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「速記部」の彼女が「陸上部」の卒業写真におさまった理由~オリンピアサンワーズ物語(第5回)

2 020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。 (連載:第5回) ◆◇◆ 速記部の部長、走高跳びをする。 ある女の子の話。 彼女は無口で「ぼんやり」していた。 周囲の大人たちは彼女が何を考えているのかよくわからなかったし、彼女自身も自分が何を考えているのかよくわかっていなかった。 彼女は中学校へ入学すると速記部(そっきぶ)に入部した。 「何か身につくものを」と母親がすすめたのだった。 速記部はおもしろいのかおもしろくないのか、よくわからなかった。 しばらくして彼女は「やめたいな」と思ったけれど、その頃には、同級生達はみんな退部してしまっていた。 「 お前だけは、やめんといてくれ 」 と上級生の男の子たちに頼まれて、彼女は速記部をやめることができなくなった。 ある日の体育の授業は走り高跳びだった。 彼女の身長は学年でも高い方で、誰よりもバーを高く跳ぶことができた。 それを見た先生は、授業が終わると彼女を呼び止めた。 「 今度の日曜日、空いてるか? 」 日曜日の朝、彼女が先生に連れて行かれたのは、陸上競技場だった。 彼女は、着古されたユニフォームとスパイクシューズを渡され、走り高跳びの試合に出場した。 「 体育の時みたいに跳んだらいいから 」 先生にそう言われて、彼女は「体育の時」みたいにバーを跳びこえた。 その試合はブロックの大会で、彼女は3位の成績をおさめた。 それからも彼女は、陸上部ではないのに、試合のたびに先生から声をかけられ、競技場へ連れて行かれ、ユニフォームとスパイクシューズを渡されて、「体育の時」みたいにバーを跳び越えた。 彼女は速記部では部長になった。 彼女の学年には彼女しか部員がいなかったからだ。 陸上部の方は、結局、最後まで入部しなかった。 中学校の卒業アルバム。 撮影の時、先生は「あなたも写りなさい」と彼女を呼んだ。 こうして「速記部の部長」は、「陸上部」の集合写真にもおさまることになった。 ――この女の子は誰なのか?その話は次回。 ◆◇◆ 【サンワーズ写真館】 ・空冷式マラソンシューズ「マジックランナー」 鬼塚喜八郎さんが発明した「マメができないマラソンシューズ」オニツカタイガーの「空冷式マジックランナー」は、1959年の発売以来、爆発的に売れた。 なぜ「マメができない」のか?「マメ

店主が客の欲しがるシューズを売らない理由~オリンピアサンワーズ物語(第4回)

2020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。 (連載:第4回) ◆◇◆ 「あんたにはそのクツはやい!」 めちゃくちゃコワかったというオリンピアサンワーズの創業者・上田のおばちゃん。学生たちは簡単には店の中に入れてもらえなかったうえ( その話は前回の投稿でご紹介 )、なんと、欲しいものもなかなか買わせてもらえなかったそうです。 上田喜代子(1923-1986) 1960-1970年代当時、陸上競技に励む学生たちにとって、ニシスポーツ 、ハリマヤ、オニツカタイガーは憧れのスポーツブランドでした。 試合で競技場へ行くと、トップ選手たちが履くそれらのブランドのシューズが、彼らにはまぶしく見えたことでしょう。情報が乏しい時代、学生たちはこんな言葉を交わしたはずです。 「 あんなシューズ、どこに行ったら売ってんねん? 」 「 ニシの店に行ったらあるらしいぞ 」 「 その店どこにあんねん? 」 「 桃谷駅の近くにあるわ 」 「 へー、いっぺん行ってみるわ 」 「 お前、そこの店のおばちゃん、めっちゃコワいぞ。店に入る時、ちゃんと挨拶せーよ 」 彼らは胸をドキドキワクワクさせながら、オリンピアサンワーズへと足を運びます。そして、緊張しながら店の扉を開けて大きな声で挨拶をし、やっと店内に入れてもらうと、上田からこんな風に言われるのです。 上田 :で、種目は何で、記録はなんぼや? 学生 :はい、種目は100m、自己ベスト記録は○○秒です! 上田 :ちょっと足見せてみ。 学生 :はい(靴を脱ぐ) 上田 :……(ジッと足を見る)……あんたのクツはアレ。そこの棚にあるやつ、自分でとって、履いてみ。 学生 :はい(言われるままに棚から箱を取り出し、シューズに足を入れる) 上田 :(つま先をちょんちょんと触って)これでええ。あんたのクツはコレ。 学生 :あのー、トップ選手が履いてる〇〇のスパイクシューズが欲しいのですが…… 上田 : あんたには、まだそのクツは、はやい! 学生 :は、はい…。 上田 :あんたが履いたらクツも迷惑や。 学生 :…うっ…はい…。 上田 :もっといい記録を出してから買いにおいで。 学生 :わ、わかりました……。 ……とまぁ、こんな感じだったそうです。 そして、学生たちは、がんばって練習に励み、自己ベスト記

