創業日1963年9月8日の謎~オリンピアサンワーズ物語(第1回)
(連載:第1回)
初代の桃谷店舗。住所は大阪市天王寺区烏ヶ辻(からすがつじ)。国鉄(現JR)大阪環状線桃谷駅から徒歩5ほどの小さな雑居ビルの1階に創業。周囲には大阪逓信病院(現在は第二大阪警察病院)や五条公園があった。桃谷店舗では1991年まで営業。
・第2回「ジャガーに乗って会社に通勤していた女性が陸上競技専門店を創業した理由」
・第3回「ニシのおばちゃんは簡単には店に入れてくれなかった」
・第4回「店主が客の欲しがるシューズを売らない理由」
・第5回「速記部の彼女が陸上部の卒業写真におさまった理由」
・第6回「その日、彼女は人生が変わる運命的な出会いをした」
・第7回「なぜ彼女は教師を辞めて、パートの皿洗いをはじめたのか?」
・第8回「彼女は次代へのカギを渡された」
・第9回「彼女は恐れていたその場所に座った」
・第10回「太陽は沈もうとしていた」
・第11回「彼女は創業者の心を追い求めていくと決めた」
・第12回「太陽はふたたび昇っていく」
◆◇◆
創業日1963年9月8日の謎
オリンピアサンワーズがいつ創業されたのか、詳しくはわかっていません。
現在は「1963年9月8日」を創業日としていますが、これには理由があります。
<理由①>
創業者の上田喜代子(うえだ・きよこ)が生前に「店を閉めて1964年の東京オリンピックを見に行った」と語っていた。
<理由②>
1964年の東京オリンピックで発行された『陸上競技公式ハンドブック』に、オリンピアサンワーズの広告が掲載されている。
以上のことから、上田亡き後に親しい者たちで話し合い「遅くとも1964年東京オリンピックの前年には店は存在していたであろう」とし、「1963年」を創業年としました。「9月8日」は上田の誕生日です。
果たして、上田はどんな人物だったのか?
なぜ、陸上競技専門店を創業したのか?
その話は次回につづく。
◆◇◆
【サンワーズ写真館】
・初代桃谷店舗

・陸上競技ハンドブック
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『第18回オリンピック大会 陸上競技ハンドブック』(日本陸上競技連盟発行)の表紙。これは大会運営の審判や役員に贈呈された本で、各競技のルール、試合日程やタイムスケジュール、審判や役員の配置、さらには国立競技場の構造や備品の個数等々の膨大な情報が、585ページにわたり記載されている。 |
・オリンピアサンワーズの広告
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『陸上競技ハンドブック』に掲載されているオリンピアサンワーズ(当時の社名「日本ニュースポーツ」)の広告。隣のページには、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったオニツカタイガー(現アシックス)の広告が。 |
・ハンドブックの発行日
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ハンドブックの奥付。「昭和39年10月9日発行」つまり、東京五輪開幕日の「10月10日」その前日が発行日となっている。 |
(つづきます)
オリンピアサンワーズの物語を全部読む↓
・第1回「創業日1963年9月8日」の謎・第2回「ジャガーに乗って会社に通勤していた女性が陸上競技専門店を創業した理由」
・第3回「ニシのおばちゃんは簡単には店に入れてくれなかった」
・第4回「店主が客の欲しがるシューズを売らない理由」
・第5回「速記部の彼女が陸上部の卒業写真におさまった理由」
・第6回「その日、彼女は人生が変わる運命的な出会いをした」
・第7回「なぜ彼女は教師を辞めて、パートの皿洗いをはじめたのか?」
・第8回「彼女は次代へのカギを渡された」
・第9回「彼女は恐れていたその場所に座った」
・第10回「太陽は沈もうとしていた」
・第11回「彼女は創業者の心を追い求めていくと決めた」
・第12回「太陽はふたたび昇っていく」
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