店主が客の欲しがるシューズを売らない理由~オリンピアサンワーズ物語(第4回)
(連載:第4回)
1960-1970年代当時、陸上競技に励む学生たちにとって、ニシスポーツ 、ハリマヤ、オニツカタイガーは憧れのスポーツブランドでした。
試合で競技場へ行くと、トップ選手たちが履くそれらのブランドのシューズが、彼らにはまぶしく見えたことでしょう。情報が乏しい時代、学生たちはこんな言葉を交わしたはずです。
「あんなシューズ、どこに行ったら売ってんねん?」
「ニシの店に行ったらあるらしいぞ」
「その店どこにあんねん?」
「桃谷駅の近くにあるわ」
「へー、いっぺん行ってみるわ」
「お前、そこの店のおばちゃん、めっちゃコワいぞ。店に入る時、ちゃんと挨拶せーよ」
彼らは胸をドキドキワクワクさせながら、オリンピアサンワーズへと足を運びます。そして、緊張しながら店の扉を開けて大きな声で挨拶をし、やっと店内に入れてもらうと、上田からこんな風に言われるのです。
上田:で、種目は何で、記録はなんぼや?
上田:ちょっと足見せてみ。
学生:はい(靴を脱ぐ)
上田:……(ジッと足を見る)……あんたのクツはアレ。そこの棚にあるやつ、自分でとって、履いてみ。
学生:はい(言われるままに棚から箱を取り出し、シューズに足を入れる)
上田:(つま先をちょんちょんと触って)これでええ。あんたのクツはコレ。
学生:あのー、トップ選手が履いてる〇〇のスパイクシューズが欲しいのですが……
上田:あんたには、まだそのクツは、はやい!
学生:は、はい…。
上田:あんたが履いたらクツも迷惑や。
学生:…うっ…はい…。
上田:もっといい記録を出してから買いにおいで。
学生:わ、わかりました……。
当時を振り返って、ある人は言います。
「今から思えば、おばちゃんは陸上競技を通して、礼儀のことや、カッコつけたり見栄を張らないで分相応にすることの大事さ、贅沢せずに物を大切にすることの大事さを、学生の僕らに教育してくれてはったんや」
そんな上田の人間性に魅かれ、店にはいつも多くの若者たちが集いました。そして、競技について、社会について、人生について、時には夜を徹して語り合うこともあったそうです。中には、競技者ではない一般学生たちもやってきて、上田に人生の指針を求めたといいます。
また、上田は、自らのポケットマネーで棒高跳びの日本記録保持者(当時)を招いた講習会を開催、長居陸上競技場を貸し切りにし、 学生たちや先生方には無料で参加できるようにするなど、関西の陸上競技界発展のために尽力しました。
どこまでも厳しく、そして優しく、青年たちを愛した上田のおばちゃんでした。
・第2回「ジャガーに乗って会社に通勤していた女性が陸上競技専門店を創業した理由」
・第3回「ニシのおばちゃんは簡単には店に入れてくれなかった」
・第4回「店主が客の欲しがるシューズを売らない理由」
・第5回「速記部の彼女が陸上部の卒業写真におさまった理由」
・第6回「その日、彼女は人生が変わる運命的な出会いをした」
・第7回「なぜ彼女は教師を辞めて、パートの皿洗いをはじめたのか?」
・第8回「彼女は次代へのカギを渡された」
・第9回「彼女は恐れていたその場所に座った」
・第10回「太陽は沈もうとしていた」
・第11回「彼女は創業者の心を追い求めていくと決めた」
・第12回「太陽はふたたび昇っていく」
◆◇◆
「あんたにはそのクツはやい!」
めちゃくちゃコワかったというオリンピアサンワーズの創業者・上田のおばちゃん。学生たちは簡単には店の中に入れてもらえなかったうえ(その話は前回の投稿でご紹介)、なんと、欲しいものもなかなか買わせてもらえなかったそうです。![]() |
上田喜代子(1923-1986) |
1960-1970年代当時、陸上競技に励む学生たちにとって、ニシスポーツ 、ハリマヤ、オニツカタイガーは憧れのスポーツブランドでした。
試合で競技場へ行くと、トップ選手たちが履くそれらのブランドのシューズが、彼らにはまぶしく見えたことでしょう。情報が乏しい時代、学生たちはこんな言葉を交わしたはずです。
「あんなシューズ、どこに行ったら売ってんねん?」
「ニシの店に行ったらあるらしいぞ」
「その店どこにあんねん?」
「桃谷駅の近くにあるわ」
「へー、いっぺん行ってみるわ」
「お前、そこの店のおばちゃん、めっちゃコワいぞ。店に入る時、ちゃんと挨拶せーよ」
彼らは胸をドキドキワクワクさせながら、オリンピアサンワーズへと足を運びます。そして、緊張しながら店の扉を開けて大きな声で挨拶をし、やっと店内に入れてもらうと、上田からこんな風に言われるのです。
上田:で、種目は何で、記録はなんぼや?
