2020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。 (連載:第11回) ◆◇◆ 「あなた、継いでくださる?」 1986年2月22日。 オリンピアサンワーズの創業者・上田喜代子(うえだ・きよこ)はこの世を去りました。 享年62歳。 「 私、がんばってるからね…… 」 というのが、上田の最期の言葉だったそうです。 さて。 川見には、上田亡き後のオリンピアサンワーズを継ごうという考えは、まったくありませんでした。 川見の目標は、あくまでも「よりよい教師となって教育現場に戻ること」でした。 上田の葬儀が終わってからのこと。 川見は上田の母に呼ばれました。 上田の母は、明治生まれの気骨のある女性。 娘の死を毅然と受け入れ、着物姿で座る上田の母は、ニコニコしながら川見に話しはじめました。 上田母 :川見さん、そこに座ってちょうだい。 川見 :は、はい(正座をする)。 上田母 :川見さん、あなた、喜代子の心を継いでくださる? 川見 :ええっ!滅相もないです!私がおばさんの店を継ぐなんて恐れ多いです。 上田母 :あらそう……川見さんにとって、喜代子はどんな存在なの? 川見 :私が一生かかって追い求めていく存在です。 上田母 :あらそう……じゃあ、それを喜代子のお店でやればいいじゃない(ニコニコ)。 川見 :えぇぇーー……。 ◆ 約束の半年後 これは大変なことになったと思った川見は、上田と親しかった人たちに連絡を入れました。 そして、皆が店に集まっての緊急会議が開かれました。 全員の意見は一致しました。 「 みんなが育ててもらった店を残したい 」 「 上田のおばさんの心を残したい 」 話し合いは、次の一点に絞られました。 「 じゃあ、誰が? 」 この時、定職に就いていなかったのは川見だけです。 皆の視線は、川見に向けられました。 沈黙の後、誰かが口を開きました。 誰か :じゃあ、川見さんがお店を継げばいい。 川見 :そんなの無理です!私なんかが継いだら、お店はつぶれます! 誰か :それは、誰が継いでも一緒やから。 川見 :そ、そんなぁ…… 誰か :とにかく川見さんが半年やってみて、その時に、またみんなで集まって考えよう。 こうして、川見は、オリンピアサンワーズの二代目店主(仮)となりました。 そして、なんとか店はつぶれ
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