一輪の花を。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 5月 07, 2021 川見店主が一輪のカーネーションを手に帰ってきた。買い物をした店でもらったとのこと。「女性にだけプレゼントしていると、お店の人が言ってたよ。うれしい」残念ながら一輪挿しがなかった。そこで、以前フラワーアレンジメントに使われていたお皿を探し出し、水を張って茎を浸した。一輪のカーネーションは、白くなめらかな陶器の皿の中で、細い葉を広げて優雅に横たわった。ひとりバスタブの縁に頭を乗せて、くつろいでいるように見えなくもなかった。「おもしろい。悪くないね」と川見店主は笑った。#オリンピアサンワーズ#もうすぐ母の日 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
【ハリマヤ】無名の母たちがつくったハリマヤのシューズ~新潟県十日町市からのおたより - 1月 21, 2019 彼女たちこそが 一枚の古い写真。 木造の建物を背景に、きちんと整列した人たちが写る。 そのほとんどが、質素な作業服を身にまとった女性たちだ。 彼女たちは、きっと、市井に生きる無名の庶民の一人ひとりであったにちがいない。 しかし、ある時代において、多くの陸上競技選手やランナーたちを支えていたのは、まさしく彼女たちだったのだ。 ◆ 「いだてん」の足を支えた「ハリマヤ」 今年(2019)1月から毎週日曜日に放送されている NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」 。主人公は、日本のマラソンを創った 金栗四三 さんです。 金栗四三 (1891-1983) 金栗さんは、 1912年 の ストックホルム五輪 に、日本人初のオリンピック選手としてマラソンに出場、「 播磨屋(ハリマヤ) 」という足袋屋の足袋を履いて走りました。 しかし、北欧の堅い石畳のコースに足袋は弱く、金栗さんは膝を痛め、また日射病に倒れてレースを途中棄権するという悔しい結果に終わりました。 この失敗を糧に、金栗さんは、播磨屋の店主・ 黒坂辛作 さんと、マラソンを走る足袋を共同開発し、遂には、改良に改良を重ねて進化したマラソン足袋、いわゆる「 金栗足袋 」が誕生しました。そして、「金栗足袋」を履いた日本の歴代ランナーたちが、五輪や世界大会のマラソンで優勝する時代が1950年頃までつづきました。 ハリマヤ創業者・黒坂辛作 (1880-?) 播磨屋は戦後にはシューズメーカー「 ハリマヤ 」へと発展。 足袋を原点に持つハリマヤのシューズは日本人の足によく合いました。 また靴職人たちの高度な技術は他メーカーの追随を許さず、国産にこだわるハリマヤの良質なシューズは、長年にわたり陸上競技選手やランナーたちを魅了しつづけました。 残念ながら、ハリマヤは 1990年頃 に倒産しました。 しかし、私たちはハリマヤを忘れてはいません。 オリンピアサンワーズには、今なおハリマヤを愛する人たちから、たくさんの「声」が届きます。そして、みなさんの記憶から、ハリマヤの歴史が掘り起こされています。 みなさんの声↓ ハリマヤ第二の故郷 新潟県十日町市から さて。 先日も、当店のFB(Facebook)に1枚の画像とともにこんなメッセー... 続きを読む
【中距離走】800mで大会新記録を樹立した高校1年生が、レースで先頭を走る理由とは?~中距離ランナーりゅうきくんの話(その2) - 9月 27, 2017 ( その1「800mを1分56秒で走る中学生が、たった3ヶ月で記録を6秒も更新した理由とは?」 のつづきです) なんと予選で大会新記録 2017年8月某日。 京都市西京極陸上競技場。 京都府高校ユース陸上競技大会。 男子1年800m予選のレース。 スタートラインに立つ彼には覚悟があった。 「思いっ切り走ってやろう」 彼の持つ自己ベスト記録は1分56秒91。 出場選手の中で群を抜いている。 予選を突破するのは明らかだった。 決勝に進むことを考えると、このレースは軽く「流して」体力を温存するのが得策なはずだ。 