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【HGS】足指が活発に動きだす「秘密のインソール」とは?~「ひとえぐいぐいすぺしゃる」開発秘話(その4)


みなさん、こんにちは!

グイグイしてますかーーっ!

今、オリンピアサンワーズで最も熱いシューズがこれです↓


でた!
HGS(ひとえ・ぐいぐい・すぺしゃる)!

この不思議な履き物がいかに「GOISU(ごいすー・すごいの意)」か、川見店主にくわしく聞く連載の第4回目

足袋型オーダーメイドインソールをさらに進化させる、川見店主の「秘密の加工技術」とは!?

川見店主


秘密のインソール加工技術とは?


――さて、前回のブログは、なぜ足袋型シューズ【hitoe】に、足袋型オーダーメイドインソール【アムフィット】が必要なのか?という話をしました。


川見店主:
hitoe】と【アムフィット】が一体となり、「足指」と「アーチ」を同時に正しい骨格のポジションへ「リセット」する。これではじめて、足全体が本来の健康な足にリセットされるのです。
足袋型アムフィットによって、足のリセットは実現する

――地下足袋メーカー<丸五>さんも、「hitoeにオーダーメイドインソールを入れるなんて!」とビックリしてると思います。


川見店主:
ふふふ。驚くのは、まだ早いですね(ニヤリ)。


――な、なんですか、その不敵な笑みは。


川見店主:
この足袋型アムフィットの機能をさらに進化させる「秘密のインソール加工技術」を開発しちゃいました!


――秘密の加工技術?ま、まさか、あの!?


川見店主:
その「秘密」の話の前に、あるシューズをご紹介しておきましょう。



大発明だった<フィンガートゥ構造>


川見店主:
今から17年前、21世紀がはじまった2001年の春、アシックス社から「FINGERTOE(フィンガートゥ)」という名のランニングシューズが誕生しました。
初代フィンガートゥは、2001年に発売。当時のカタログから。

――「フィンガー(指)」と「トゥ(つま先)」。つまり「足指」を意味する名前なんですね。


川見店主:
というのも、このシューズは、なんと、つま先の足指部分がボコっとへこんでいるんです!


――へー、それは変なシューズですね。


川見店主:
そのおかげで、履くだけで足指が活発に動きだし自然と足指で地面を踏みしめることができました。これが、画期的なFT(フィンガートゥ)構造です。
これが「VFT(ヴァイタル・フィンガー・トゥ)」構造だ!

――なぜアシックスは、こんなシューズを開発したのでしょう?


川見店主:
当時(2001)のカタログには、こんな風に説明されてます。
長くなりますが、大事な話なのでそのまま引用します。
前へ進もうとする足は、踏み出しでは地面をしっかりつかむために指を曲げ、着地時にはより遠くへ足を運ぶために指を反らせます。また末梢神経が集中した足指を動かすことは、身体能力や脳細胞の活性化にもつながります。
この足指本来の動きと効果に着目したのが「FT(フィンガートゥ)理論」。現代人の運動機能回復をめざすことから出発したこの理論は、実現に向けて開発が進むにつれ、当初の目的以上の成果をもたらしました。それは、足指の動きを高めることは、スポーツにおける動きも助長し、アスリートの能力、記録を引き出すための新しいメカニズムとなりえることです。

――この説明に合わせてカタログに掲載された写真(下)には
足指を動かすことで、足指の血行を高め、指先から心臓まで血液を有効に送り返す
という文章が添えてあります。
足指が動くと血行がよくなる。2001年アシックスのカタログから。

川見店主:
人間のカラダにとって、足指の動きはとても大事なことなのです。そこに着目したアシックスさんがスゴイ。さらに「理論」を商品として「具現化」したことがもっとスゴイ。
感動しました。
シューズの世界に「革命」が起こると思いました。
私は<フィンガートゥ構造>シューズの「未来」を見ました


――その後、足指部分がへこんだ<フィンガートゥ構造>は「GELLIQUE(ゲルリーク)」という名のランニングシューズに継承され、毎年シリーズ化されましたね。


川見店主:
<フィンガートゥ構造>の効果はてきめんでした。外反母趾で足指が動きにくくなった女性も、走ると膝が痛くなっていたランナーも、「ゲルリーク」にアムフィットを入れるだけで、どんど歩き、走れるようになっていきました。


――しかし、既製品としての「ゲルリーク」は、2001~2008年の8年間だけ生産・販売されたのみでした。


川見店主:
私は、誰人にとっても「ゲルリーク」は必要なシューズだと思っていました。だから、アシックスさんに無理を言って、2010年にはオリンピアサンワーズのオリジナルモデルを限定300足だけ生産してもらいました。
2010年、奇跡の300足限定生産。
サンワーズオリジナルのゲルリーク特別サイトはこちら


――この300足を最後にゲルリークは姿を消しました。


川見店主:
残念です。<フィンガートゥ構造>という画期的な機能をもつシューズがこの世から消えてしまったことが、私にはずっと心残りでした



足指をぐいぐい動かせ!


