太陽はふたたび昇っていく~オリンピアサンワーズ物語(第12回)

2020年9月8日に創業57周年を迎えたオリンピアサンワーズ。その歴史のあれこれを、シリーズでご紹介します。 (連載:第12回) ◆◇◆ サンワーズ【第二章】 オリンピアサンワーズの創業者・上田喜代子(うえだ・きよこ)は「太陽」が好きでした。 自らが輝きながら、他のすべてをも輝かせる太陽。 時に優しく温かく、時に灼熱の厳しさで皆を励ます太陽。 「 誰もが太陽のように輝くことができる 」 そんな想いを込めて、上田はオリンピアサンワーズのマークを「太陽」にしました。 多くの人にとっては、上田こそが太陽のような存在でした。 上田という大きな太陽は没しました。 しかし、オリンピアサンワーズには、また新しい太陽が昇りはじめました。 上田が亡くなった、その1週間後の1986年3月1日。 川見あつこは、オリンピアサンワーズの二代目として店を正式に継ぎました。 上田は生前、ある人に、こんな風に言っていたそうです。 「 川見で、オリンピアサンワーズの【第二章】やな 」 ◆◇◆ 希望を。太陽を。 私たちは、今、誰もが経験したことのない困難な時代を生きています。 1964年東京五輪の開催は、新しい日本の発展を象徴する出来事でした。 2020年東京五輪の延期は、人類の危機を象徴する出来事になりました。 しかし、雨の日も、雲を突き抜ければ、いつもそこに太陽は昇っています。 私たちも、いつも胸の中に、「希望」という太陽を昇らせたいと思います。 そして、この時代を乗り越え、もう一度オリンピックを迎えることができた時、私たちは、オリンピックが持つ本来の意義を、今一度深く実感できるのではないでしょうか。 上田のおばちゃんが築いたオリンピアサンワーズ【第一章】、その歴史をご紹介する投稿は、今回で終了です。 二代目店主・川見あつこの【第二章】の物語は、また別の機会に。 最後までお読みいただきありがとうございました。 ◆◇◆ ・1964東京五輪の記念品 1964年東京五輪の記念品。これはベルトのバックルのようです。中央の五輪マークが誇らしい。背景の葉っぱにまぎれて「NRR」という文字が浮かんでいるのがわかるでしょうか?おそらく「日本陸上競技連盟(Nihon Rikujyokyogi Renmei)」の略だと思われます。 ・太陽マークの商標登録証 昭和39年に商標登録したオ...