なぜ彼女は教師を辞めて、パートの皿洗いをはじめたのか?~オリンピアサンワーズ物語(第7回)



2020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。
(連載:第7回)
◆◇◆

教師からパートの皿洗いへ

18歳の誕生日に上田のおばちゃんと出会い、その人間性に魅了された川見は、その後の学生時代も、社会人になってからも、オリンピアサンワーズに足繁く通っては、学業や仕事や家庭での悩みを上田に相談していました。
川見にとって上田は、生きる勇気と人生の指針を与えてくれる、かけがえのない存在でした。

川見は大学卒業後に中学校の体育教員となりましたが、徐々に中学教育の在り方に疑問を持ちはじめました。
それを上田に相談すると

あんたがやりたい教育は小学校やな

とのこたえ。
そこで川見は、中学校での教員生活のかたわら、小学校の教員資格を2年がかりの通信教育で取得。結局、中学校を5年勤めた後、小学校教員へと転身しました。

教育こそ社会で最優先されなければならない

そんな理想に向かって猪突猛進する川見は、小学校でも市の教育委員会が讃嘆するほどのクラスを毎年つくりあげてみせました。

しかし、ある時、上田にこう言われました。

子供たちには学校以外の世界がある。子供には親があり、親もそれぞれの世界を背負っている。それを『世間』と呼ぶ。高い理想を掲げるのもいいが、その『世間』というものをあんたは知らなさすぎる。教師の身分を隠して、どこかでパートの皿洗いでもやってみなさい

もっといい教師になりたい。ただその一心で、川見は、なんと上田の言葉どおりに、小学校を4年で退職してしまいました。

また、この頃、上田は体を悪くしていました。川見は上田の身の回りの世話をしたいと考え、自分はファミリーレストランのパートタイムで働きながら、上田の自宅と店への送り迎えを車で行い、店の営業も少しばかり手伝うようになりました。

パートの仕事では、教育現場とは違った、社会の厳しい現実をまざまざと見せつけられました。 当時、川見はすでに三人の子供を育てるシングルマザー。収入は激減し、子供たちの明日の食事代もままならないほどに家計はひっ迫しました。

でも川見は、

この経験が、私をいい教師にしてくれるなら

と歯を食いしばって生きていました。

そんな生活が9か月ほど経ったある日、川見に連絡が入りました。

上田のおばちゃんが、もうあぶない

◆◇◆

【サンワーズ写真館】

・アシックスのスパイクシューズの置物

1980年代、優秀な販売店にアシックスから贈られたゴールドのスパイクシューズの置物。


シューズの立体感、アシックスライン、アッパー補強の縫い目、紐の質感、プレートの角度など、実に精巧に作られている。


台座にある「asics TIGER」の銘板の左横の空洞には、デジタル時計が組み込まれていた。


景気が良かった時代を物語る逸品。でも、上田のおばちゃんは「こんなもん置いてどうすんねん!」とぼやいていたとか。


(つづきます)

オリンピアサンワーズの物語を全部読む↓
第1回「創業日1963年9月8日」の謎
第2回「ジャガーに乗って会社に通勤していた女性が陸上競技専門店を創業した理由」
第3回「ニシのおばちゃんは簡単には店に入れてくれなかった」
第4回「店主が客の欲しがるシューズを売らない理由」
第5回「速記部の彼女が陸上部の卒業写真におさまった理由」
第6回「その日、彼女は人生が変わる運命的な出会いをした」
第7回「なぜ彼女は教師を辞めて、パートの皿洗いをはじめたのか?」
第8回「彼女は次代へのカギを渡された」
第9回「彼女は恐れていたその場所に座った」
第10回「太陽は沈もうとしていた」
第11回「彼女は創業者の心を追い求めていくと決めた」
第12回「太陽はふたたび昇っていく」
 

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