学生:はい、種目は100m、自己ベスト記録は○○秒です!
上田:ちょっと足見せてみ。
学生:はい(靴を脱ぐ)
上田:……(ジッと足を見る)……あんたのクツはアレ。そこの棚にあるやつ、自分でとって、履いてみ。
学生:はい(言われるままに棚から箱を取り出し、シューズに足を入れる)
上田:(つま先をちょんちょんと触って)これでええ。あんたのクツはコレ。
学生:あのー、トップ選手が履いてる〇〇のスパイクシューズが欲しいのですが……
上田:あんたには、まだそのクツは、はやい!
学生:は、はい…。
上田:あんたが履いたらクツも迷惑や。
学生:…うっ…はい…。
上田:もっといい記録を出してから買いにおいで。
学生:わ、わかりました……。
……とまぁ、こんな感じだったそうです。
そして、学生たちは、がんばって練習に励み、自己ベスト記録を更新すると、上田に報告するために、喜び勇んでふたたび店へと足を運ぶのでした。
そして、学生たちは、がんばって練習に励み、自己ベスト記録を更新すると、上田に報告するために、喜び勇んでふたたび店へと足を運ぶのでした。
・大阪陸上競技年鑑の広告(1969)
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大阪陸上競技協会が毎年発行する『陸上競技年鑑』(1969年度版)に掲載されたオリンピアサンワーズの広告。「陸上競技愛好者の集まるクラブのような店です、是非一度御立ち寄り下さい、ささやかながら知識とお茶の無料サービスをして居ります」とある。「お茶」が「牛乳」だった時代もあったそうな。 |
◆
「合わんクツは売らん」
上田は常々、こう言っていたそうです。合わんクツ売ったら、作った人の心をムダにする。買った人は練習がムダになる。クツも限りある地球の資源でできている。地球の資源をムダにはできん。だから、合わんクツは売らん
当時を振り返って、ある人は言います。
「今から思えば、おばちゃんは陸上競技を通して、礼儀のことや、カッコつけたり見栄を張らないで分相応にすることの大事さ、贅沢せずに物を大切にすることの大事さを、学生の僕らに教育してくれてはったんや」
そんな上田の人間性に魅かれ、店にはいつも多くの若者たちが集いました。そして、競技について、社会について、人生について、時には夜を徹して語り合うこともあったそうです。中には、競技者ではない一般学生たちもやってきて、上田に人生の指針を求めたといいます。
また、上田は、自らのポケットマネーで棒高跳びの日本記録保持者(当時)を招いた講習会を開催、長居陸上競技場を貸し切りにし、 学生たちや先生方には無料で参加できるようにするなど、関西の陸上競技界発展のために尽力しました。
どこまでも厳しく、そして優しく、青年たちを愛した上田のおばちゃんでした。
◆◇◆
【サンワーズ写真館】
・上田の似顔絵Tシャツ
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1986年、上田亡き後に行われた「偲(しの)ぶ会」を記念して作成されたTシャツ。「あんたには、このクツはやい!!」という上田の言葉がプリントされている。この上田の似顔絵を描いたのは、当時ニシスポーツ社に勤めていたN氏。N氏はグラスファイバー製の棒高跳び用ペーサーポールを日本に拡げた人物。それ以前、日本の棒高跳びは竹の棒で跳んでいた。 |
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上田の似顔絵プリントはTシャツの左胸に。 |
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Tシャツの背中には、上田が好きだった太陽がプリントされている。「SINCE1963」の文字も。 |
(つづきます)
オリンピアサンワーズの物語を全部読む↓
・第1回「創業日1963年9月8日」の謎・第2回「ジャガーに乗って会社に通勤していた女性が陸上競技専門店を創業した理由」
・第3回「ニシのおばちゃんは簡単には店に入れてくれなかった」
・第4回「店主が客の欲しがるシューズを売らない理由」
・第5回「速記部の彼女が陸上部の卒業写真におさまった理由」
・第6回「その日、彼女は人生が変わる運命的な出会いをした」
・第7回「なぜ彼女は教師を辞めて、パートの皿洗いをはじめたのか?」
・第8回「彼女は次代へのカギを渡された」
・第9回「彼女は恐れていたその場所に座った」
・第10回「太陽は沈もうとしていた」
・第11回「彼女は創業者の心を追い求めていくと決めた」
・第12回「太陽はふたたび昇っていく」
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