「ニシのおばちゃん」は簡単には店に入れてくれなかった~オリンピアサンワーズ物語(第3回)

2020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。 (連載:第3回) ◆◇◆ 「ニシのおばちゃん」 1964年に東京オリンピックが開催。日本は高度経済成長期を迎えます。 オリンピアサンワーズでもようやく陸上競技用品が揃いはじめ、陸上競技に取り組む熱心な学生たちや先生方が、毎日のように関西中から店に集うようになりました。 しかし、店には看板らしいものがなかったため、誰も店の名前がわかりません。 やがて学生たちの間では、「 どこにも売っていないニシスポーツ社の商品が手に入る店 」という意味で 「 ニシの店 」 と呼ばれるようになりました。 当時、ニシスポーツ社は競技者にとって憧(あこが)れのブランドであり、オリンピアサンワーズをその直営店だと思う人も多かったようです。 そして、店主の上田は 「 ニシのおばちゃん 」 と呼ばれるようになりました。 店の入り口は木の引き戸だった。みんなこの扉の前に立つと、緊張して襟を正した。 ◆ 「めっちゃこわかったで」 上田の思い出話をする時、誰もがこう言います。 「 ニシのおばちゃんは、めちゃくちゃコワかったでー 」 「 あのおばちゃんには、ようおこられたでー 」 お店にやってきた学生たちは、簡単には店の中に入れてもらえなかったそうです。 入店するには、まず、入り口で大きな声で挨拶をし、店の真ん中の事務机にでんと座る上田と、こんなやりとりをする必要がありました。 学生 :(店の扉を開けて)こんにちは! 上田 :(たばこを吸いながらギロっと見て)あんた誰や? 学生 :はい、〇〇高校陸上部の△△と申します! 上田 :何しに来たんや? 学生 :はい、スパイクシューズを買いたいと思い来させていただきました! 上田 :種目は何で、記録はなんぼや? 学生 :はい、種目は100mで、自己ベスト記録は□□秒です! 上田 :よっしゃ、入り。 学生 :失礼いたします!! ……とまぁ、こんな感じだったとか。 挨拶の仕方が悪くて帰らされた学生は「ざらにいた」そうです。今では(いや昔でも)到底考えられない接客です(笑)。 でも、このおばちゃんの厳しさには理由があったことを、学生たちは大人になってから気づくのです。 その話は次回に。 ◆◇◆ 【サンワーズ写真館】 ・靴修理台帳 1970~1980年代に使用さ

ジャガーに乗って会社に出勤していた女性が、陸上競技専門店を創業した理由~オリンピアサンワーズ物語(第2回)

2020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。 (連載:第2回) ◆◇◆ 創業者・上田喜代子 オリンピアサンワーズの創業者は上田喜代子(うえだ・きよこ)という女性でした。 上田喜代子(1923-1986) 上田はどのような人物であったのか? 伝え聞くところをご紹介してみますと……。 上田は1923年(大正12年)生まれ。青春時代は戦争のまっただ中で過ごしたことになります。学生時代は外交官を目指し、英語に堪能だったそうです。 終戦後、一度は英語の教師になりました。しかし、貧困にあえぐ子供たちに対して、学校教育は英語どころではありませんでした。 結局上田は、 いまの私が日本の役に立てるのは、学校教育の現場ではない。 と3か月で教職を辞しました。 その後、上田は大手建設会社に転職。語学力を活かして、海外の建築方法の翻訳や通訳をする仕事に就きました。 建設業界はビルの建築ラッシュで好景気に。上田は、愛車のジャガーで出勤、自宅から建築現場に乗りつけていたそうです。 上田曰く 大阪御堂筋に立ってるビルは、ぜんぶ私が建てたようなもの。 なんだとか。 上田は、建設業界に16年ほど身を置きましたが、40歳に手が届く頃、会社をあっさりと退職してしまいます。そして、陸上競技専門店という、畑違いの商売をはじめたのです。 上田は、なぜ、そんな決断をしたのでしょう。 その理由は、 建設会社でできることはぜんぶやった。これまでとまったく異なる環境で、まったく異なる仕事をして自分を試したかった。 ……ということらしいです。 上田が陸上競技の経験者であったかどうかは定かではありません。ただ、陸上競技はとても好きだったそうです。 ◆ 「陸上競技専門店」までの道のり オリンピアサンワーズを創業した1960年頃は、スポーツメーカーの商品開発もまだまだ発展途上であり、流通・販売経路も確立されていませんでした。特に、専門的な陸上競技用品はなかなか手に入りませんでした。 上田は、とにかくスポーツ業界に入り込むために、レスリングのウェアなども販売し商売をつづけながら、陸上競技の商品探しに奔走(ほんそう)しました。  やがて、オニツカタイガー(現アシックス)や、関東でしか入手できなかった陸上競技専門メーカー・ニシスポーツ、伝説のシューズメーカー・ハリマヤ

創業日1963年9月8日の謎~オリンピアサンワーズ物語(第1回)

