後、播磨屋足袋店が日本を代表するランニングシューズメーカーへと発展したのが「 ハリマヤ 」です。 ハリマヤの歴史を紐解けば、そこには日本のマラソンとランニングシューズの 100年 の物語が見えてきます。 ***** ハリマヤとオリンピアサンワーズの歴史が交わるのは 1970年代 。 1960年頃に当店を「 陸上競技専門店 」として創業していた 上田喜代子 (うえだ・きよこ)は、陸上競技の専門的な商品を探して東奔西走し、ハリマヤのシューズにめぐり会いました。そのシューズづくりの技術力に感銘を受けた上田は、関西ではじめてハリマヤのシューズを販売するに至りました。 「足袋屋」だったハリマヤが作るマラソンシューズや陸上競技のスパイクシューズは、日本人の足によく合いました。足を入れれば、吸い付くようにフィットしました。最高の履き心地でした。 1990年頃に、残念ながらハリマヤはなくなりました。 しかし、すでにオリンピアサンワーズの二代目として店を継いでいた現店主の 川見充子 (かわみ・あつこ)は、「 ハリマヤのシューズづくりの技術が、後世に役立つ時がきっと来るはずだ 」とハリマヤのシューズや資料を、それからもずっと大切に保存しつづけてきました。 ***** 日本中には今なおハリマヤを愛し、懐かしむ方々がたくさんいらっしゃいます。旧ブログ(2005-2016)で掲載したハリマヤの記事には、そんなみなさまから、たくさんのコメントをいただきました。 中でも、ハリマヤの創業者である 黒坂辛作 (くろさか・しんさく)氏の"曾孫(ひまご)"さんからコメントをいただく機会があり、私たちはハリマヤの歴史をより深く知ることができました。 そして、これらのハリマヤ記事がきっかけとなり、2012年12月には、川見店主がテレビ番組「 開運なんでも鑑定団 」に 鑑定士 としてデビューするに至りました。川見

【ハリマヤ】無名の母たちがつくったハリマヤのシューズ~新潟県十日町市からのおたより

彼女たちこそが 一枚の古い写真。 木造の建物を背景に、きちんと整列した人たちが写る。 そのほとんどが、質素な作業服を身にまとった女性たちだ。 彼女たちは、きっと、市井に生きる無名の庶民の一人ひとりであったにちがいない。 しかし、ある時代において、多くの陸上競技選手やランナーたちを支えていたのは、まさしく彼女たちだったのだ。 ◆ 「いだてん」の足を支えた「ハリマヤ」 今年(2019)1月から毎週日曜日に放送されている NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」 。主人公は、日本のマラソンを創った 金栗四三 さんです。 金栗四三 (1891-1983) 金栗さんは、 1912年 の ストックホルム五輪 に、日本人初のオリンピック選手としてマラソンに出場、「 播磨屋(ハリマヤ) 」という足袋屋の足袋を履いて走りました。 しかし、北欧の堅い石畳のコースに足袋は弱く、金栗さんは膝を痛め、また日射病に倒れてレースを途中棄権するという悔しい結果に終わりました。 この失敗を糧に、金栗さんは、播磨屋の店主・ 黒坂辛作 さんと、マラソンを走る足袋を共同開発し、遂には、改良に改良を重ねて進化したマラソン足袋、いわゆる「 金栗足袋 」が誕生しました。そして、「金栗足袋」を履いた日本の歴代ランナーたちが、五輪や世界大会のマラソンで優勝する時代が1950年頃までつづきました。 ハリマヤ創業者・黒坂辛作 (1880-?) 播磨屋は戦後にはシューズメーカー「 ハリマヤ 」へと発展。 足袋を原点に持つハリマヤのシューズは日本人の足によく合いました。 また靴職人たちの高度な技術は他メーカーの追随を許さず、国産にこだわるハリマヤの良質なシューズは、長年にわたり陸上競技選手やランナーたちを魅了しつづけました。 残念ながら、ハリマヤは 1990年頃 に倒産しました。 しかし、私たちはハリマヤを忘れてはいません。 オリンピアサンワーズには、今なおハリマヤを愛する人たちから、たくさんの「声」が届きます。そして、みなさんの記憶から、ハリマヤの歴史が掘り起こされています。 みなさんの声↓ ハリマヤ第二の故郷 新潟県十日町市から さて。 先日も、当店のFB(Facebook)に1枚の画像とともにこんなメッセー

