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【短距離走】100mを日本人初の9秒台で走った選手は、隣のレーンを走っていた。~大学生スプリンターりょうくんの話(その2)

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( その1「100mを10秒66で走った彼が、ゆっくり走って見えた理由」 のつづきです) 100mを10秒57で走った 本日のお客様は、大学生スプリンターりょうくんです。 ――りょうくん、こんにちは。おかえりなさい。 りょうくん: 「おひさしぶりです」 ――4年前の奇跡の全国インターハイ出場は、我々の誇りです。 りょうくん: 「ありがとうございます。応援してくれた両親のおかげです。故障なく走ってこれたのは、川見店長(と彼は呼ぶ)がずっと僕のインソールを作ってくれてたおかげです」 ――近畿と全国のインターハイで2回、100mをあの 桐生祥秀 (きりゅう・よしひで)選手と 隣のレーンで勝負 したことは、ご自身にとっても誇りとなる歴史ですね。 りょうくん: 「勝負になってたかどうかは、わかりませんけども(笑)。桐生くんの速さをこの身で体感できたのは貴重な経験でした」 ――近畿インターハイで桐生選手の隣を走るりょうくんの姿は、はからずも色んなメディアを通して日本中の人が目にすることになりましたね。 りょうくん: 「僕は 10秒66 の自己ベスト記録で走ったのに、桐生くんのせいでゆっくり走って見えたっていう(笑)。それに、報道された写真には、僕が必死で走る『変顔』が写されてて、友人たちからはさんざんネタにされたんですから(笑)」 ――それも含めて、りょうくんだけのかけがえのない経験です。 りょうくん: 「そういうことにしときます(笑)」 ――それと、りょうくんの100m自己ベスト記録は、その近畿インターハイ決勝で出した「10秒66」って聞いてましたけど、準決勝は「 10秒57 」で走ってますよね? りょうくん: 「あれは 追風参考記録 (+3m)だったんで」 ――かたいことは言わずに、もう自己ベストは「10秒57」でいいじゃないですか(笑)。 りょうくん: 「いや、あくまでも参考記録ですから(笑)」 ――律儀でいらっしゃる。りょうくんらしいですね(笑)。 ◆ 全日本インカレと日本選手権を目指す りょうくんと川見店主はほぼ一年ぶりの再会。 話は咲きます。 川見店主: 「もう何回生だっけ?」 りょうくん: 「今年の春で3回生になりました」 川見店主: 「東京でのひとり暮

【短距離走】100mを10秒66で走る彼が、ゆっくり走って見えた理由。~大学生スプリンターりょうくんの話(その1)

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【問題】 2013年春、高校3年生で陸上部の短距離選手だったりょうくんは、近畿インターハイの男子100m決勝を10秒66の好タイムで走り3位入賞、全国インターハイ進出を決めました。 しかし、その決勝のレースを見ていた人たちには、りょうくんがとてもゆっくり走っているように見えました。それはなぜでしょうか? <ヒントはこの記事の中にあります> ***** 彼は中学生の時から「正しく立つ・歩く」姿勢をカラダにたたきこんだ。(2008-2011) 2008年春。 中学生になった彼は陸上部に入部した。 短距離走と走り幅跳びに興味をもった。 お母さんは、彼にはがんばらせてあげたかったし、ケガや故障をしてほしくなかったので、ちゃんと足に合うシューズを履かせてあげようと思った。 お母さんに連れられて、彼は初めてオリンピアサンワーズにやってきた。 素直で、まじめで、快活で、話好きで、人懐っこく笑う男の子だった。 シューズをフィッティングすると、気が済むまで店内を走ってみせた。 彼はスクスクと育った。 足のサイズが大きくなるたびにシューズのフィッティングにやってきた。 川見店主は彼の未来のために、カラダの「土台づくり」にこだわった。 日常生活で常に「正しく立つ・歩く」姿勢を意識するよう彼に求めた。 だから、彼が中学時代にフィッティングしたシューズ15足のうち、実にその半分は普段履き用の「歩くための」シューズだった。 「歩く・走る」力を呼び覚ますシューズ<ゲルリーク>。 彼は中学~高校の6年間ずっとこのシューズを履いて「正しく立つ・歩く」姿勢をカラダに叩き込んだ。 ゲルリーク在りし日の 特別サイトはこちら 。 こうして彼は、大事な成長期に「正しく立つ・歩く」姿勢をカラダに叩き込んだ。 お母さんの望みどおり、彼は三年間たいしたケガも故障もしなかった。 放課後になると誰よりも早くグラウンドに飛び出し、一生懸命に走りつづけた。 ◆ 100mを10秒93で走る。(2011-2012) 2011年春。 彼が進学した公立高校は優秀な進学校だった。 勉学に時間を割かねばならなかった。 それでも彼は陸上競技をつづけた。 やはり、放課後になるとグラウンドを一生懸命に走りつづけた。 高1のシーズンが終わる

