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太陽は沈もうとしていた~オリンピアサンワーズ物語(第10回)



2020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。
(連載:第10回)

◆◇◆

私の「弟子」やから

上田は病床にいても、相変わらず厳しくて、こわかった。
上田ほど<死>に遠い人はいない、と川見は思っていた。

あのおばさんには<死>の方が恐れて寄りつかないだろう

しかし、実際の上田の病状は徐々に悪化していた。
医者も家族も、そう先は長くないと考えていた。

ある時から、上田は雇っていた家政婦をひどく叱りつけるようになった。
周囲の人々には、その理由がわからなかった。
病気による意識の衰えか、ただの病人のわがままだとして、取り合わなかった。
そのことを上田の家族が、川見に相談した。
川見は、こたえた。

おばさんは意味なく人を叱ったりしません。家政婦さんの人間性を見抜いたうえで、愛情で叱っておられるのだと思います

家族には、日々の家政婦の態度に思い当たるふしがあった。
その家政婦にはすぐに辞めてもらった。

また、ある時は。
病室の上田は家族とともに、病状について医師から説明を受けていた。
すると、上田は、何の脈絡もなく、ふいに川見を皆に紹介した。

この子は、私の『弟子』やから

川見は、上田の口からそんな言葉をはじめて聞いた。
他の人たちは、顔を見合わせて苦笑した。
付き添いの看護師が、気をまわしたつもりで言った。

「上田さん何を言ってるの。こんなに世話をしてくれてる人に対して『弟子』は失礼じゃないの」

しかし、川見だけはわかった。
上田の言葉は、自分に向けられていた。
しかも、上田は、笑われるのを承知で、ふたりの関係を周囲の人たちにも宣言したのだ。
そこに川見は上田の深い愛情を感じた。

入院から半年が過ぎた頃。
上田は川見に、自宅からテレビを運んでくるように頼んだ。
病室にテレビを運び、チャンネルを合わせた。
その日はマラソンの中継があった。
上田はベッドから身を起こすと、川見にそばに座るように言った。
レースがスタートした。
上田は、選手ひとりひとりのランニングフォームやレース展開について、解説をはじめた。
川見は、一言も聞き漏らすまいと、居住まいを正した。
上田の解説は、レースが終わるまでつづいた。
ふたりきりで、そんな時間を過ごすのは、はじめてだった。

それから約2週間後。

上田がこの世を去った時、川見は店にいた。
突然の訃報は、電話で知らされた。
陽はすでに傾いていた。
川見は上田の椅子に座ったまま、閉店時間まで、ひとり過ごした。

◆◇◆

【サンワーズ写真館】

・『月刊陸上競技』1986年3月号

病室の上田と川見がふたりで観戦したのは、1986年2月9日開催の東京国際マラソンだった。そのレース結果を報じた『月刊陸上競技』3月号が店に保管されている。


優勝したのはイカンガー(タンザニア)。記録2時間8分10秒は当時世界歴代5位。期待された日本の中山竹通は4位だった。


同年1月26日開催の大阪国際女子マラソンは、ローレン・モラー(ニュージーランド)が2時間30分24秒で優勝。日本の浅井えり子は2位。


アシックスのジョガー用ランニングシューズ「ターサー F-1」の広告。「ジョギング」という言葉がまだ新しい響きを残していた時代のシューズ。


(つづきます)

オリンピアサンワーズの物語を全部読む↓
第1回「創業日1963年9月8日」の謎
第2回「ジャガーに乗って会社に通勤していた女性が陸上競技専門店を創業した理由」
第3回「ニシのおばちゃんは簡単には店に入れてくれなかった」
第4回「店主が客の欲しがるシューズを売らない理由」
第5回「速記部の彼女が陸上部の卒業写真におさまった理由」
第6回「その日、彼女は人生が変わる運命的な出会いをした」
第7回「なぜ彼女は教師を辞めて、パートの皿洗いをはじめたのか?」
第8回「彼女は次代へのカギを渡された」
第9回「彼女は恐れていたその場所に座った」
第10回「太陽は沈もうとしていた」
第11回「彼女は創業者の心を追い求めていくと決めた」
第12回「太陽はふたたび昇っていく」
 

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