【マラソン】フルマラソンに挑戦する50代男性ランナーを応援するブログをはじめます!【第1回】

「50s Runners Club」はじめます。 フルマラソンに挑戦する、 50代以上 の 男性ランナー を応援したい! というブログをシリーズではじめます。 名付けて「 50s Runners Club(フィフティーズ・ランナーズ・クラブ) 」。 第1回目は、3人のイカしたオジサマたちがご登場です! ***** 「やっと5時間を切れました」 【熊本県・ヨシユキさんの場合】 中学・高校時代は野球部で汗を流した。 でも、それからはスポーツらしいことは何もしてこなかった。 10年ほど前、突然腰痛に襲われる。 医者に行くと言われた。 運動不足です。カラダを動かしてください。 ジムで汗を流すようになった。 そこで知り合った人に、無理やりマラソン大会に申し込まされた。 2007年、熊本県氷川町梨マラソンに参加。 梨畑を5km走った。 ヨシユキさん: 「しんどかったですね。 死ぬかと思いましたね (笑)」 30分ほどかけてゴールにたどりついた。 参加賞でもらった梨は甘く美味しかった。 走り終わって食べた弁当は格別にウマかった。 帰りに皆で温泉につかり、ビールを飲んだ。 なんだこれは、最高の気分じゃないか。 ヨシユキさん: 「これが やみつきになりましてね 。走りつづけることになりました」 フルマラソンにも挑戦。 ・2014/12 青島(初フル)5時間20分 ・2016/03 鹿児島 5時間15分 しかし、走ると膝が痛むようになってきた。 2016年秋、オリンピアサンワーズに初ご来店。 2足のランニングシューズをフィッテング。 2016年秋。レース用(上)、走りこみ用(下)のランニングシューズをフィッティング。装着したオーダーメイドインソールは、いずれも最上級インソールのゼロ・アムフィット。 その後。 ・2016/11 福岡 5時間30分 ・2016/12 青島 4時間58分(PB) ヨシユキさん: 「 やっと5時間を切れました。もう膝も痛くなりません 」 2017年夏、ふたたびのご来店。 2足のランニングシューズをフィッティング。 2017年夏。走りこみ用(左)とレース用(右)のランニングシューズをフィッティング。装着したオーダーメイドインソールは

【ウルトラ】100kmを9時間4分で走る男性ランナーは夜明けとともにタイタンを目指す。

2016年9月18日。 時刻は午前4時をまわった。 暗がりの中でスタートラインに並ぶその人は、これまでにない不安と緊張を感じていた。 「果たして、自分は完走できるだろうか?」 歴史街道丹後100kmウルトラマラソン。 この大会は6年連続の出場となる。 過去の記録。 ・2011年 11時間02分 ・2012年 9時間34分 ・2013年 9時間16分 ・2014年 9時間26分 ・2015年 9時間04分(PB) 今年は9時間切りを達成するつもりだった。 でもそれは不可能というものだ。 2月に行ったスキーで左足首を骨折。 3月までろくに歩けなかった。 4月からようやく走れるようになった。 しかし、無意識に左足をかばい、ランニングフォームのバランスが崩れていたのだろう。 1か月前に腰痛が起こりまた走れなくなった。 それからはまともな練習もできず、今ここに立っている。 そんな今の自分には、100kmを完走することも夢のような話なのかもしれない。 スタートの時刻が迫る。 まず、この場所に立てたことを感謝しよう。 そして、走れるだけ走ろう。 100km先の自分がどうなっているのか見当もつかないけれども、もし走り切れたら――とその人は思う。 「自分は涙を流すんじゃないか?」 午前4時30分。スタート。 夜が明けようとしている。 暁を予感し、その人は走りだす――。 ***** 折れた足でミッション車を運転する人 本日のお客様は、ウルトラマラソンで サブ9.5 、フルマラソンで サブ3 ランナーであるカズナリさんです。 ――カズナリさん、こんにちは。 カズナリさん: 「いつもお世話になってます」 ――カズナリさんが初めてご来店されたのは3年前(2014年)の春。以来、カズナリさんの激闘ぶりは、旧ブログでも度々ご紹介させていただきました。 特に、2015年の 丹後100km9時間04分の大激走 と、 大阪マラソン3時間02分で2万人抜き大爆走 は、我々の記憶に新しいところです。 2015大阪マラソンを走るカズナリさん(右)。この後、2万人抜きの大爆走。 しかし、昨年(2016年)は、思いもよらぬトラブルがカズナリさんを襲いました。 大変な一年でしたね。 カズナ