でも、彼はちがった。 「思いっ切り走ってやろう。そして、記録を狙ってやろう」 スタートから、ぶっとばした。 他の選手と接触するのもイヤだった。 第2コーナーを周り、オープンコースになった時には、すでに2位以下を10m程引き離していた。 スタンドで彼を応援する人たちは思った。 おいおい、まだ予選なのに、アイツなんであんなにとばしてるんだ? その差は開く一方だった。 トラックを1周した時は30m、2周目のバックストレートでは50mほど離した。 彼はどこまでいくんだ! 場内は騒然としてきた。 スマホで撮影していたお母さんの手は震えた。 彼は、前だけを向いてひたすら走りつづけた。 圧倒的な走りを見せつけてフィニッシュした。 2位との差はなんと70m程も開いていた。 ざわついた場内にアナウンスが流れる。 1位、○○くんの記録1分56秒10は、大会新記録です――。 「おおーー!」 驚きの歓声と称賛の拍手が湧きおこった。 つづく決勝でも、彼はぶっとばした。 記録1分57秒52。 もちろん、優勝した。 ***** なぜ順位ではなく記録を狙ったのか? 本日のお客様は、高校1年生の中距離選手りゅうきくんです。 ――りゅうきくん、こんにちは。 りゅうきくん: 「こんにちは(ニコニコ)」 ――まずは 京都府高校ユース男子1年800m で 優勝! おめでとうございます! いよっつ! ほんで 大会新記録 も樹立!おめでとうございます! 二連発いよっつ! りゅうきくん: 「ありがとうございます(ニコニコ)」 ――質問です。りゅうきく... 続きを読む
【ハリマヤ】いだてん金栗四三と播磨屋黒坂辛作が生み出した金栗足袋。発祥の地の石碑は何を物語っているのか? - 2月 03, 2019 石碑「金栗足袋発祥之地 黒坂辛作」 「金栗足袋発祥の地」その石碑はどこに? 2019年NHK大河ドラマ「 いだてん~東京オリムピック噺 」。 主人公は「日本マラソンの父」 金栗四三 さんです。 「日本マラソンの父」金栗四三 金栗さんは、日本人初のオリンピック選手として、1912年ストックホルム五輪のマラソンに出場、足袋を履いて走りました。 その足袋を作ったのが、「 播磨屋足袋店 」の店主・ 黒坂辛作 さんでした。 ハリマヤ創業者・黒坂辛作 その後、黒坂さんと金栗さんはマラソンを走る足袋を共同開発、1919年頃には進化したマラソン足袋「 金栗足袋 」が誕生しました。 以来、1950年頃までは、日本の歴代ランナーたちが「金栗足袋」を履いて五輪や世界大会のマラソンを走り活躍する時代がつづきました。 (左上)1936年ベルリン五輪マラソン優勝の孫選手が履いた金栗足袋。(右下)1951年ボストンマラソン優勝の田中選手が履いた金栗足袋。写真は1989年度版ハリマヤカタログから。 播磨屋足袋店は、戦後にはシューズメーカー「 ハリマヤ 」に発展。 足袋を原点に持つハリマヤのシューズは日本人の足によく合いました。 また靴職人たちの高度な技術は他メーカーの追随を許さず、国産にこだわるハリマヤの良質なシューズは、長年にわたり陸上競技選手やランナーたちを魅了しつづけました。 ハリマヤをより詳しく↓ しかし、1990年頃にハリマヤは倒産、忽然(こつぜん)と姿を消しました。 伝説となった「ハリマヤ」。 今も、 東京の「 ある場所」 に、「金栗足袋」を生みだした黒坂さんの偉業をこの世にとどめる記念の 石碑 が残っていると聞きます。 そのメールの送り主は? 2018年1月某日。 川見店主に一通のメールが届きました。 川見さん、はじめまして。 私は文京区大塚に住む黒坂辛作の曾孫にあたる者です。 曾お祖父さんの事を新聞でお話してくださり、とても感謝しています。 文京区役所で金栗四三さんや播磨屋足袋店の事をもっと広めていこうと言うことで、家から写真と四三さんの書いた色紙などを展示資料としてお貸ししました。 関西にも行くことがあるので、その時は是非オリンピアサンワーズに寄らせていた... 続きを読む
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