【ウルトラ】100kmを9時間4分で走る男性ランナーは夜明けとともにタイタンを目指す。

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2016年9月18日。 時刻は午前4時をまわった。 暗がりの中でスタートラインに並ぶその人は、これまでにない不安と緊張を感じていた。 「果たして、自分は完走できるだろうか?」 歴史街道丹後100kmウルトラマラソン。 この大会は6年連続の出場となる。 過去の記録。 ・2011年 11時間02分 ・2012年 9時間34分 ・2013年 9時間16分 ・2014年 9時間26分 ・2015年 9時間04分(PB) 今年は9時間切りを達成するつもりだった。 でもそれは不可能というものだ。 2月に行ったスキーで左足首を骨折。 3月までろくに歩けなかった。 4月からようやく走れるようになった。 しかし、無意識に左足をかばい、ランニングフォームのバランスが崩れていたのだろう。 1か月前に腰痛が起こりまた走れなくなった。 それからはまともな練習もできず、今ここに立っている。 そんな今の自分には、100kmを完走することも夢のような話なのかもしれない。 スタートの時刻が迫る。 まず、この場所に立てたことを感謝しよう。 そして、走れるだけ走ろう。 100km先の自分がどうなっているのか見当もつかないけれども、もし走り切れたら――とその人は思う。 「自分は涙を流すんじゃないか?」 午前4時30分。スタート。 夜が明けようとしている。 暁を予感し、その人は走りだす――。 ***** 折れた足でミッション車を運転する人 本日のお客様は、ウルトラマラソンで サブ9.5 、フルマラソンで サブ3 ランナーであるカズナリさんです。 ――カズナリさん、こんにちは。 カズナリさん: 「いつもお世話になってます」 ――カズナリさんが初めてご来店されたのは3年前(2014年)の春。以来、カズナリさんの激闘ぶりは、旧ブログでも度々ご紹介させていただきました。 特に、2015年の 丹後100km9時間04分の大激走 と、 大阪マラソン3時間02分で2万人抜き大爆走 は、我々の記憶に新しいところです。 2015大阪マラソンを走るカズナリさん(右)。この後、2万人抜きの大爆走。 しかし、昨年(2016年)は、思いもよらぬトラブルがカズナリさんを襲いました。 大変な一年でしたね。 カズナ