2020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。 (連載:第1回) ◆◇◆ 創業日1963年9月8日の謎 オリンピアサンワーズがいつ創業されたのか、詳しくはわかっていません。 現在は「 1963年9月8日 」を創業日としていますが、これには理由があります。 <理由①> 創業者の上田喜代子(うえだ・きよこ)が生前に「店を閉めて1964年の東京オリンピックを見に行った」と語っていた。 <理由②> 1964年の東京オリンピックで発行された『陸上競技公式ハンドブック』に、オリンピアサンワーズの広告が掲載されている。 以上のことから、上田亡き後に親しい者たちで話し合い「遅くとも1964年東京オリンピックの前年には店は存在していたであろう」とし、「 1963年 」を創業年としました。「 9月8日 」は上田の誕生日です。 果たして、上田はどんな人物だったのか? なぜ、陸上競技専門店を創業したのか? その話は次回につづく。 ◆◇◆ 【サンワーズ写真館】 ・初代桃谷店舗 初代の桃谷店舗。住所は大阪市天王寺区烏ヶ辻(からすがつじ)。国鉄(現JR)大阪環状線桃谷駅から徒歩5ほどの小さな雑居ビルの1階に創業。周囲には大阪逓信病院(現在は第二大阪警察病院)や五条公園があった。桃谷店舗では1991年まで営業。 ・陸上競技ハンドブック 『第18回オリンピック大会 陸上競技ハンドブック』(日本陸上競技連盟発行)の表紙。これは大会運営の審判や役員に贈呈された本で、各競技のルール、試合日程やタイムスケジュール、審判や役員の配置、さらには国立競技場の構造や備品の個数等々の膨大な情報が、585ページにわたり記載されている。 ・オリンピアサンワーズの広告 『陸上競技ハンドブック』に掲載されているオリンピアサンワーズ(当時の社名「日本ニュースポーツ」)の広告。隣のページには、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったオニツカタイガー(現アシックス)の広告が。 ・ハンドブックの発行日 ハンドブックの奥付。「昭和39年10月9日発行」つまり、東京五輪開幕日の「10月10日」その前日が発行日となっている。 (つづきます) オリンピアサンワーズの物語を全部読む↓ ・ 第1回「創業日1963年9月8日」の謎 ・ 第2回「ジャガーに乗って会社に通勤していた女性が陸上競技専門店

オリンピアサンワーズの歴史をインスタグラムとフェイスブックで紹介してます。

1964東京五輪の記念品 オリンピアサンワーズ57周年 みなさん、こんにちは。 2020年9月8日でオリンピアサンワーズは創業57周年を迎えました。 「57周年」って中途半端な数字ですけども、記念にオリンピアサンワーズの歴史を紹介する投稿連載を、当店の インスタグラム と Facebook で、9月8日からはじめてみました。 インスタグラム↓ この投稿をInstagramで見る オリンピアサンワーズ | olympiasunwards(@olympiasunwards)がシェアした投稿 - 2020年 9月月7日午後11時00分PDT 当初は、1963年の創業から現在にいたる57年の歴史を、3回ほどの投稿で「サラッ」と「カンタン」に紹介する予定でした。 しかし、いざはじめてみると、書いておきたいことがいっぱい出てくる。 結局、上田喜代子がオリンピアサンワーズを創業した1963年から、川見あつこが二代目店主を継いだ1986年までの23年間の話だけで、12回の投稿と1か月の時間を費やすことになりました。 うわ、あと34年分の歴史が残ってる!こりゃ、サラッとカンタンには終わらへんわ! ってことで、今回の投稿はひとまず終了。 二代目・川見店主からはじまるオリンピアサンワーズの新しい歴史は、またの機会に(いつ?)ご紹介できたらと思っています。 初代と二代目の交代劇 今回の投稿連載では、これまで公にしなかった、上田と川見との「店主交代劇」にも触れました。 ひとりの客が、他人の店を継ぐというのは、とても珍しいことです。しかも、その客は教員を辞めてまで二代目を継いだっていうんですから、「なんでまた!?」って誰もが疑問に思いますよね? この「魂の継承」とも呼べる交代劇には、上田と川見との間に、ふたりだけにしか感じ合えない「何か」があったのでしょう。 上田は、ある時、ある人に、こんな風に聞かれたそうです。 「上田さんは川見さんにとても厳しいけど、あの人を一体どうしたいんですか?」 上田はこたえたそうです。 「あの子とは、腐れ縁や」 ブログでも紹介します。 昨今、個人も企業も、情報発信にはSNSを利用することが多いですよね。発信する側も手軽だし、読み手もフォローしとけば、情報の方からやって来てくれるので話が早

猛暑お見舞い申し上げます

  猛暑お見舞い申し上げます。 「GO TO」なのか。 「STAY」なのか。 むずかしい時代の真っただ中で、皆さまいかがお過ごしでしょうか? オリンピアサンワーズはというと、感染防止対策も油断なく、元気に通常営業しております。 8月の営業日はこちら↓ http://olympia-sunwards.blogspot.com/p/blog-page_19.html ご来店お待ちしておりまーす! あっつ。