「ニシのおばちゃん」は簡単には店に入れてくれなかった~オリンピアサンワーズ物語(第3回)



2020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。
(連載:第3回)

◆◇◆

「ニシのおばちゃん」

1964年に東京オリンピックが開催。日本は高度経済成長期を迎えます。

オリンピアサンワーズでもようやく陸上競技用品が揃いはじめ、陸上競技に取り組む熱心な学生たちや先生方が、毎日のように関西中から店に集うようになりました。

しかし、店には看板らしいものがなかったため、誰も店の名前がわかりません。
やがて学生たちの間では、「どこにも売っていないニシスポーツ社の商品が手に入る店」という意味で

ニシの店

と呼ばれるようになりました。
当時、ニシスポーツ社は競技者にとって憧(あこが)れのブランドであり、オリンピアサンワーズをその直営店だと思う人も多かったようです。
そして、店主の上田は

ニシのおばちゃん

と呼ばれるようになりました。

店の入り口は木の引き戸だった。みんなこの扉の前に立つと、緊張して襟を正した。

「めっちゃこわかったで」

上田の思い出話をする時、誰もがこう言います。

ニシのおばちゃんは、めちゃくちゃコワかったでー
あのおばちゃんには、ようおこられたでー

お店にやってきた学生たちは、簡単には店の中に入れてもらえなかったそうです。
入店するには、まず、入り口で大きな声で挨拶をし、店の真ん中の事務机にでんと座る上田と、こんなやりとりをする必要がありました。

学生:(店の扉を開けて)こんにちは!
上田:(たばこを吸いながらギロっと見て)あんた誰や?
学生:はい、〇〇高校陸上部の△△と申します!
上田:何しに来たんや?
学生:はい、スパイクシューズを買いたいと思い来させていただきました!
上田:種目は何で、記録はなんぼや?
学生:はい、種目は100mで、自己ベスト記録は□□秒です!
上田:よっしゃ、入り。
学生:失礼いたします!!

……とまぁ、こんな感じだったとか。

挨拶の仕方が悪くて帰らされた学生は「ざらにいた」そうです。今では(いや昔でも)到底考えられない接客です(笑)。

でも、このおばちゃんの厳しさには理由があったことを、学生たちは大人になってから気づくのです。
その話は次回に。

◆◇◆

【サンワーズ写真館】

・靴修理台帳

1970~1980年代に使用されたシューズの<修理台帳>。当時、選手たちはシューズが消耗すると店に持参し修理に出した。その際、このノートに日付と名前と商品名を自分で書き、修理が終わってシューズを受け取ったら、自分で棒線を引いて消した。某有名陸上部監督や元日本記録保持者が学生時代に記入した文字も残っている。


・晩年の上田喜代子(うえだ・きよこ)

店の扉を開けた時、この顔でメガネの奥からギロっと視線を向けられて「ちびりそうになった」とは、某先生の思い出話。川見店主はこの写真を見るたびに「コワっ」っとうめいて小さく震える。


・上田の使用していた灰皿

上田が使用していた灰皿。丸い方には「黒部峡谷」の文字がある。葉っぱ型の方にはカエルがかたどられている。上田はヘビースモーカーだった。いつも店の中央に置いた事務机に向かいタバコを吸いながら仕事をした。灰皿はいつも山盛りの吸い殻で埋め尽くされていた。


(つづきます)

オリンピアサンワーズの物語を全部読む↓
第1回「創業日1963年9月8日」の謎
第2回「ジャガーに乗って会社に通勤していた女性が陸上競技専門店を創業した理由」
第3回「ニシのおばちゃんは簡単には店に入れてくれなかった」
第4回「店主が客の欲しがるシューズを売らない理由」
第5回「速記部の彼女が陸上部の卒業写真におさまった理由」
第6回「その日、彼女は人生が変わる運命的な出会いをした」
第7回「なぜ彼女は教師を辞めて、パートの皿洗いをはじめたのか?」
第8回「彼女は次代へのカギを渡された」
第9回「彼女は恐れていたその場所に座った」
第10回「太陽は沈もうとしていた」
第11回「彼女は創業者の心を追い求めていくと決めた」
第12回「太陽はふたたび昇っていく」
 

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