【マラソン】ランナーを悩ませる腸脛靭帯炎とか足底筋膜炎をたった3か月で克服してフルマラソンを3時間27分で走ったドクターの話。

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走ることは好きではない!? 本日のお客様は、 サブ3.5ランナー で お医者様 のノブヒロ先生です。 ――ノブヒロ先生、こんにちは。 ノブヒロ先生: 「いつもお世話になってます」 ――先生はいつからランニングをはじめられたのですか? ノブヒロ先生: 「8年くらい前ですね」 ――なにかきっかけがあったのでしょうか? ノブヒロ先生: 「テニスを18歳の時からはじめて36年ほどつづけてますが、年齢を重ねるにつれ、プレー中に筋肉の衰えを感じるようになりました。これはもう一度カラダを鍛えなおさなければと思い走りはじめました」 ――マラソンが目的ではなかったのですね。 ノブヒロ先生: 「マラソンを走るなんて思ってもみませんでした。走ることが特別に好きなわけでもないんですよ(笑)」 ――あ、お好きではない(笑)。初フルマラソンはいつでしょうか? ノブヒロ先生: 「2010年11月の淀川マラソンです。ペースも何もわからぬまま 3時間45分 で完走しました」 ――初フルで サブ4 を達成されたんですね!すごい! ノブヒロ先生: 「その後も年に2~3回はフルマラソンを走るようになりました。2013年2月の泉州国際マラソンではタイムを 3時間28分 まで更新しました」 ――走ることがお好きでないのに、 サブ3.5 までも達成されちゃったんですね。 ノブヒロ先生: 「まぁ、学生時代には駅伝大会とか呼ばれて走ってましたから、走ることは昔から不得意ではなかったのでしょうね(笑)」 ◆ 2年ぶりのサブ3.5を達成 ――先生が初めてオリンピアサンワーズにご来店されたのは、2年前(2015)の7月でした。ちょうど3か月後に大阪マラソンをひかえておられました。 ノブヒロ先生: 「その頃、フルマラソンで3時間30分を切れなくなってました。それに、 走ると膝が痛くなるわ足裏が痛くなるわ で、どうしようもなくなってました。特に足裏は、朝起きてベッドから足を床に下ろすのがコワいくらいに痛かったです」 ――膝が痛くなる「 腸脛靭帯炎(ちょうけいじんたいえん) 」、足裏が痛くなる「 足底筋膜炎(そくていきんまくえん) 」。悩まされるランナーは多いです。 ノブヒロ先生: 「そして、何か手立てはないかと調べて、このお店

【マラソン】フルマラソンを3時間7分で走る女性ランナーは千葉県からやってくる。

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お母さんは朝から走っている 今から30年近くも前の話。 ある大学の学生たちがよく来店していた。 気のいい青年たちだった。 彼らは川見店主によく言った。 「よかったら練習を見に来てくださいよ」 その大学は、川見店主の自宅近くにあった。 大学の敷地内には土の400mトラックもある。 川見店主は顔を出してみることにした。 そこである女子学生と男子学生に出会う。 女子学生は400mの選手だった。 彼女が走る姿を見て、川見店主はキレイなランニングフォームだと思った。 男子学生はやり投げの選手だった。 しかし、練習の合間には、その筋肉隆々のカラダで走り高跳びなんかも軽々とやってのけて、チームメイトを喜ばせていた。 彼の器用さが川見店主には印象に残った。 その後、彼女と彼は結婚する。 子供は3人生まれた。 お母さんとなった彼女は、育児が落ち着いた頃にふたたび走りはじめた。 フルマラソンにも挑戦。 タイムは走るたびに更新された。 自己ベスト記録は3時間07分。 毎年1月開催の大阪国際女子マラソンがシーズンの勝負レースになった。 こんな笑い話。 日曜日の朝、子供たちが目覚める頃にはお母さんの姿は家にない。 彼女はすでに走りに行っている。 子供たちにとっては、それが普通の「日曜の朝」になっていた。 だから彼らは思っていた。 どこの家のお母さんも「日曜の朝」は早くから走っているものだと。 大きくなって学校の友達にこんな風に言われるまで気づかなかった。 「そんなことをしてるのはお前んちのお母さんぐらいだ」 お父さんとなった彼も、最近になってマスターズでふたたびやりを投げはじめた。 県の陸上競技大会なんかでは高校生に混じって試合に出場、ビッグスローを見せて周囲の度胆を抜いている。 高校生たちはあっけにとられて言う。 「おい、あのすごいおっちゃんは何者なんだ?」 今、子供たちは理解している。 フルマラソンを3時間ほどで走るお母さんや、やりを投げるお父さんは、そうそういない。 そんな両親を持つのは、やはり周囲では「自分ち」ぐらいのようだ。 そして、それはどうやら誇らしいことでもある。 ***** 本日のお客様は、千葉県からお越しのHさんご夫妻です。 りょーいちさん、ヨシエさん