――いまだに当店のお客様からは、
「ゲルリークが一番走りやすかったです」
「あの指先のへこんだシューズはもうないのですか?」
というお声を多くいただきます。


川見店主:
「僕らでゲルリーク復活希望の署名を集めて、アシックスに持っていきましょうか?」
っていうお客様もいらっしゃったり(笑)。


――ゲルリークの、あの「履くだけで足指が動きだす」感覚は、もう二度と、誰にも経験してもらえません。本当に残念ですね。


川見店主:
ちょっとまったーーーっ!!


――なんですか、いきなり大声で。


川見店主:
あきらめるわけにはいかないんですよ!
足指を動かすことは、人間のカラダにとって大事なことなのですよ。


――はい、わかってます。


川見店主:
じゃあ、私が作ってしまおうじゃないかと。
<フィンガートゥ構造>のように、履くだけで足指が活発に動きだし、自然と地面を踏みしめることができる「履き物」を実現しようじゃないかと。


――急に何を言いだすんですか。


川見店主:
つーわけで、「履くだけで足指がぐいぐい動きだす秘密のインソール」を開発しちゃいました!

ででーーん!


――うわ、なにこのアムフィット!


川見店主:
足袋型アムフィットの指先部分を短めにカットするのです。
すると、インソールからはみだした足指が、段差を利用して「ぐいぐい」と動きだし、自然と地面をつかむように踏みしめて歩くことができるのです!
新開発、これが「ぐいぐい加工」だぜ!

――おお、まさにこれは<フィンガートゥ構造>ではないですか!


川見店主:
これが「秘密のインソール加工技術」、名づけてぐいぐい加工なのでっす!


――ぐ・い・ぐ・い・加・工……(放心)。



「ぐいぐい度マシマシで!」


川見店主:もうね、「ぐいぐい加工」はすっごいですから。足の指、信じられんくらい動きますから。みなさんにぐいぐい歩いてほしいです。


――あのー、「ぐいぐい加工」のインソールですが、これ、いっそのこと普通のシューズにも装着したらいいんじゃないのですか?


川見店主:
ぐいぐい加工」はインソールを短くカットしますから、普通のシューズの中ではズレてしまうので、装着できません。
しかし、【hitoe】は「足袋型」なので、「親指」と「人差し指」の分かれ目でインソールがひっかかって止まりズレません。【hitoe】だからこそ実現できた「ぐいぐい加工」です。
インソールを短くカットしても、足袋型シューズなら足指の分かれ目で止まりズレない


――なるほど。<フィンガートゥ構造>をヒントに、足袋型シューズの特徴を活かして、「ぐいぐい加工」が実現したわけですね。


川見店主:
ゲルリークなきあと、足指を鍛えるシューズの実現は私の悲願でした。「ぐいぐい加工」の実現によって、長年の課題がひとつ解決した気分です。


――しかし、足指の長さは人それぞれですよね?「ぐいぐい加工」ではどのように対処するのでしょう?


川見店主:
個人の足指の長さに合わせて、足指部のカットする長さも調整できます。それに、短めにカットすればするほど足指の「ぐいぐい度」を増すことができますよ!
足指部をほぼ全カットした「ぐいぐい度」100%UPのアムフィット


――じゃあ、足指を鍛えたいお客様は「ぐいぐい度マシマシで!」みたいに注文していただくといいですね(笑)。


川見店主:
どこかのラーメン屋さんみたいね(笑)。

〇〇系ラーメンってそうやって注文するんでしょ?行ったことないけど。


【今回のぐいぐいポイント】
①足指が動くのめっさ大事
②ぐいぐい加工で足指がゴイスー
③ぐいぐい度マシマシで足指がさらにゴイスー


つづきます↓
第5回「驚きのぐいぐい効果!新感覚のシューズを体感せよ!」


HGS(ひとえ・ぐいぐい・すぺしゃる)の価格・ご購入方法の詳しくは当店の特別サイトでご紹介してます↓

※この記事にある使用感は個人の感想であり、効果・効能を示すものではありません。
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