【投てき】円盤投げ高校男子が川見店主に核心を突くインタビューをした。

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高校1年生のマサキくんは、陸上部で 円盤投げ をやってます。 今年の4月にはじめてのご来店。 3足のシューズをフィッティングしました。 まずはその時の模様をご紹介。 トレーニング用シューズと短距離スパイクシューズに装着したオーダーメイド・インソールは最上級インソールのゼロアムフィットでどん! 円盤投げのスローイングシューズに装着したオーダーメイド・インソールも最上級インソールのゼロアムフィットでどん! ***** んで、 4か月後 の本日、マサキくんがふたたびのご来店です。 ――マサキくん、こんにちは。あれから調子はどうですか? マサキくん: 「 円盤投げ で自己ベスト記録の 26m88cm を投げれました」 ――素晴らしいですね!おめでとうございます。 マサキくん: 「ありがとうございます」 ――シューズとインソールはどうでしたか? マサキくん: 「すごくいいです。ピッタリです。フィットしてます」 ――それはなによりです。 マサキくん: 「チームのみんなにもこのお店のことやインソールのことを教えてるんですけど」 ――うれしいことをおっしゃいます。 マサキくん: 「でも、みんなに何て言っていいのか、うまく説明できなくて……」 ――確かに当店のことは伝えにくいかもしれません。 マサキくん: 「それで、お願いがありまして」 ――はい、なんなりとどうぞ。 マサキくん: 「夏休みの 社会科の宿題 があるのですけど」 ――ほー、宿題が。 マサキくん: 「働いている人に インタビュー をしなければならないのですが、 おばちゃんにお話をうかがいたいのです 」 川見店主: 「ええっ!私に!?」 つーわけで、川見店主が高校生にインタビューを受けました。 マサキくん: 「 質問を5つ 考えてきました」 1、なぜこの店をはじめたのか? 2、なぜインソールを作るようになったのか? 3、この店でつくるオーダーメイドインソールと既製のインソールのちがいとは? 4、川見店主にとって陸上競技とは? 5、今後の目標は? 川見店主: 「うわー、たいへんだー(笑)」 マサキくん: 「よろしくお願いします」 この時、たまたまシューズ

【三段跳】彼女はみんなの顔を思い浮かべて思いっ切り跳んだ。~2017年全国インターハイ女子三段跳びの話(その2)

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( その1「決戦前日、川見店主は彼女のインソールを補修した」 のつづきです ) 8/2 10:15 全国インターハイ女子三段跳び予選 2017年8月2日。晴れ。 NDソフトスタジアム山形。 全国インターハイ陸上競技大会最終日。 川見店主はスタンドのほぼ最前列にいた。 視線はあるひとりの女の子を追っている。 助走路の遠くにその姿はあった。 彼女は両手を腰に当て、膝を交互に動かしリズムをとり、30mほど先の砂のピットを見つめている。 女子三段跳び予選は午前10時過ぎからはじまっていた。 出場選手は44名。 試技は3回行われ、予選通過標準記録12m15cmを跳べば自動的に決勝進出が決まる。 「12m15cm」――それは、彼女が2か月前に1度だけ出した自己ベスト記録と同じ距離だった。 2か月前に12m15cm跳んだ話↓ すでに彼女は試技1回目を12m10cm、2回目を11m93cmで終えていた。 決勝進出にはあと5cm記録を伸ばし、自己タイ記録で跳ぶ必要があった。 3回目、最後の試技に彼女は挑む。 彼女の夏が終わるのか、つづくのか。 すべてはこの跳躍にかかっていた。 川見店主は心臓が止まりそうだった。 助走路の彼女が手を挙げて大きく叫んだ。 「いきまーーす!」 一瞬カラダをためて、踏み出した。 徐々に加速し、トップスピードに乗った。 踏み切り板に足を叩きつけ、前方へ勢いよく弾け跳ぶ。 ホップ、ステップ、ジャンプ。 川見店主は思わず身を乗り出していた。 記録 12m31cm 。 彼女は自己ベスト記録を16cmも更新し、決勝進出を決めた。 川見店主はホッとため息をついた。 鼓動が高まっているのを聞いた。 こんな試合の観戦はカラダに悪いなと苦笑いしたくなった。 ほんとに、と川見店主は思う。 「三段跳びって、どうなるかわからない競技だな」 三段跳び予選。彼女の跳躍を撮った一枚。(撮影・川見店主) ◆ 彼女はどんな気持ちで跳んでいたのか 川見店主をはじめスタンドで応援する人たちは、彼女が跳ぶたびにドキドキハラハラしては寿命を縮めていた。では、当のご本人はどんな気持ちで試合にのぞんでいたのか? 彼女は、楽しくてならなかった。